« ロレンソ:ドゥカティはヤマハのフレーム哲学を取り入れないと | トップページ | 公式プレビュー>スペインGP2017 »

MotoGP:バレエかバトルか?

先日のアメリカズGPでは3位争いの最中にザルコがロッシのインにねじ込み、ロッシがコースアウト、そしてそのまま次のコーナーをショートカットして前に行ってしまい、これに対して0.3秒のペナルティが与えられるという出来事がありました。ロッシは「Moto2じゃないんだから自重しろよ」みたいなことを言ってましたが、そもそもレースはバトルだと言ったのも彼。さて、Mat Oxley氏はどんな記事を書いてくれてるでしょうか。Motor Sport Magazineより。
============
COTAでロッシに与えられたペナルティは近年肥大化の一途をたどるルールブックに基づいたものだ。果たしてこうした箸の上げ下ろしまでコントロールするやり方がMotoGPをつぶしてしまうことになるのだろうか?

2005年4月10日の日曜日、2時45分、ヘレス。肉弾戦としての現代MotoGPの幕開けとなる戦いが始まった。

バイクレースが始まって以来、ど突き合いというものは常につきものであった。しかし2005年のヘレスの最終コーナーでヴァレンティーノ・ロッシがセテ・ジベルノーに仕掛けたそれこそが、今では誰もが知ることになった戦術の最初の例と言えよう。

覚えていない方のために説明しよう。ロッシはレースの最初からずっとジベルノーの後ろに張り付いていた。そして最終ヘアピンでインに飛び込みジベルノーと接触する。そしてロッシはそのままゴールし、グラベルにはじき出されたジベルノーはなんとか転倒を免れ2位でゴールしている。ペナルティは科せられなかった(訳注:公式YouTubeはこちら)。

同じことをマルク・マルケスがホルヘ・ロレンソに対してやっている(訳注:こちらの1分30秒あたり)。何年も前にはそのロレンソが同じ場所で同じことをやっていた。こういうライディングについて問題ないと考える人もいれば、そうではないと言う人もいる。しかしバイクレースというのは荒っぽいスポーツなのだ。いつだってそうだった。バトル(battle)でありバレエ(ballet)なのだ(見ての通りほぼアナグラムである)。実に魅惑的なスポーツなのである。

500ccタイトルを3度獲得したウェイン・レイニーはレースをするのは「戦闘に出かける」ようなものだと言っている。2008年の250ccチャンピオン、マルコ・シモンチェリは「レースになったら他のライダーを殺したくなるんだ」とまで言っている。もちろん比喩である。バイクレースでどれほど気持ちが高ぶっているのかを伝えたかったのだ。それは実に野蛮な感情だ。だからどうかMotoGPの美しいカラーリングや格好いいヘアスタイルに惑わされないでほしい。バイクレースというのは悪意に満ちた仕事なのだ。

一度や二度や三度、えげつない抜き方をしたことのないライダーなどMotoGPのグリッドには一人もいない。テキサスではヨハン・ザルコがロッシに急降下爆撃を仕掛け、彼をコース外にはじき飛ばして見せた。昔だったらロッシはコースに戻ることはできなかったろう。グラベルにつかまってがっつり転倒していたはずだ。だからこそランオフエリアが舗装されるようになったのである。その方が安全なのだ(たいていの場合)。

アスファルトのランオフのおかげでレース中の骨折も少なくなっているだろう。しかし舗装のせいで状況が複雑になることもある。ロッシはランオフをそれが舗装された意図通りに利用し、それだけではなく車両10台分ほども離れていたマルケスとのギャップを埋めるためにフルスロットルでコースに戻ったのである。だからこそFIMの審査委員会が0.3秒のペナルティを科したのだ。

このペナルティは良くないやり方だったと考える人もいたが、一方で合理的だったと考える人もいる。ロッシでさえ後者だ。「確かにアドバンテージは得ましたよ。だから0.3秒はOKですね」と彼は言っている。

しかしロッシがマルケスに0.2秒差でゴールしていても同じだっただろうか?ヤマハは決定に抗議を出したろうし、今頃レースのことなど何も知らない何人もの法律家とスポーツ調整裁判所が結論を出すのを待っていることになっただろう。2015年の11月、レースが茶番と化したあの時に逆戻りだ。

