追悼:榮久庵憲司

SR500を見る影もなくカスタムしちゃってる私にはその権利はないとそしる方もいらっしゃいましょうが、SRX-4はノーマルのまま乗っていたんですよ。というわけでGKデザイン創始者の榮久庵憲司氏に対する追悼文をAsphalt and Rubberより。
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工業デザインという仕事はあまり知られていないし、あまり評価されることもない。工場の中にあるものを適当に組み合わせるのだと思っている人もいれば、商品設計の一環だと思っている人もいる。しかし本当は大量生産の製品で人を幸せにする方法を表現するための果てしない探索なのである。

一般の人たちにとっては何を言っているんだろうという感じだろうし、気取った言い方に聞こえるだろう。しかしそれが真実なのだ。少なくとも日本の東京にあるGKデザイングループはそれを信じている。

あなたがバイク乗りならこの世界的に尊敬されるデザインスタジオにはなじみがあるだろう。彼らがデザインした2台目のバイク、YA-1(1958年)以降、ヤマハのマシンはGKがデザインしている。

日本製という言葉が意味するのが「安いが粗雑なコピー商品に過ぎない」というイメージだった時代に、ヤマハは財布だけではなく心もつかめるようなバイクを作ろうとしていたのだ。これこそが彼らの哲学「KANDO(感動)」である。

「感動」という言葉をざっくり訳すと、どきどきと満足が入り交じった気持ちということになるだろうか。そしてこれが今に至るまでのヤマハ発動機の根本理念となっているのだ。

昨今では口の巧さが先行するメディア戦略や綿密な心理調査に基づくマーケティングのせいでみんながうんざりしてしまっていて、こうした言葉も大げさに聞こえるだけかもしれない。グローバル企業がまたぞろ計算高いスローガンで利益を生み出そうとしていると思われるかもしれない。それもまた真実かもしれないが、別の視点から見てみると、彼らは心からそう思っていることがわかるはずだ。

ヤマハとGKデザインは長いこと素晴らしいものを生み出している。「感動」の精神を共有しているのだ。この精神的結びつきは非常に深く、だからこそ彼らの共同作業のすべて、つまりは彼らが生み出すバイクに反映されている。

精神的。それこそがGKの創始者榮久庵憲司を表す言葉だ。彼は僧侶になるべく学んでいた。その後アートの世界に入り、そしてデザインこそが人間を癒し幸せにするのだと気付いたのだ。現代社会では違和感のある考え方に見えるかもしれないが、戦後すぐの1950年代の日本では、こうやって自分を深く探求するのは普通のことだった。

同じ頃のイタリアもそうだったが、日本は復興が必要な時代だった。そしてイタリア人と同様に日本人も自らの技術と文化を見直していた。ヤマハとGKがテクノロジーと人間を研究することで素晴らしいバイクを作りあげようとしたのもこの流れのひとつなのだ。

GKとはグループ・コイケの略である。東京芸術大学の教授、小池岩太郎にちなんで名付けられた車名だ。彼がGKデザインの創始者となった4人のアーチストを育てたのである。そしてそのリーダーだったのが榮久庵憲司だ。

日本の大学を卒業した後、榮久庵はアメリカの有名なパサディナ・アートセンターカレッジに域、近代アメリカ工業デザインを学ぶこととなった。一緒に学んだ学生にはシド・ミードのような20世紀を代表するデザイナーがいる。


日本に戻ってきた榮久庵は、その頃立ち上がったばかりのヤマハ発動機にアピールするためにグループの力を結集して自動車デザインを提案する。両社のコラボレーションが熟成するまでにはその後何十年かを要しているが、しかし一旦それが結実するとヤマハは次々と革新的なバイクデザインを発表していくことになる。

こうした物語が雪に覆われたガレージにしまってある2015年型R1やYZ450Fに何の関係があるだろうと思われるかもしれない。しかしここから始まる物語こそが、なぜこういうデザインになったのか、どうしてこんな風に感じられるのか、こんな風に運転しやすいのかということを説明してくれるのである。


かつて日本製バイクのデザインはつまらないし、どこかで見たことのあるようなもので、何も感じられないと批判されていた。その頃ヨーロッパ製バイクは未来を予感させ、情熱にあふれていると言われていたものだ。

高名なイタリア人デザイナーのマッシモ・タンブリーニが去年急死した時には、かけがえのない彼の天才を惜しんで賞賛が送られたが、これもこうしたステレオタイプな考えにとらわれていたことは否めない。GK、そして他の日本製メーカーのアインを規定しているのは、一種の多文化性なのだ。

日本人というのは集団で働き、個人より集団を優先して考える。そして多神教文化を持ち、無生物にも魂が宿ると考えている。寺社や非常に精妙に作られた偶像は魂を持つのだ。そして機械も同じように魂を持つのである。

GKが目指していたのは人と機械の間の魂の交流なのだ。人間の身体と機械が血を通わせ合う。そして人間の魂がバイクによって昇華されるのだ。

日本の工業製品に対しては、気持ちが入っていない、しかも顔の見えない巨大企業が世界を支配しようとして作っているものだという偏見があるだろう。それは役員会議の場に関しては真実かもしれないが、GKデザインの人々はそこから遠く離れたところにいる。

僕が2000年にGKデザインのヨーロッパオフィスに入ったとき、きっとコンピュータに囲まれた真っ白なオフィスで白衣を着た技術者がものすごいバイクテクノロジーを扱っている図を想像していた。しかし驚いたことにGKデザイン・ヨーロッパはアムステルダムの下町の1階に居を構えていて、大きさと言えばスターバックスよりちょっと広いくらいだったのだ。

3人の常勤デザイナーが並んで座っている横に、大机があって、隅には空気の抜けたタイヤを履いたTDR250が置かれていた。コーヒーを飲みながらバイクの話をし、少し年をとった人たちは子供の話に花を咲かせ、毎年夏にはアッセンにレースを見に行った。

マネージング・ディレクターの石山篤が彼の机に飾っていたのは木製の額に入った空冷ドゥカティ単気筒である。スタジオには25人のデザイナーがひしめきあい、バンダイ製の小さなバイクのプラモやマンガのロボットが棚に所狭しと置かれていた。壁にはカスタムバイクや建築展のポスターが貼られ、笑顔の家族写真が机の上に散らかっている。

