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ニッキーを想う

Mat Oxley氏のコラムをMotor Sport Magazineより。
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モーターサイクル業界は最速のそして最高にジェントルなレーサーを失ってしまった。安らかに眠れ。

ルマンという場所はいつでも陰鬱だ。たぶんモータースポーツ史上最悪の事故がこのフランスのコースで起こったせいなのだろう。1955年のルマン24時間自動車耐久レースで184人が命を落としているのだ。それとも威圧的なピット周りの建築物のせいかもしれない。コンクリート製の巨大で醜いブルータリズム建築がサーキットにあるべき建物ではなく第二次世界大戦でフランスを守るために作られたマジノ線の要塞のように見えるのである。

太陽が顔を出した日曜ですらMotoGPのレースの時間になると黒い雲に覆われ始めていた。それが肉体的なものだろうと精神的なものだろうと、レーサーたちは痛みを自分から切り離す術を知っている。これから起こることがわかっているのだ。それが起こった時には気持ちが揺れるが、しかし自分の選んだ道なのだ。彼らはそれでつぶれてしまうことはないのである。

だが先週末はそうではなかった。ニッキー・ヘイデンはイタリアの病院のベッドに横たわり、予後は極めて悲観的なものだった。誰もが煉獄につなぎ止められていた。パドックの人々もヘイデンの家族も、イタリアに来た、そして米国で待つ彼の愛する人たちも、誰もが気持ちの居場所を失っていた。そして月曜、パドックが次のレースに向かうその時、彼の死が伝えられる。

ニッキーは偉大なレーサーだった。しかしそれ以上に人間として偉大だった。トップを目指して戦う世界でそんなことは普通は起こらない。高みに上り詰めながらも人間性を失わないというだけでも、特筆すべきことなのだ。

ニッキーがMotoGPタイトルを獲ったその日は4ストロークMotoGP時代の最高の一日だった。2006年10月29日、日曜日。その1日にあらゆることが凝縮されていた。ドラマ、負け犬の復活、あらゆることが起こりえるという事実。たとえその可能性がどんなに小さく見えてもだ。

シーズン最終戦となるヴァレンシアにやってきたヘイデンは前年まで5連覇を飾っているヴァレンティーノ・ロッシに8ポイント差をつけられていた。偉大なチャンピオンを抜き去る方法など想像もつかない状況である。ポイント差だけが問題だったのではない。予選で彼は5位に沈み、ロッシは例によってポールを獲得していたのだ。

誰もが同じ結果を予想していたが、そうはならなかった。これはバイクレースにおけるモハメド・アリ対ジョージ・フォアマンだったのである。

ニッキーは意志の力だけで不可能を可能にしてみせた。2列目から最高のスタートを切ると1コーナーで併走するロッシを抜き去る。このとき二人は明らかに接触していた。弱き者からの意思表示だ。

レースはまるで映画のようだった。前年のチャンピオンのロッシはもがき苦しみ、そして転倒し、再びマシンにまたがると前を追い始める。ニッキーと彼のホンダRC211Vは3番手を走っている。つまりロッシが8位に入ればチャンピオンの座を維持できるということだ。あり得ないほどの緊張感。スローダウンラップでニッキーが感情を爆発させ、泣きながら叫び続けたのも当然だ。パルク・フェルメで待っていたのは、やはり負け犬だと思われていたこのレースの勝者、トロイ・ベイリスだ。彼はキャリア唯一のMotoGP優勝をワールドスーパーバイクの合間のパート仕事で手にしたのである。そしてロッシは負けても太っ腹だった。少なくとも自分からタイトルを奪ったのがヘイデンで良かったと思っていたのだ。

私が何かを書くより偉大な先人の言葉を探すべきだろう。ラドヤード・キプリングの詩「If」の一節がふさわしい。「もしあなたが勝利と破滅という二人の詐欺師を同じように歓待できるのであれば…世界のすべてはあなたのものだ」