それこそが心配なのだという人もいる。MotoGPは実に細かいことまで口出しをして、プログラムされたロボットのようにライダーがこちらの思い通りに振る舞うのを見たいと考えているようだ。そして、さらに悪いことにペナルティや抗議や抗議への反論の手続きのために法律家の数がメカニックの数を上回りそうな勢いである。

一方MotoGPというのは一大スポーツであり、巨額の資金がその評判によって動くようになっている。つまりあらゆるアクシデントは議論の俎上にのせる必要がある。最近はカメラの撮影範囲は空間的にも時間的にも増加しておりすべてが詳細に分析できようになったのだからなおさらだ、という意見もある。

こうした全ての責任を負わされている幸運な男がレースディレクター、マイク・ウェッブだ。彼はその人生のほとんど全てをレース業界で過ごしてきた。その彼の考えでは最近のMotoGP のルールやレギュレーション改定は現代の技術開発の進展が原因だと言う。

「誰もが監視下に置かれてるからなんですよ。誰もが全てをいつでも見ることができる。ほかにも理由がありますね。何年も前、わたしはジンジャー・マロリーと仕事をしてました。1970年の500ccでジャコモ・アゴスチーニに次いでランキング2位になった人です。ほとんどのレースで彼はアゴの2分後ろでゴールしている。でも今はみんなが毎ラップつばぜり合いを繰り広げていて、だから10分の1秒とか100分の1秒の重要性が増しているんです」

ウェッブはFIM MotoGP審査委員会の席にFIMの常任委員であるビル・カンボウ、そしてレースごとに入れ替わるFIM委員とともに座っている。ドルナが2015年のあの大騒ぎ以降、ペナルティ関連の手続きに名を連ねていないのは興味深い。おそらくドルナのスタッフは銃弾の飛び交う最前線からは身を引いていたいのだろう。もちろんドルナも委員会が熟考を重ねて審議しているところに大声で加わりたい気持ちがないわけはないだろうが。

「ほんとにすごく細かいことまでチェックされるんです。だからとにかくフェアに見えるようにしないといけないんです」とウェッブは言う。「ヤマハはレース中にこちらにメッセージを送ってきてます。ヴァレンティーノははじき飛ばされた方なんだからペナルティには抗議したい、とね。でもそしたらホンダの順位はどうなっちゃいます?ホンダとしては、おい、ヴァレンティーノがマルクに対して10分の何秒か得してるぞ、って言いたくなりますよね。ヴァレンティーノがコースから出ちゃったのはもちろん彼のせいではありません。でも戻るときにマルクとの差をかなり詰めている。0.3秒というのはペナルティじゃないんです。あれはタイムを調整したってことなんです。
 こういうのは常に見直されているところなんです。2014年のルールブックではこういう時は順位を譲らせるってのが唯一のペナルティだった。ライダーが何をしょうがです。それは全然フェアじゃない。だから見直すことにしたんです。ほかにどんなペナルティが考えられるだろうってね。それで去年審査委員会と私で達した結論が、得した分のタイムを検討した上で適切なタイムペナルティを科すというものでした。
 去年のシルバーストンではコースをはずれてタイムを稼いだということでアレイシ・エスパルガロが1秒のペナルティを科せられてますし、ティト・ラバトは0.5秒を科せられているミサノではスコット・レディングがショートカットで0.5秒、マーヴェリック・ヴィニャーレスも同じことをしてますがこちらは順位変更を科しています。全部、どれくらいタイムを稼いだかで決めているんです」

こういう状況でもペナルティを避けることができると気付いているライダーもいる。去年のシルバーストンでマルケスはロッシとの接触を避けようとしてアスファルトのランオフに飛び出している。そしてランオフをスロットルを緩めながらを横切ることで前のライダーに対してアドバンテージを稼ぐことなくコースに復帰している。

「マルクは何が起こるか正確に理解していましたね。だから手を上げて『やあ、僕は自分が何をやったかわかってるよ』と主張したんです」。ウェッブはさらに続ける。「彼は自分がアドバンテージを得ていないことをはっきり示したんです。でも面白いことに次の安全委員会の席で何人かのライダーが、コース外を走ったら例外なくペナルティを科すべきだと主張したんです。もしグラベルがあったならクラッシュするか30秒は遅れていたはずだ。だからペナルティを科すべきだっていう主張でした。ケイシー・ストーナーも同じことを良く言ってましたね。確かにそういう考え方にも一理ある。でも私は好きじゃない。今は今の環境の中でレースをしてるんですし、そのひとつがアスファルトのランオフなんです。グラベルがあるように見えるなんて人工的なペナルティを考えるつもりはないですよ」