ヤマハのオフィスとは全くことなり、GKの東京のスタジオは騒がしくタバコの煙にまみれ、活気にあふれ、そしてカオスだった。GKダイナミクス(ヤマハ発動機のためのデザインに特化したGKグループの一社)で、最も重要な人物の一人、それがポニーテールの長身、田村純である。

今では管理者の立場となっているので、想像もつなかないだろうが、彼はスパイダーマンのコミックが大好きで、いつも笑っていて、デニムのジャケットにウェスタン風のシャツという格好だったのだ

そして何より多産でしかもとんでもなく影響力のあるデザイナーだった。2000年型R1、R7、ウォリアー、2005年型Fazer/FZ6、そしてあのMT-01などが彼の作品だ。MT-01が最もGKデザインのスピリット、そしてGKデザインの本質を象徴しているだろう。

MT-01は最初1999年の東京モーターショーでコンセプトバイクとして登場した。プッシュロッドのVツインエンジンとハイパフォーマンスに対する田村の愛がそのまま形になっているマシンだ。

ウォリアーは最新のスポーツバイクのテクノリジーを盛り込んだ現代型パワークルーザーのはしりである。既にウォ莉アーは形になっていたが田村はロング&ローなアメリカンを超えるマシンを作りたかったのだ。それがMT-01だったのだ。やりすぎとも言えるほど強調されたマッシブな1700ccエンジンをマンガ風ネイキッドデザインに搭載したマシンは、バランスの優れたシャーシも持っていた。

バズーカのようなエキゾーストはフレームに内蔵され、前にマシンを進めることに関係のないパーツはなにもかも極端に最小化されていた。その年のヤマハは99年型R6で量産市販車初となるLEDブレーキライトを導入し、そして03年型R6では4連プロジェクターヘッドライトをこれまた市販車で初めて導入することを目論んでいた。

このR6、デザイン的にはできる限りコンパクトに収めたかったが、手元にあるプロジェクターランプはコンパクトとは程遠い物だった。そいこで田村はおもしろい解決方法をみつける。クレイモデル完成締め切りの数日前、コーラを飲み干したときに、そのアルミ缶の凹面になった底部分がプロジェクターライトに丁度いいサイズだと気付いたのだ。

そこで彼は職人に頼んで缶を切ってもらい、内側を磨いてライトケースにそれをはめこんだのだ。クレイモデルに色がつくと、そのライト(缶)は素晴らしくフィットしていた。

このマシンのショーモデルの画像を検索すればコーラの缶がライトにはまっているのが見えるだろう。数年後に市販化されたのだ、それでもライトはコーク缶っぽさが残っている。

日本製という偏見を覆すようなネタはヤマハは他にもたくさんもっている。MT-03コンセプトについていたLEDヘッドランプはCATEYE製自転車用ライトからひっぺがしたものだ。1か月前に僕がアムステルダムの自転車ショーでみつけたものなのだが。

98年型R1のリアライトはかっこわるい黒いプラスチック製の箱に収められたつまらない丸いものだったが、なぜか90年代のバイクに大きな影響を与えてしまうことになった。

これを作ったデザイナーは、締め切り間際になるまでデザインができず、とにかくヤマハの役員に見せるまでに「何かライトっぽいものを作れ」と言われていたのだ。上司は彼に、まあそれほど重要じゃないし後からどうにでもなるからと言っていた。

そこでデザイナーは造形用の粘度を手に取った。それは円筒形だったので、とりあえず二枚ほど切り取ってみた。テールカウルしたの四角い箱はさっきの会議の直前にできたばかりだった。つまりは何のデザインコンセプトもない状態だったのだ。

しかし役員会はそれを気に入ってしまった。リアの二つの丸が象徴的に見えてしまったのだ。その控えめなデザインが気に入ったらしい。あるヨーロッパ人デザイナーは、このリアライトのおかげでバイク全体に意図が見えるとまで言った。結局そのデザインは変更されることはなかった。

GKは世界中にオフィスをもっていて、それぞれがその市場に向けたヤマハのバイクのデザインを行っている。タイの小さなスタジオは東南アジア向け「KANDO」デザインを引き受けているがが、実は東南アジアは世界第2位の市場規模なのである。

ロサンゼルスではGKDIがヤマハのアメリカンモデルとオフロードバック、そしてスノーモービルのデザインを行っている。南カリフォルニアの人間にスノーモービルのデザインがどうしてできるのかは謎だが。アムステルダムのGKデザイン・ヨーロッパはヨーロッパ向けマシンのデザインをやっている。

どのスタジオもヤマハとは直接の関係がないのもおもしろい事実だ。GKデザイングループは100%独立の企業なのである。もちろんヤマハからの発注にかなりの部分を頼ってはいるのだが。

日本企業ではこうしたことは良くあることで、安全性を担保しながらデザイン的には冒険をするのである。

GKがその好例だ。GKでデザインとして正しいと信じているのであれば、ヤマハのマーケティング部門や予算管理部門はそれに反対だと思っていても手を出しにくいのだ。他の企業ではなかなかそうはいかないだろう。

ヤマハのバイクは他のメーカーよりかっこいいか?ヤマハのデザインはヨーロッパのメーカーとも比較できるほど素晴らしいか?まあその答えは人によって違うだろうが、僕はGKが最高の西欧の天才たちが作るヨーロッパのデザイナーブランドに対抗できると考えている。

ドゥカティ1098をデザインしたジャンアンドレア・ファブッロはイタリアのメディアにタイして、R7を目指しているのだと語っていた。彼らのスタジオにあって、常に参照される唯一の外国製バイクである。

これもドゥカティの人下であるが、デザイナーのバート・J・グロエスベークはGKデザインヨーロッパでヤマハBT1100ロードスターをデザインしていた。そしてその影響がモンスターとディアヴェルに現れている。

そして何より象徴的なのは2002年型R1だろう。ミラノのEICMAショーで2001年に登場したときには「最高に美しいバイク」と称された。イタリア製バイク以外でこんなことを言われたのは始めてである。