ニッキーはそういう人だった。素晴らしい勝利も破滅的な敗北も彼を変えることはなかった。MotoGPで13シーズン、彼はいつでも気品を保ち人の話に耳を傾けてくれた。彼はよくあるタイプの、自分は周りの死すべき定めを持つ一般人より素晴らしいと思っているライダーではなかったのだ。

中にはジャーナリストを蝿のように思っているライダーもいる。うるさいのに逃げられない。チャンスがあればぴしゃりと叩きつぶしたい相手ということだ。しかしファウスト博士であるニッキーはメフィストフェレスと結んだ契約を忘れてはいなかった。彼は世界中を飛び回り、人類史上最高のマシンにまたがってレースをすることでお金をもらい、だからこそ彼が何をしようとしているのかみんなが知りたがるのである。そして彼はジャーナリストの軍団に対しても実に紳士でありつづけたのだ。

調子が良い日には彼は情熱的に語ってくれた。しかし自分の成功を自分の手柄にすることはほとんどなかった。彼は父アールと母ローズが自分に新品タイヤを買い与えるために屋根の雨漏り修理をあきらめたことを話してくれた。走り続けるのを支援してくれた人たちがいなければ長い道のりを経てケンタッキーの我が家からMotoGPのピットレーンまでたどりつけなかっただろことを心からわかっていたのだ。

調子の悪い日のニッキーは、何が問題でなぜそうなってしまったのかを静かに私たちに語ってくれた。彼は失敗したという罪悪感でひどく落ち込んで泣きそうになっていた。目に涙をためて、下唇が震えている。そこに座っている私たちはいたたまれない気持ちでノートPCやボイスレコーダーに目を落としていたものだ。

時には誰かが彼にそんな風に負けるのはどんな気持ちかと質問して沈黙を破ることもあった。そしてニッキーの答えはいつも同じ、「それほど辛くはないですよ」。彼は自分が地球上で最も幸福な人間だとわかっていたのだ。勝敗は関係ないのである。

パドック中の誰もがニッキーのことが好きだった。おそらくレースというものが始まって以来初めてのことだろう。そして女性たちについて言えば、好きだったのではなく崇拝していたという表現が適切だ。彼はハンサムな若者だった。パドックで働く女性たちは彼が部屋に入ってくると卒倒しそうになっていたものだ。それは彼の見た目が良かったせいだけではない。包容力があり、チャーミングで、そしてレーサーにありがちな肥大した自尊心とは無縁だったからだ。

2006年にタイトルを獲得したあと、ニッキーは苦労の連続だった。990ccのRC211Vこそが彼のためのマシンだったのだ。強大なパワーと最小限の電子制御のおかげで彼は思うがままにマシンをスライドさせ振り回すことができた。その後に登場した800ccマシンは彼向きではなかった。回転依存でコーナリングスピードと電子制御で勝負する。アメリカのダートトラックで培った彼のテクニックはここでは通用しない。

そんな厳しい年月の間、自称レースファンは彼を非難することになる。結局彼は3勝しかしていないしMotoGPのタイトルも一回しか獲っていないじゃないか。しかしそれはサッカー選手に向かって、ワールドカップでたった3ゴールしか決めていないしワールドカップの優勝も一回だけじゃないかとあおるようなものである。

ニッキーはバイクレースの最高峰の頂点を征服したのだ。それより上はないのである。1回だろうが6回だろうが関係ない。

ニッキーが愛した人たちのことを想おう。偉大なライダーが愛する人たちを残して去って行ってしまった。そして私たちも残された者たちなのである。
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時間よとまれ。汝はいかにも美しい。

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コメント

ニッキーかっこよかったよ

投稿: 日本の名無しさん | 2017/06/02 22:42

>日本の名無しさんさん
 ねえ。

投稿: とみなが | 2017/06/05 22:28

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