« 2018アルゼンチンMotoGP日曜まとめパート3:マルケスvsロッシ、マルケスvsルール | トップページ | ど突き合いの責任は誰に? »

ホットハッチを運転するマラドーナのように

こないだは意図がないとしてもあのマルケスの走りは問題だ、という論調のDavid Emmett氏の記事を翻訳しましたが、今日はMotor Sport MagazineよりMat Oxley氏の記事です。基本的には同じ意見ですけど、マン島TTでの優勝経験もある彼らしい視点も。
============
最初に告白しておこう。私は混乱というものが嫌いではない。現代スポーツほど計画的に運営されている分野はそうたくさんはないだろう。過剰なまでに整然としていると言ってもいい。その様はまるで精密機械のようだ。だからこそ時にはスムーズな進行が邪魔されるのを見るもの楽しいのである。

南アメリカでこうしたことが起こるのはあまりない。何年か前にリオデジャネイロのブラジルGPで停電のせいでプラクティスが中断されたことがあった。サーキットのオーナーが電気代を支払っていなかったせいで電力会社が最高のタイミングを狙って送電をカットしたのである。プラクティスは支払いが完了した時点で再開されている。

こうした類のことは最近ではほとんど起こらない。先に述べた通り、何もかもが過剰に整然と運営されているのだ。数え切れないほどのルールに加えて、健康と安全も優先されすぎている。そんなわけで私は日曜の一連の出来事については、いくつかを除いて大いに楽しんだのである。私にとってバイクレースの醍醐味というのはこうした混乱にあると言ってもいい。特に混乱しているように見えない場合でもそうだ。ジョージ・オーウェルが1945年の12月に書いた言葉がこれほどぴったりくるスポーツは他にはないだろう。オーウェルが「1984年」の執筆に取りかかろうとしていた時期だ。

「真剣に行われるスポーツはフェアプレイとは無縁である。憎しみ、嫉妬、うぬぼれ、あらゆるルールの軽視、そして暴力的な光景を目にすることができるというサディスティックな喜びで出来上がっているのだ。撃ち合いのない戦争だと言ってもいい」

30年後、「ローラーボール」という映画の脚本家も同じようなことを考えている。「いまこの映画を観ると、自分が預言者に思えるね」とウィリアム・ハリソンは語っている。「ローマ時代にはコロシアムや円形競技場で死を賭けたスポーツが行われている。それが現代のアメリカンフットボールとかのスポーツにトーンダウンされてるんだけど、でも精神は残ってるよね。自分が『ローラーボール』を書いた時にはスポーツが暗くて野蛮なものになりつつある時代だった。どんなスポーツにも共通した暗い側面があって、それを抽出したんだ」

日曜のレースがスタートする直前、まずは「ルールの軽視」が発生した。暗い側面はその後だ。もちろんみんなでグリッドを離れるのはレギュレーション違反ではない。しかし24人の内23人がドライタイヤをはいたスペアマシンに交換するためにもたもたとピットレーンに戻る様は有り体に言って逃げているとしか見えなかったし、ジャック・ミラーの場所からその光景を見たら、なおさらだったろう。

この時点でレースディレクションはこういう状況のためのルールがあることを忘れていたようだ。2014年のザクセンリングでほとんどのライダーが肘やらハンドルやらが触れあわんばかりの状態でピットスタートを切ることになったのを契機に作られたルールである。あの光景は見るも恐ろしいものだったが、スリリングでもあった。私は混乱というものが嫌いではないのだ。…ああ、これはもう書いたことだ。

そしてマルク・マルケスだ。彼はマシンをエンストさせた上に押し掛けをしている。その上コースを逆走するという許しがたい罪まで犯している。この一連の行為はどう見てもルール違反なのだが、IRTAのトニー・コングラムがまるで暴走族を追いかける警官のように世界チャンピオンを追いかける様子には少々のおかしみがあったのも確かである。

そしてレース中のマルケスである。彼はトップから19番手に落ち、5位に上がり、そして18番手となった。知ってる、そのことは知りすぎるほど知っている。わかったって、その通りだ。彼はやりすぎた。しかし、すごかった。すごかったとしか言いようがない。他の全員より1秒以上速いラップタイムを刻みながら、世界最高のライダーたちのことをこいつら遅いんじゃないかと思わせるような走りをするライダーを見たのがいつのことだったか思い出せるだろうか?

アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナが相手チームのディフェンスを翻弄するのを見ているような気持ちになった。実に詩的な光景である。彼のRC213Vは右に左に暴れ回り、他のライダーがまるで氷の上を走るかのように慎重になっていたウェットパッチの上では様々な姿勢でダンスを踊ってみせる。好きなだけ彼のことを非難すればいい。しかし限界知らずでマシンを乗りこなす彼の天才は異次元のものだ。「エイリアン」という言葉が好きだったことは一度もないが、日曜のマルケスは本当に他の惑星系から来訪して重力の法則を無視しているかのように見えたのである。

それをすべて無に帰してしまうことになったのは本当に残念だ。結局のところ彼は盗んだホットハッチを乗り回すマラドーナだったのである。スロットルを握っていたのは「神の手」だったのだ。

彼に対する罰は充分だっただろうか。グリッドでの問題行為に対して与えられたライドスルーペナルティは相応のものだった。ヴァレンティーノ・ロッシを突き飛ばした件についてのペナルティも妥当なものである。彼をノーポイントにすることができる30秒のタイム加算はブラックフラッグまたは失格に相当するからだ。しかしレースディレクションは世界チャンピオンにより強く警告するためにブラッグフラッグを出すか失格にすべきだった。

アレイシ・エスパルガロとの一件についてはどうだろう。この日マルケスがやらかした中で最悪の行為がこれである。高速コーナーにもかかわらず彼は1ポジションダウンというペナルティだけで逃げている。一方エスパルガロは低速コーナーだとは言え、ダニオ・ペトルッチからさらにひどくぶつけられているが、ペトルッチに対してはペナルティは科せられなかった。1周目にダニ・ペドロサをはじき飛ばして転倒させたヨハン・ザルコもお咎め無しだ。彼ら全員が罪人であることは忘れてはいけない。

日曜のマルケスの最大の罪は、彼が罪を重ねたことである。彼は自分の目も眩むようなスピードに酔い痴れていたように見える。まるで相手がバックマーカーであるかようにライバルに突進していった。アタックは性急過ぎで、スペースもないのにRC213Vを無理してでも相手のインにねじ込もうとする。彼は頭を冷やしてもっと気を遣うべきだ。そうは言っても彼はライバルと同じ惑星にいるのだ。COTAの前にレースディレクションは彼に最後通牒を突きつけ、今シーズンは終わりまでダモクレスの剣を彼の頭の上に吊し続けるべきなのである。

マルケスは既に日曜に犯した罪については罰を受けているが、レースディレクションはこれ以上のペナルティを科すべきだろうか。私はそうは思わない。彼がやらかしたことに対しては金曜のMoto3のプラクティスでアーロン・カネットがやらかしたこと以上に厳しい評価をしようとは思わない。ここで大事なのは意図の有無である。私が見る限りカネットはマカール・ユルチェンコをわざとはじき飛ばしている。早く自分の前をクリアにしたかったのだ。結果がどうあれこれはマルケスの件とは全く様相が違う。私は、カネットに対してはレースディレクションが判断を間違ったと確信している。

勝者についてはどうだろう?レース直後、カル・クラッチローは自分がどうやってホンダに750勝目をもたらしたかよりマルケス-ロッシの一件の方にメディアの興味が向かっているのを嘆いている。しかしそうなるのが人情というものだし、昔からそういうものだった。

クラッチローのライディングは素晴らしかった。完璧なレース判断でもってトップグループの最後尾に着けてタイヤを温存する。そしてここぞというときに前に出たのである。

彼のことを非難する人もそれなりにいる。クラッシュしすぎであるとか、もの言いが無遠慮だとか、そうした非難だ。しかし過去1シーズン半で3勝を挙げてもいる。そして彼はワークスチームではないのだ。もちろん彼がHRCのライダーでワークスマシンで走っているのは事実だ。しかしワークスライダーなら当たり前のエンジニアやデータ技術者やアシスタントや雑用係といったスタッフの一団を抱えているわけではないのだ。MotoGPで3勝を挙げるというのはそれが誰であろうと素晴らしい結果だが、それがインディペンデントチームのライダーとなれば賞賛に値する驚くべき実績である。

クラッチローは相変わらず元レーサーのイアン・ニュートンが評した通りの「ちびで勇敢なボクサー犬」である。2000年から2001年にかけてクラッチローが走っていたアプリリア・スーパーティーンズ選手権を運営していたニュートンはこうもいっている。「カルは今と同じでしたね。ちょっとおバカでかなりの自惚れ屋なんです」