真実というのはまあ個人的な意見に過ぎないとも言える。ブッダもそう言っている。GKのバイクデザインに対するアプローチは、自然界の美と、人がバイクに乗って感じる気持ちを融合して形にしようというものである。

この哲学が、現代の恐ろしいほどの技術が注ぎ込まれた日本製バイクに注ぎ込まれるのだ。それがGKが追求する真実である。毎回それが成功して、世界中のバイク乗りが畏敬の念に打たれるようなデザインになるとは限らないが、うまくいったときは魂の高ぶりを感じるようなものができるのである。


榮久庵サンをひと言で表すのは難しい。しかし彼はとても暖かい人で、人生と美に対する情熱にあふれていた。彼に3回も会うことができた僕は幸せ者である。彼はいつもにこにこしていて、そして瞳は常に輝いていた。バイクのことは語らず、良い形とは何か、そしてその意味とは何か、ということについて語ってくれた。

僕は若く、デザイナーとしての経験も積んでいなかった。ヤマハとその世界ビジネスの大きさに圧倒されていた。榮久庵サンがそこで僕に多様な視点を与えてくれたのだ。

GKデザインが考えるバイクとは、魂のポテンシャルを広げてくれるものなのだ。そして醒めた西洋人には陳腐な話に聞こえるだろうが、榮久庵サンがいてくれたことで、僕らはそれを信じることができたのだ。

僕は自分が引く線、一本一本に魂を込めるようにしていた。GKデザイン・グループは僕がいままでしてきた仕事の中で最高の場所だった。心からGKが懐かしい。みんなが榮久庵憲司がいなくなって辛く思っているだろう。そして彼が世界中のバイクデザインに与えた影響に思いを馳せるのだ。

終わりに
ほとんどのメディアは取り上げなかったが、去年、悲しいニュースを耳にした。ヤマハの株の一部を持つトヨタが、バイクのデザインも4輪デザインの支配下に置くと言ったのである。つまり50年にもわたる協働作業を成功させてきたGKを排除するということだ。

かつての同僚と話をした。彼らは仕事を失った以上に消沈していた。人生の喜びのために作られるヤマハの製品が、カローラとかカムリのようなつまらない製品のついでにデザインされるなんてことがあっていいのだろうか。榮久庵サンの哲学はもう継承されないということではないか。

GKデザイングループは続いていくだろう。専門特化した部門をいくつも持っているから大丈夫だろう。そしてこれからも日本や世界に影響を与え続けていくだろう。

ちなみに英語版Wikipediaの榮久庵憲司のページはずいぶん情報が少なく、大メディアの情報にまどわされているようだ。榮久庵サンがV-Maxをデザインしたわけではないし、それどころか1965年以降はバイクデザインには直接携わってはいない。

デザイン事務所にはよくあることだが、主宰がチームの仕事に責任を持つことになる。別に榮久庵サンをくさしたいわけではない。むしろチームとしてのGKを賞賛したいのだ。GKには何人もの才能ある出会いナーがいて、名前は表にでないが、すばらしいデザインを何年にもわたって生み出し続けているのだ。

本記事の筆者マイケル・ウラリックは国際的な賞も獲っているバイクデザイナーで業界アナリストだが、14年にわたってアジアやヨーロッパ、北アメリカ向けのデザインを企業のためにやっている。

さらに彼はパートナーのケヴィン・オニールとともに、アマロック・レーシング・チームのためにP1電動バイクの開発を行っている。彼はカナダ、ノヴァ・スコシア州のハリファックスに家族と共に住んでいるが、ここもまたバイク業界の中心から遥かに離れた場所である。これも何かの偶然かもしれないし、まあそうでないかもしれない。
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ちなみにトヨタがヤマハのデザインを管理するというのはこの記事ですかね。むぅぅ。

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これまで見たことがないほど馬鹿馬鹿しい出来事

私も含めて世界中のかなりの人が盛り上がりを見せているカワサキH2ですが、これを肴にバイラルマーケティングについてAsphalt & Rubberが書いてます。ちょっと迷いましたが、いろいろ考えさせられる記事なので訳しましょう。
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Asphalt & Rubberを始めてからバイク業界の様々な出来事を見てきたが、こういうことは初めてである。この秋になってから当サイトにも近日デビューする新型バイクについての投稿が多くなっている。今日もそうしたネタがたくさん寄せられた。

今朝は熱心な読者と称する熱い投稿をいただいた(これで2人目だ)。なぜスーパーチャージエンジンの新型カワサキH2について話題にしないかというのだ。インターネットでもバイラル的に広まっているとその投稿は語っていた。その主張を裏付けるかのようにその投稿にはH2に関するフォーラムのFacebookページへのリンクが貼ってある。今回のH2の情報の発信元へのリンクのようだ。

しかし私たちの大量のRSSフィード(今では600サイトほどをカバーしている)を見ても、その「バイラル」話はMotorcycle.comしか取り上げていない。その記事には「カワサキの尖ったスポーツバイク、H2についての内部情報」とのタイトルがついているが、執筆者は愛すべき「Motorcycle.comスタッフ」で、プロっぽく、いたる所クエスチョンマークだらけだ。

Motorcycle.comはアクセスを稼いでいるだろう(私は本心で言っている)。しかし私にはひとつのサイトしか取り上げていない事象をバイラルと呼ぶ習慣はない。まあそれはさておき、誇張というのも一種の駆け引きのひとつではあるのだ。

良い編集者であるべく、私はストーリーを深掘りすることにしている。しかし今回調べてみた結果に私は暗い気持ちになったのである。

投稿にあった「内部情報」に関するサイトは2週間ほど前にできた掲示板だ。現時点で51人が69スレッドで318本の投稿となっている。まあこうしたフォーラムサイトの初期にはよくある感じだ(私もこうした経験はしている)。

そして内部情報の投稿者はここでは初めての投稿で、この投稿しかしていない。参考までにハンドルネームの「Nessuno」とはイタリア語で「名無しさん」という意味だ。

つまり匿名のイタリア語を話す誰かが今まで聞いたこともないウェブサイトに「川崎重工に繋がりのある友人の友人」の話として新型バイクの詳細を投稿しているということなのである。むぅ、まあいいだろう。これはインターネットで日々起こっていることではないか。

