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タイトルを獲ってないライダーの勝利数トップ10

私は真っ先にビアッジが思い浮かんじゃうんですが、ほかにもたくさんいるんですよダニとかダニとかダニとか。そんな切ないライダーたちに愛を込めてCRASH.netが書いてます。
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才能と不屈の精神がレースで成功するのに不可欠な要素なのは言うまでも無いが、全てのライダーにとって同じくらい重要なトッピングとなるのがキャリアを通して運に恵まれたかどうかということである。サイコロの目がどう出るかで偉大なレーサーの仲間入りができることもあれば、努力を続けレースに勝ってもいるのに暖炉の上にチャンピオントロフィーを飾ることができないままキャリアを終えることもあるのだ。

運というのは別の形で現れることもある。ここに挙げた10人のライダーより勝利数は劣るにもかかわらずタイトルを獲得して引退したライダーもいる。他のライダーの不運に恵まれたり、派手な優勝とリタイヤを繰り返すライダーを尻目に確実に表彰台に上がることができる能力を持っていたり、そうしたことでタイトルを手にすることができるのである。

もちろん怪我やさらに辛い悲劇のせいでキャリアをたたれたライダーについても疑問は尽きない。マルコ・シモンチェリはチャンピオンになれただろうか?加藤大治郎は日本人初の最高峰クラスタイトルを獲得できただろうか?誰にも答えられない疑問である。そこで今回は事実だけに基づいてトップ10リストを作ることにしよう。勝利数だ。500ccとMotoGPのタイトルを獲得していないライダーを最高峰クラスでの勝利数順に並べてみるのだ。


1位 ダニ・ペドロサ:29勝

ダニ・ペドロサは他のライダーをぶっちぎってトップに立っているだけではない。彼の凄いところはまだタイトル獲得の可能性があるということである。彼が唯一目指すのはMotoGPのチャンピオン。下のクラスでは既に記憶に残るスターの座は獲得しているのだ。125から250時代にかけて3連続タイトルをホンダで獲得し2006年には満を持してレプソルホンダのRC211V で最高峰クラスにデビューする。そしてたった4レースで表彰台の頂点を獲得し、小さい彼に重い4ストロークマシンを操る筋力があるのかという懸念を払拭したのである。彼はホンダに乗ることにこだわり続けデビュー以来の10年間、毎シーズン最低1勝はしている。そしてたいていのシーズンはそれ以上の勝利を飾っているのだ。ランキング2位は3回、3位も3回、4位も3回。最悪のランキングは5位で、それはデビューシーズンのことだった。それは仕方が無いことだろう。ではなぜ彼はまだタイトルを獲得していないのか?いくつかの理由がある。その理由はロッシと呼ばれていたり、ストーナーと呼ばれていたり、ロレンソと呼ばれていたり、マルケスと呼ばれていたりしている。そしてもうひとつ彼のタイトル争いを邪魔し続けていた腕上がりの問題がやっとなくなった今、彼はこのリストからはずれることができるのだろうか?もしできなければこれから数十年はタイトルを獲得していない最も成功したライダーでありつづけることになるだろう。


2位 マックス・ビアッジ:13勝

500ccGPマシンに乗る前からビアッジはスターの座を獲得していた。250ccで4連続タイトルを獲得した彼が1998年に500ccに昇格すると、当然かなりの期待を持って迎えられることとなった。そして素晴らしいデビューを果たす。マルボロ・ホンダに乗って彼は史上初となる500ccデビューウインを日本GPで飾ったのだ。もちろん無敵のミック・ドゥーハンがレースを途中リタイヤしたことも大きかったのは間違いない。それは98年に彼が挙げたもうひとつの勝利もドゥーハンがリタイヤしたレースであることが証明している。とは言えデビューシーズンに2勝、そして表彰台に何度ものぼったことで彼はその年ランキング2位を獲得しているのだ。タイトル獲得はそう遠くないだろうと思われたものだ。ヤマハに移籍した99年は1勝にとどまり、ランキングは4位。翌年2000年は2勝でランキングは3位。しかし2000年で注目すべきはケニー・ロバーツ・ジュニアにタイトルを奪われたことではない。ランキング2位をロッシという名の若造に奪われたことだった。ロッシとビアッジのライバル関係とこれに伴う心理戦はその後2年間続き、伝説となる。しかしロッシは勝ち続けビアッジの自信を奪っていった。2005年はレプソル・ホンダに乗ることができたにもかかわらずマックスはランキング5位がやっと。翌2006年は走る場所を失ってしまった。しかし後にアプリリアでワールドスーパーバイクのタイトルを獲得し、彼はまだ力を失っていないことを証明したのである。