トップクラスのレーサーの多くはこう考えている。世界最速であってもライディングの才能は大して違わない。違いはやる気と決意の差だと。クラッチローについていえば彼のやる気は山のようにそびえ立ち、決意は全てを飲み込む荒れ狂う河のごとくだ。だからこそ彼はひどいクラッシュをして後でより速くなるのである。彼のは確かに自惚れ屋だが、それは性格の欠点というよりレースでの強力な武器なのである。

GPの最高峰クラスで彼より多くの勝利を挙げているのはマイク・ヘイルウッド、ジェフ・デューク、ジョン・サーティース、バリー・シーン、フィル・リード、そして初代500ccチャンピオンのレス・グラハムだけだ。そのことがすべてを語っているではないか。
============
そしてみんながカルを褒めている!

|

« 2018アルゼンチンMotoGP日曜まとめパート3:マルケスvsロッシ、マルケスvsルール | トップページ | ど突き合いの責任は誰に? »

コメント

おかしいわ…私、オックスレイさんと気が合ってる笑

投稿: りゅ | 2018/04/16 23:25

>りゅさん
 たぶんそういう人、多いですw。

投稿: とみなが | 2018/04/18 18:37

初めてコメントさせて頂きます。
バイクレースを観ている人、バイクを愛している人は大なり小なりアウトロー的な部分を持っていると思うのですが、今回のような事が起こると何故品行方正を求める声が吹き荒れるのでしょうか?事の当事者がファンの圧倒的な最大派閥なので仕方ないですが…あまりに清く正しくの方向へと舵を切られ、バイクレースの狂気をはらんだ面白さが潰されないことを祈ります。

投稿: さりえり | 2018/04/19 10:37

さりえりさん

彼らは品行方正を求めてるんじゃないですよ。
自分の推しライダーが有利になるように出来事を捻じ曲げて受け止め、勝手な解釈で自分らが有利になるようルールはこうなってるやろうが!って喚き散らすんですよ。

自分の推しライダーが逆の立場に立ったら、全く逆の事を言い出すんです。
清く正しくの方向へと舵を切るつもりなんか微塵も有りません。

とにかく自分の推しライダーの得になりさえすれば良いんです。

投稿: bb | 2018/04/19 17:42

>さりえりさん
 私は怪我しない程度だったら結構なことまで許容できますが、今回のマルケスの件については流石に周りがみえていなさすぎるだろうって思いました。そしてMat Oxley氏が指摘するように、血に飢えた私たち観客も、どこかで線を引かなければならなくて、その線を今回のマルケスは超えてしまったというのが私の感じ方です。
 でもその線までは狂気上等!なんですけどね。

投稿: とみなが | 2018/04/19 21:13

>bbさん
 品行方正を求めてるんじゃない(=マルケス憎しな発言が多そう)ってとこまでは同意ですけど、必ずしもロッシファンだけが非難しているわけじゃないかと。そしてその人たちも品行方正ではなく安全と相手への敬意を求めてるんじゃないかと。まあ、そのあたりの受け止め方は観測範囲の差かもですが。
 一方ロッシファンにも「ロッシは好きだけど悪辣なのは認めざるをえない(だがそれがいい)」って人も多かったりして、必ずしもロッシファンのすべてが勝手というわけではないですし、まあダニとかホルヘとかのファンはそこらへん、ややあきらめてるっつーか、醒めてるっつーか、醒めてなきゃファンなんてやってられないっつーか、そういうメンタリティなので、あんまりカッとなったりしなさそうではありますけど、いや、ホルヘやダニのファンの話ではなかったですね…。

投稿: とみなが | 2018/04/19 21:26

とみながさん

すみません。
普通ならスルーしてたような案件なんですが

少し疲れてたんかなぁ・・
その日ちょっと嫌な事でも有ったんでしょう。
何故か、思ったまんま書いてしまってました。

反省しています。

投稿: bb | 2018/04/20 21:18

>bbさん
 大丈夫です!っつーか、ちゃんと自分をかえりみたコメントをしてくださる人に出入りしていただけていて、それがここの誇りなんです。
 ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますm(._.)m。

投稿: とみなが | 2018/04/20 23:30

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69409/66618113

この記事へのトラックバック一覧です: ホットハッチを運転するマラドーナのように:

« 2018アルゼンチンMotoGP日曜まとめパート3:マルケスvsロッシ、マルケスvsルール | トップページ | ど突き合いの責任は誰に? »