調べてみた
ここまで言っていなかったが投稿にはリンクが貼ってあった。ここで問題にしている掲示板とMotorcycle.comへのリンクだ。どちらもVerticalSope(バーティカルスコープ)社のものである。バイク業界の最大のプレイヤーのひとつとしてバーティカルスコープは2輪関連のメジャーな掲示板のほとんどを所有している。Motorcycle.comもそうだ。さらには私たちに1日2回投稿するような人(複数かもしれない)も雇っているということだ。

当サイトの投稿ページへでは発信元の信頼性を担保するために常にIPアドレスを記録している。今回の自称「熱心な読者」からの投稿は74.213.184.33からのものだった。

検索してみるとこの投稿はバーティカルスコープが運用するコンピュータから発信されたもので、投稿者であるマークもマイケルもどちらも同じIPアドレスからの投稿だった。発信元のメールアドレスは変えてあったが、どちらもH2について記事にするように頼んできている。むぅ、実に興味深い。

つまりどういうことか
まあ要するにバーティカルスコープ社の誰か一人が同社が立ち上げたサイトで「バイラル的に広まっている」話をうちに投稿してきたということだ。さらにその投稿にはバーティカルスコープ社が所有する2つのサイトへのリンクが貼ってある。内容について言えば、同社のスタッフによる記事はこの「バイラルストーリー」について匿名の同じ筆者が書いているものだけである。

残念なことにMotorcycle.comの「スタッフ」というのは署名付きの記事が書けないほどの臆病者であり、「このマシンはこれまでで最速・最強のカワサキになるに違いないと思われる」としか言っていない。つまり彼らはジャーナリズムの第一のルールである、ソースを確認するということをやっていないということである。

ジャーナリストの口から出る最も上手なマーケティング的欺瞞
これがマーケティングのための誇張であることがわかったのは良かった。結局のところ書いてあるエンジン排気量やらエンジン設計やら出力馬力やらは私の猫がTumblerで記録する程度の信頼性しかないからだ。

昨日褒めたサイトや雑誌だとしても、それが私が見てきた中で最も怠惰なバイクジャーナリズムの結果であるなら批判することだって厭わない。しかしそれがバイクジャーナリズム業界で起こっていることでもあるのだ。

問題はしかし、もっと大きなことが起こりつつあるるかもしれないということ
インターネットでの情報すっぱ抜きはこれまでよくあったことだし、その多くが掲示板サイトでなされてというのも事実である。しかし真実を知っているという誰かが50人のメンバーと70のスレッドしかない掲示板に投稿するというのはどういうことだろう(しかもそのほとんどにレスがついていないことも付け加えておこう)。

本来ならより明るい光に引き寄せられる蛾のように、何万人ものユーザーを誇るKawiForum(これもバーティカルスコープ社のものだが)に行くべきではないか。しかしカワサキH2に興味のある人を新たなサイトに集めたいと思うのであれば、今回のような投稿をするのはうまいやり方ではある。

投稿者についてもう少し考えを巡らせると、この「名無しさん」がカワサキではなくKHI(訳注:川崎重工の略)と表現しているのも不思議ではある。カワサキというのが普通の言い方ではないか。KHというのはH2のマーケティングで多用される言い方で、タービンについての川崎重工の経験を強調して宣伝しているときに使われているのだ。カワサキというすばらしいバイクメーカーの重要性はここでは強調されていない。

バイク業界で責任を持つべき企業がマーケティング重視の信頼性のない記事に我々を誘導しようと画策しているという事実には心からがっかりする。

最もいいシナリオならMotorcycle.comがくだらない記事を書いているということに留まるが、最悪の場合、バーティカルスコープ社とその支配下にあるサイトが誰ともしれない「名無しさん」の言葉を全力で広めようとしているということもあり得るのだ。
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要するに「工作員乙」と言ってる記事なんですが、誰が雇った工作員かはとても重要。

ちなみに私はH2が3気筒であることを心から願っているのですが、たぶん4気筒なんですよね。

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2st6気筒750cc!

RG500のエンジンを1.5倍にして作った2st6気筒750ccマシン!後ろから見ると時計回りにマフラーが1本、2本、3本となっているところが震えるかっこよさです。リンク先のfacebookから訳出。詳しい内容はこちらにも。
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そろそろ世界に公開するころだろう。CoMotor製RG750だ、これは90年代に着手され2000年代に完成した。RG500のエンジンにコピーしたシリンダーをつけて、さらにワンオフのギアボックスとクランクケース、点火システムをそなえている。

スペック概要は以下の通りだ。さらにその下にマシンの歴史を記載する。

・165馬力 160kg
・ハリス製YZR500用フレーム改
・ハリス製ワンオフGPラジエター
・RG750カスタムエンジン(RG500+追加クランク+追加シリンダー×2)
・RGB500乾式クラッチ
・APレーシング製ブレーキディスク&6ポットブレーキ
・マルケジーニホイール
・オーリンスGPフォーク&リアサス
・カスタムカーボンファイバーカウル
・カスタムフルプログラマブルFI点火装置
・カスタムチタニウムエキパイ

レス・コーという名の男がバイクをほしいのだがぐっとくるものがないと言い出した1993年がこのプロジェクトの始まりだ。彼は2ストロークのマシンがほしかったのだが、当時2ストはすでに絶滅の危機に瀕していた。ヤマハTZで70年代にレースをしていた彼はエキパイで有名なピート・ギブソンやロータスカーズの2ストの天才デイヴ・ブランデルやハリス兄弟と知り合いだった。公道用GPマシンを作りたいなら誰もが知り合いたいと思う面々だ。当時はまだRG500エンジンがロードゴーイングレーサーの間ではよく使われていることから、彼もそれを使うことにした。デイヴ・ブランデルがシリンダーの鋳造でレスを手伝い、オリジナルの4気筒110馬力を6気筒165馬力にスープアップした。新たなクランクとプライマリギアを組み込むのには多大な労力を要することとなった。RG500のクランクケースは新規鋳造ではなく改造で対応しているためオリジナルのスズキのパーツが多数使われている。2気筒分が追加されたことにより角度の狭角の広いデルタ型のV4エンジンをもつそれは「CoMotorデルタ6」と名付けられた。