最近こうしたペナルティ以上によく目にするのはコーナー脱出でコース外に踏み入れたことに対するタイムペナルティだ。縁石を踏み越えてからコースに戻るような場合である。

「コース幅の限界について扱うのはもう悪夢ですね」とウェッブは言う。「昔はどうでもよかった。だって縁石を越えたら芝生ですからね。アドバンテージは全然なかった。今では全セッションと決勝でコースをはみ出たライダーをみつけるために2人とか3人配置してるんです。国際映像には使わないカメラがたくさんあって、すごくいろんな角度から観察しているんです。
 こうしたカメラがどこにあるかはわかってますよ。そしてそのほかに何百万もの目があるのもわかってます。今週はヘレスのヘアピン、ホルヘ・ロレンソコーナーをみんなが目を皿のようにして見つめることになるでしょうね。コースの最後にヘアピンを配置するってのは設計者が最後の最後にオーバーテイクをするチャンスを残したかったということなんです。別の言い方をするなら事故多発地帯を作ってるってことですけどね」

もしウェッブが2005年のヘレスでもレースディレクターだったらどうしただろうか?

「現在の環境下ならペナルティを科すって言ってますよ。そのスタンスのままでいけるかどうかは自信がないですけど、今ならペナルティものでしょうね」

2013年にマルケスがロレンソから2位を奪い獲った時にはウェッブがレースディレクターだった。しかしロッシのケースが先例となってペナルティは科せられなかった。しかしだからといってこれからも同じというわけではない。

「この何年かで何がOKで何がOKじゃないかは変化していますからね」。それが彼の結論だ。

これまた心配の種である。外部からの圧力でバイクレースが本来持っている狂気が失われてしまうのだろうか。危険なライディングは問題である。しかし接戦は求められるべきである。ライダーがいつでも膝や肘をぶつけあっても必要なものは必要なのだ。バレエも見たいがバトルも見たいのだ。

とは言え自分が審査委員の席に座らないで済むのは何よりの喜びである。審査委員は何をやっても非難されるし、やらなかったことでも非難されるのである。
============
ちなみにセテーロッシ問題の記事はここらへんですね。
それはどうよ:へレス
へレス:レース後のロッシとジベルノーのコメント
セテ−ロッシ問題がえらいことになっています

そして2013年の記事はここらへん。
公式リリース>スペインGP
ヘレスMotoGPクラス、最終ラップ最終コーナーに対するみなさんのご意見

私?私は断然バトル派ですよ。もちろん転ばない程度に(byらんか師)。

|

« ロレンソ:ドゥカティはヤマハのフレーム哲学を取り入れないと | トップページ | 公式プレビュー>スペインGP2017 »

コメント

ジャッジする人は、なにより公正明大であるべきだと思います。
極端を言えば、相手に文句を言われて「俺がルールだ!」と返しても公正明大であれば結局は周りがついてくるし、逆にどんな美辞麗句を言おうとそうでなければ見抜かれる。

どんなスポーツでもそうだと思いますね。

投稿: motobeatle | 2017/05/03 23:17

公正明大→公正明大でしたヽ(´▽`)/
間違いました、はずかしい、、、

投稿: motobeatle | 2017/05/04 10:47

ああ、ごめんなさい!訂正したつもりがそのまま!
公明正大でしたぁ。
恥の上塗りw

投稿: motobeatle | 2017/05/04 10:49

>motobeatleさん
 しかしジャッジに対してのプレッシャーってなんとなくですが野球やサッカーの比ではなさそうですねぇ。おそろしいおそろしい。

 そして公明正大は気付きませんでしたw。

投稿: とみなが | 2017/05/04 11:00

レースですから接触上等のバトルアニマルがひしめき合って当たり前の世界ですよね。
でもそこにオペラ座のプリンシパルみたいな走りができるライダーがいたりするからオモシロイんだと思います。はい。

投稿: りゅ | 2017/05/04 18:44

>りゅさん
 いいですねぇ、当てに来たライダーをさらりとかわしたりしたら惚れますね!

投稿: とみなが | 2017/05/04 22:33

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69409/65230147

この記事へのトラックバック一覧です: MotoGP:バレエかバトルか?:

« ロレンソ:ドゥカティはヤマハのフレーム哲学を取り入れないと | トップページ | 公式プレビュー>スペインGP2017 »