エンジンができたら次はハリス兄弟社製YZR500フレームへのマウントだ。当時彼らはプライベーターのためのヤマハ用レーシングスペックのフレームを作成していた。これも改造で対応しているが、実に複雑な仕事となった。サイドマウントのロータリーバルブ用キャブが邪魔になったのだ。オリジナルのウォーターポンプはスイスオート社製のGPポンプに換装された。これは後付けの2気筒分に冷却液を供給するためだ。同じ理由でハリソン社製のGPラジエターが採用され、オリジナルの110馬力から165馬力にパワーアップしたエンジンを効率的に冷やしている。RG500のオリジナルピルポンプは2基とりつけられ、充分な潤滑を保証している。残りの部分はお金さえあればなんとかなるものだ。マルケジーニのホイール、オーリンスのフロントサスとリアサス。APのディスクには6ポットのキャリパーが組み合わされる。電気系で最高のパーツはF1用イグニッションである。当初はオリジナルの360度点火だったが、最終的には2気筒ずつ3組のシリンダーに最適になるよう180度点火とされた。カーボンファイバー製のエアダクトはキャブに十分な量の空気を供給することができる。RGB500のクラッチによりパワーは確実にリアホイールに伝達される。

次に注目すべきはピート・ギブソンの手になるエキゾーストだろう。フルチタニウムにカーボンのマフラーがついている挑戦的なものだ。レスはTZ750を愛していたことから、エキパイは基本サイド出しにすることになった。そしてボルトやナットにいたるまでチタンが贅沢に使われている。

FRZのプロジェクターヘッドランプは巧妙にノーズ部分に隠され、必要となればチタン製のメカニズムを介してポップアップするようになっている。ボディワークはカーボン/ケブラーで構成されマシンの軽さと機動性を担保している。

マシンが完成すると、予定していなかったがダイノマシンに乗せられたが、3本のクランクにつながるプライマリシャフトが素材の問題で破損してしまった。結局CNCシャフトに換装されることになる。全てのシリンダーに火が入ると160馬力160kg、つまりパワーウェイトレシオが1kg/馬力ということになる。これはS1000RRに匹敵する性能だ。500cc時代のGPバイクの180馬力、145kgにも近い数値である。信じられないプロジェクトで、情熱がなければとても実現できないきちがい沙汰だが、55,000ポンド(訳注:邦貨換算950万円)の値がついている。自分でやろうとしても無理な値段だろう。
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かっこいいなあ。

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備忘:バリューチェーンに顧客を位置づける話

ツイッターの自分のつぶやきのまとめ。

レースって思い出/思い返しも含めて最終製品だと思う。つまり顧客の思い出というパーツがはまって初めて完成するということ。そこをコントロールできなかったら製品が完成しないということでもある。顧客をバリューチェーンの仕上げ段階に組み込むことはできないものか?

例えばバイクという商品もそう。(カブを除けば)実用品ではないのだから顧客のライフスタイルを完成させることがバイクとしての製品の完成だと思う。つまりライフスタイルを作る顧客もバリューチェーンの一部ということ。

バリューチェーンという概念が企業を越えて上流のサプライヤを巻き込んでサプライチェーンマネジメントという概念ができたのと同様に、下流に概念を拡張して例えば「カスタマー・チェーンマネジメント」みたいなことはできないものか?実際ハーレーがやってるのはそれ。

(後からつけた注:CRMとは微妙に違って、顧客をコントロールするというより、顧客のライフスタイルも含めて最終製品という感じ。だからあくまでVCM:バリューチェーンマネジメントの枠組み)

バイクならライフスタイルをバイクとともに作った顧客、レースなら月曜に職場で昨日のサーキットを反芻してにんまりしている顧客が最終製品=ショーケースということ。だからショールームにある車を磨き上げるように、製品をうちに持ち帰った顧客を「磨き上げたい」

(後からつけた注:磨き上げたいというのはややおこがましい。むしろ顧客に磨き上げてもらうことで製品が完成するということ。だから企業外のサプライヤに精度の高い良い製品を作ってもらうにはどうしたらいいかを考えるのと同じように、顧客に素敵なライフスタイルを作ってもらうにはどうすればいいか真剣に考えないといけない。「Nicest People on Honda」ってのもヒントになるかも。つまりはホンダに乗ってNiceな人になろうということでもある。で、Hondaに乗ってるナイスな人がショーケース。バイクは売って終わりじゃなくて、バイクに乗って人生を楽しんでいる人を見て「ああ、ああいう風になりたいな」と思ってもらえて初めて売った意義があるという感じ)

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ミゲール・ガルッツィへのインタビュー

世間はカル・クラッチローのLCR入りの噂で持ちきりですが、当サイトはもう少し様子見します。というわけで、夏休み企画、ドゥカティ・モンスターやらホンダVTR250(要出典)のデザイナーであるミゲール・ガルッツィへのインタビューをCycle Worldより。
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カリフォルニアというのは創造性に満ちあふれた土地である。超先進的なテクノロジーと革新的なデザインでいっぱいだ。世界中の自動車会社がデザインセンターを設置し、すばらしい成果を挙げている。一方、バイクメーカーはそれに比べるとかなり消極的だが、ピアジオはカリフォルニア、パサデナのコロラド大通りに研究開発センターを持っている。ピアジオ・アドヴァンスト・デザイン・センター(PADC)と名付けられたそれは2013年に最高経営責任者のロベルト・コラニノが、イタリア、そしておそらくヨーロッパ全域で行われているこれまでのアプローチではバイク産業が袋小路に入ってしまうと考えて設置されたものである。

コラニノがPADCのトップに据えたのはミゲール・ガルッツィ。最高のバイクデザイナーである彼は1959年、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれである。パサデナの高名なアート・カレッジ・オブ・デザインを卒業したこともあり、当地には元から強い繋がりがあった。卒業後、ガルッツィは1986年にヨーロッパに渡り、GMのドイツ支社、すなわちオペルで働き始めた。そしてホンダに移り600cc単気筒マシンのプロジェクトにたずさわる。彼がチャンスをつかんだのは1989年に当時ドゥカティとモトモリーニを傘下に収めていたカジバグループに移ってからのことだ。

カジバでガルッツィはドゥカティを救うことになるモンスターをデザインしたのだ。ガルッツィは言う。「でもドゥカティではあんまり楽しくなかったですね。それでクラウディオ・カスティリョーニ(訳注:カジバの創業者)にヴァレーゼのカジバに行かせてくれって頼んだんです」。そしてカジバがドゥカティを売却した後に、モンスターの発展形とも言えるラプトールとエクストラ・ラプトールをデザインした。

カジバでクラウディオ・カスティリョーニと良い関係を築いたガルッツィは、カスティリョーニのバイクへの情熱にも充分触れることになった。2006年にはガルッツィはピアジオグループに移籍し、そこで会社が倒産するのではないかという心配から解放され、思う存分腕をふるうことになる。ガルッツィの最近の作品としてはアプリリア・ドルソデュロ、すばらしい、RSV4、そしてモトグッツィのカリフォルニアとそのツーリングバージョンやカスタムバージョンがある。

そして2013年にガルッツィはパサデナに戻ってきた。彼の息子たちが当地の大学に入学したので、彼も家族と一緒に過ごしたかったのだ。インターネットのおかげで世界中のどこでも好きなところにオフィスを構えて、アイディアや情報をやりとりできる。そこでコラニノはパサデナにPADCを作ることに同意したのだ。コラニノの考えではPADCは単なるデザインセンターではなく、ガルッツィがイタリアやアジアに拠点を置くピアジオのデザイン部門の全体をコーディネートする場でもある。そしてさらに重要なことに、ガルッツィによれば、彼はPADCでデザインと技術の新たなトレンドを分析し、バイク産業の新たな可能性を探るのだという。彼は4人のデザイナーを率いると同時に、最高の研究開発をマネジメントすることになっている。

「クラウディオ・カスティリョーニと一緒に仕事をするのはとても楽しかったですね。火山のように新たなアイディアが次から次へと湧いてくるんです。とんでもないアイディアもありましたけど、そういうものこそが革新的なコンセプトの基になるんですよ。でもクラウディオは自分の創造性とか情熱に財政的な制限をつけるのを良く忘れちゃうんですよね。びっくりしたのは燃えるようなイメージと投影するわけでもないのに、コラニノさんには真の洞察力があるってことですね。個人用交通手段に関しては的確に未来を見通せるんです。クラウディオとは違って予算にも目配りができますしね。起業家としては絶対必要なことなんですけども。
 ピアジオのバイク部門を10年で大改革しようとしているんです。それでここにいるんですよ。スクーター関連はすごく好調なんで、私はモトグッツィとアプリリアに注力しています。これから5年間で新車攻勢をかけますよ。しかもみんな革新的な技術を搭載している。あと生産工程も革新的なものになります。考えてみて下さい。何年もの間同じ部品で同じ素材で同じ供給会社でコストがかさんでいく。でバイクの値段はバイク自身の魅力を越えてしまうんです。もっと安価に同じ部品を作る方法を考えないといけない。でないとみんなの希望に応えられないんです。最近出てきた3Dプリンタは無限の可能性を秘めていますね」

マツダ・レースウェイ・ラグナセカでのワールドスーパーバイクにはピアジオの幹部と研究開発部門ののメンバーが集まってミーティングを開いたそうだ。「僕は『とにかくとんでもないアイディアを出し合って、自分の欲望や夢を形にする最高にクレイジーなものを作ろう』って言ったんです。でも誰もほんとうにとんでもないっていうアイディアを出さなくてびっくりしたんですyほ。だから僕がここにいるんですけどね。若いデザイナーや学生さんたちと一緒に働くのに意義があるんです。彼らはこの危機の時代に生きていて、しかも自分たちの創造性でそれを乗り切ってきているんです。
 バイクがちょっと知性的に、ちょっと合理的に、ちょっと機能的になりすぎているって感じているもいると思います。そういうのがバイクをつまらなくしてるんですよね。ホンダがコンパクトで、楽しくて、乗りやすくて、壊れないバイクを持ち込んできたときに新しい時代が始まったんです。で、なんの手もかからない楽なバイクの時代が始まった。どのバイクもそんな感じですよね。なんか閉じてしまってるんです。今動き出している新しいコンセプトや新しい技術にはすごい可能性が秘められています。あらゆる新しい可能性をとらえて、ピアジオに導入したいんです。それとこれはすごい挑戦なんです。コラニノさんはその機会を与えてくれた。最高の未来予測です。次のEICMA(訳注:ミラノモーターショー)には新しいのもをお見せできると思いますよ」

今年で100周年となるEICMAは11月4-9日で開催される。
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トップデザイナーが家族と過ごしたいからって理由でそこにデザインセンターを作っちゃうってすごい、すごい!

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化学合成油 vs. 鉱物油

常に口プロレスのネタとなるバイクのオイル。値段や添加剤や粘度や、そしてそれ以前に化学合成がいいのか鉱物油がいいのかというのもよく話題になりますね。古いバイクや車には鉱物油がいいというのも時々ききますし。

そんな中、Cycle Worldに技術系にめっぽう強いKevin Cameron氏が記事を書いていますので訳出。
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質問:初期の頃からケヴィンの記事を楽しんでいます。さて、化学合成油がいいのか鉱物油がいいのか良く議論になりますが、ケヴィンのご意見をうかがわせてください。 マーク・モラン

答え:これは良くきかれる質問です。ごくまれな例外を除いては化学合成油でないとだめなエンジンというのはありません。指定されていれば化学合成油で決まりですが、それ以外の場合はエンジンメーカーは単に粘度(5W-30等)とAPI企画(SJ等)を指定しているだけで、鉱物油にするか化学合成油にするかはオーナー次第です。

その理由を理解してもらうために、まずは潤滑には3タイプあるということを説明したいと思います。

1)完全にカバーされて液体で潤滑されている状態
 パーツの動きが速く、しかもオイルの粘度が充分高くて金属に貼りつく状態なら、負荷の掛かるところに必要な早さでオイルがわたり、パーツ同士(クランク軸とベアリング、ピストンリングとシリンダー壁、カムとタペット等々)の隙間にオイルが入ることで直接パーツがふれあわないようにすることができます。この時の摩擦は非常に小さく、普通はオイルなしの場合の1000分の1程度となります。

2)一部がオイルでカバーされている状態
 負荷の一部がオイルの膜に、一部がパーツ同士の直接接触にかかっている状態。これは始動時、オイルが全てのパーツに行き渡る前や、負荷がかかり過ぎたとき、そして粘度が低すぎたりパーツの動きが遅すぎたりしてオイルの膜が全体に行き渡らないときに起こります。

3)直接接触
 オイルの膜が切れてしまい、パーツ同士が直接接触している状態です。もちろんいい状態ではないですが、実際には思ったほどにはひどいことにはなりません。最近のオイルは表面に付着してオイルの代わりをする添加剤や表面コーティングをする添加剤が入っているからです。こうした化学物質のおかげで、実際に金属同士がこすれあうのに比べれば摩擦ははるかに小さくなっています。この場合の摩擦は1)に比べれば10〜100倍は大きいのですが、それでもダメージを防止したり、大きく減らしたりできるくらいには小さい物です。1)の完全にカバーされている状態ではパーツが動きに伴い粘度の充分高いオイルが負荷を支えています。つまりエンジンメーカーが指定する粘度のオイルなら、その働きは充分ということなのです。この観点からは鉱物油に対して化学合成油が特に優れているというわけではないのです。

一方、粘度というのは温度によって変化します。そして温度による粘度変化を表したものが粘度指数です。マルチグレードのオイルというのはベースオイルに粘度指標を変える物質を添加した物なのです。私の両親の時代、1950年代には冬に車を始動させるのは一苦労でした。当時は30Wというシングルグレードのオイルで、低温では粘度が高くて6Vのスターターではエンジンを回すことができなかったのです。マルチグレードのオイル、例えば10W-40は華氏0度(-17.8℃)で10Wのオイルと同じような粘度変化をし、華氏212℃(100℃)では40Wのオイルと同じ粘度変化をするものです。これは温度が上がると粘度が上がるという意味ではなく、100℃のときでも40Wと同程度の粘度にまでしか落ちないため100℃の10Wより粘度が高いということを示しています。

そういうわけでオイルのパッケージに示された粘度指標は華氏0度(-17.8℃)での粘度変化(10W-40なら10Wと同じ)と華氏212度(100℃)での粘度変化(10W-40なら40Wと同じ)を示しているということです。オイルの分子は長鎖炭化水素です。化学合成油と鉱物油の違いは、軍隊の兵隊に例えられます。鉱物油の分子は実際の兵隊と同じようにそれぞれ異なっていますが、化学合成油の分子はクローンの軍隊のようにすべて同一なのです。

しかしそれ以外にも違いがあります。オイルの分子は高負荷の剪断(ギアの咬合やプレッシャーリリーフバルブ等)によって小さい分子に壊れていきます。そして粘度が失われていくのです(オイル分子の長さが短くなればなるほど粘度は下がります)。化学合成オイルはたいていの場合鉱物油よりこの粘度の低下が少ないのですが、採掘された石油からできている鉱物油だろうが、単一の分子で構成される化学合成油だろうがいずれにせよオイルはすべて長鎖炭化水素でできているということも忘れてはいけません。オイルは魔法ではないのです。最近では鉱物油も化学合成油と同様に分子サイズも揃ってきていますし、耐久性も上がっています。

オーナーズマニュアル通りのオイル交換時期を守れば、粘度の低下は充分許容範囲です。にもかかわらず多くの人が(ディーラでさえも!)3000マイル(4800km)か、それ以下でオイルを交換すべきだと思っていますね。

じゃあ化学合成油の優れた点って?
化学合成油が特に優れているのは温度耐性です。ジェットエンジンの黎明期には高温になるsy夫とベアリングやアクセサリードライブを潤滑するのには鉱物油ベースのオイルしかありませんでした。しかしジェットエンジンの開発が進むと、オイル全体の温度が上がるようになり、オイルの熱による劣化が問題となってきたのです。激しい高温でオイル分子が切れてしまったり、重合してゴム化したり、なくなってしまったりということが起こりました。

その代替品として何種類もの化学合成油が試され、タービンオイルのベースとしてはジエステルが使われるようになりました。以来、オイルの温度が高温になる度に、より高温に耐えられる、たとえばネオペンチル型ポリオールエステルが使われるようになってきています。オイル全体の温度が上がると、より高温に耐えられる化学合成油が開発されてきたのです。これはつまり重いトレーラーを引いて南西部の夏を走る普通のファミリーカーの方がたいていのバイク(普通は効率的なオイルクーラーがついていますから)より化学合成油の必要性が高いということです。

化学合成油は自動車/バイクのエンジンに有用な物であることが証明されましたが、しかし鉱物油用に開発された添加剤の中には化学合成油では代替できない成分が含まれていることもありました。そこで新たな化学物質が化学合成油の信頼性を高めるために開発されるようになりました。同時にこうした物質は鉱物油にも使われるようになり、結果として安い添加剤を入れた化学合成油より、良い添加剤を入れた鉱物油の方が性能が出ることにもなりました。API(米国石油協会)が決めたオイルのグレード(SJといったもの)は、そのオイルが耐久性、潤滑製、耐酸化性、溶解性、耐腐食性といった様々なテストを通っていることを示しています。こうした性能はオイルへの添加物で実現されるもので、オイルそれ自体からくるものではないのです。

つまりはこういうことです。オーナーズマニュアルで化学合成指定となっていない限り、お好きなものをお使いください。ライダーの中にはエンジンに何か良いことをしようと思って化学合成油に高いお金を喜んで払う人もいますし、頻繁にオイルを交換する人もいます。それで気持ちが良くなるし、エンジンにも害はないのですからいいのではないでしょうか。そういういことに肩をすくめて、マニュアルに書かれているオイルで満足する人もいます。マニュアルに書かれていることはエンジンメーカーが多大な労力をかけてオイルのテストをした結果なのだから、それはそれでいいでしょう。

エンジンが摩耗するのはコールドスタートの後の数分間です。その後はオイルが全体に回るのです。つまりエンジンの摩耗を防ぐのは添加物であって、エンジンオイルの分子が鉱物由来であろうが化学合成であろうが、どちらでも同じなのです。
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なるほどなるほど。

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バイクの未来!

2014年のマン島TT。電動バイククラスのTT ZEROでジョン・マクギネスが無限製の神電参に乗ってラップレコードを破り優勝しています。そのオンボード映像がこちら(フルスクリーン推奨!)。

基本風切り音ばっかりなんですが、コーナーで聞こえるモーター音はぞくぞくするほどかっこいいです。バイクの未来は確かにここにある!って感じ。

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ガイ・マーティンがパイクス・ピークに!


Asphalt & Rubber
より。
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マン島TTの有名レーサー、理解しがたい人物だが一目見れば愛さずにはいられない男、ガイ・マーティンが2014年のパイクス・ピーク・国際ヒルクライムレースに出場するようだ。マン島TTのスターであり、マン島では勝ちがないがおそらくマウンテンコース最速のレーサーである彼がいよいよ「天空へのレース」に出るとのことである。

パイクス・ピークの主催者はこのアメリカらしい伝統的なレースの国際的地位を高めるため、そして新たな息吹を吹き込むためにマン島レーサーの出場を模索してきた。

我々の情報源によれば、最も誘いたかったのがガイ・マーティンだということだ。彼は映画「クローサー・トゥ・ザ・エッジ」の主人公の一人なのだ。そしてその努力は報われたようだ。

マーティンが第92回パイクス・ピークで乗るのは1992年型GSX-R1100.マーテック製フレームにターボチャージャーを組み合わせた、もちろん自作マシンである。彼はカーリン・ダンが2012年にドゥカティのマルチストラーダ1200で記録した2輪車の記録9分52秒819を破るべく必死のチャレンジをしてくるだろう。

10分を切ったのはカーリン・ダンとグレッグ・トレイシーの2名だけである。去年の暖はもう少しで2012年の再現をするところだった。この時乗ったのはライトニング電気スーパーバイクであり、路面コンディションは最悪だった。

現時点ではマーティンがどのチームで走るのかは未確定だし、彼のマーテック製マシンがどこまで戦闘力があるかも不明である。我々の最新情報ではマーティンの手になるターボマシンは320馬力を発揮しており、現在開発中のニトロシステムにより500馬力を目標としているとのことだ。

勝とうが負けようがこのモンスターマシンとガイ・マーティンは一見の価値ありである。観戦は是非観戦エリアからお願いしたい。(ソース:Road & Track
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500馬力ってwww。

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マッシモ・タンブリーニが亡くなりました

マッシモ・タンブリーニが4月5日に亡くなりました。とても素敵な(本当に素敵なとしか言いようのない)バイクを、しかもたくさん設計した方です。CycleWorldに友人のBruno de Prato氏が追悼記事を書いているので訳出。
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私の偉大なる友人、そしてドゥカティ916を設計したマッシモ・タンブリーニが昨晩世を去った。彼が不調を感じ始めたのは11月だったが、彼は単に悪い風邪にかかって熱が出ただけだと思っていた。しかし回復が思ったより遅く、検査に行くと肺がんであることがわかったのだ。彼の家で大晦日のパーティーが行われなかったのはこの数年で初めてのことだった。その頃から彼は集中的な化学療法をサンマリノの彼の自宅近くの先端的医療機関で受け続けた。

彼が間違いなく最高の医療を受けていることを確認するために、私は彼をミラノのがんセンターに紹介した。医師たちは彼のがんには化学療法が最適であると保証してくれた。たぶん彼にいくばくかの希望を与えるために言ったのだろう。希望は回復には効果的だからだ。

残念なことにマッシモの健康は回復しなかった。彼に電話をするたび、彼の声からは弱々しくなっていた。ひどく辛かった。希望はどんどん失われていき、そしてついに今朝彼が亡くなったことが発表されたのだ。

マッシモ・タンブリーニはバイクフレームの最高の設計者として記憶されることになるだろう。しかも彼は最高のスタイリングデザイナーでもあった。彼は魔法の手を持っていた。そしてそれに劣らないほどの情熱と仕事への傾注。しかし彼を知る人は誰もが彼の倫理感と忠誠心は賞賛するだろう。歯に衣着せぬもの言いだったが、最高に優しい人だった。

彼の最初の仕事はMVアグスタ750Sportの改造だった。1971年に自分で溶接したフレームを使ったものである。ビモータ社をモーリ、ビアンキの2人と設立した後も、フレームは自分で溶接していたのだ。当初はのツインスパーの(訳注:パイプ)フレームを設計し、それをモノショックのリアサス用に修正した。そして、忠義な男によくあることだが、タンブリーニはパートナーに裏切られビモータを離れることとなった。彼はクラウディオ・カスティオリオーニに雇われ、カジバのマネジメントを任された。そしてカジバグループのMVアグスタではF4 750を設計、ドゥカティにはパゾ750を設計した。そして彼の最高傑作と言われるドゥカティ916を設計するのだ。スーパーバイクのデザインとしてこれを越えるものは未だに現れていない。彼の最後の作品はMVアグスタF4ブルターレ、そしてF3 675である。

マッシモ・タンブリーニは世界を幸せにしてくれた。彼がいなくなったは本当に悲しいことだ。安らかに眠れ、友よ。
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タンブリーニの傑作の数々はこちらのサイトに載ってます。

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新型ブラフ・シューペリア

Moto2への参戦を発表したブラフ・シューペリアですが、ついに公道マシンをデビューさせました。

2014年に650万円で売るそうですよ。BikeExifで公開されてます。

欲しいような欲しくないような、所有する喜びはありそうだけど走る喜びはあるのかなあ・・・。

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