3位 ランディ・マモラ:13勝
(訳注:なぜかコメントなし)

4位 セテ・ジベルノー:9勝

最初は目立たないスタートだったがキャリアのピークではここ最近で最も記憶に残る戦いを繰り広げることとなった。1997年にウェイン・レイニーのヤマハチームで最高峰クラスにデビューしたジベルノーは、当時手堅い走りが売り物の中位を走るライダーだと見なされていた。そして後にレプソル・ホンダに移籍する(とは言え乗っていたのは正統派V4ではなくVツインのNSR500Vだった)。そこでも相変わらず中位を走り続けたセテは2001年スズキの最後のRGV500で優勝して周りを驚かせる。当時のスズキのスポンサーであるモビスターは2003年ホンダにスイッチ。そして彼は突然才能を開花させるのだ。チームメイトの加藤大治郎が開幕戦の事故で亡くなったのち、ジベルノーは4勝を飾りランキング2位となった。その年、タイトルを獲ったロッシとの争いは実にスリリングだった。ロッシが乗っていたのはおそらくセテのマシンより速いワークス仕様のレプソルRC211Vだったにもかかわらずだ。二人の争いは2004年まで続く。ロッシはこの年にヤマハに移籍しタイトルを獲得。そしてジベルノーは4勝で再びランキング2位となる。しかしそれ以降彼はGPで勝利することはなかった。2005年は安定した成績を残せずわずかな数の表彰台を獲得しただけだった。そして2006年にはドゥカティに移籍したが結局デビュー当時と同じようなぱっとしない成績で終わってしまう。


5位 ロリス・カピロッシ:9勝

125ccと250ccでタイトルを獲得したカピロッシ。2000年に500ccに上がった彼はそのままタイトル候補になるだろうと期待されていた。そして彼は期待に応えてみせる。最高峰クラスに上がってわずか6レース目で優勝を飾るのだ。それも地元イタリアでヒーローとしての座を固めたのだ。しかし次の勝利は2003年まで待たなければならなかった。新たに参戦してきたドゥカティに移籍し、MotoGPでの初勝利をプレゼントしたのである。彼はそのままドゥカティに乗り続け通算6勝を挙げるが2007年にやってきたケイシー・ストーナーほどの成績は挙げられなかった。ストーナーの最高峰クラスデビューイヤーとなったその年、カピロッシはランキング7位に終わる。2008年にはスズキに移籍するが成績は奮わず表彰台は2008年ブルノの3位わずか1回。そしてそのまま2011年を最後に引退してしまった。


6位 ルカ・カダローラ:8勝

250のタイトルを2回獲得したカダローラの速さを疑う者はいなかった。そして彼は500cc2ストロークで8勝することでそれを証明する。エースライダー、ウェイン・レイニーのチームメイトとして1993年にマルボロ・ヤマハで素晴らしいデビューを飾った彼はあ、しかし最高峰クラスではそれほど輝くことはできなかった。レイニーがミザノでクラッシュし引退を余儀なくされると彼は自動的にエースライダーとなり1995年までチームのトップだったのだが、年に2勝ずつを挙げただけで終わってしまった。ランキングはそれなりに印象的だ。デビューイヤーは5位、翌年は2位、そして3位を。そしてアーヴ・カネモトのホンダチームに96年に移籍し再び3位を記録する。最高のライディングができるはずだった翌年、彼はヤマハと契約をするがチームが1997年の初めにレースから手を引いてしまう。それがけちのつき始めとなった。その年はWCMに救われたものの、以降彼のキャリアは切り貼り続きでフルシーズンを戦闘力のあるマシンで戦うことはなかった。


7位 アレックス・バロス:7勝

持続性という意味でアレックス・バロスに比肩するライダーはそうはいないだろう。最高峰クラスで18年間276レースを走っているのだ(2006年はワールドスーパーバイクで走っていたのでGPは1年休み)。その間、大した成績ではないシーズンも数多くあったが彼は500cc時代からMotoGP時代を通じて通算7勝(500では1990年から2001年の間に4勝、MotoGPでは2002年から2007年の間に3勝)を挙げている。勝率は良いとは言えないが、カジバでの3年間の低迷の後、1993年にスズキで開花してからのバロスの走りは常に注目すべきものだった。一瞬の輝きというような年はキャリアを通じて見られなかった。初優勝は93年。そして最後の優勝は12年後の2005年。シーズンに2勝以上したのは2000年と2002年の2回だけ。そして3勝以上を挙げたことはない。キャリア最高の勝利はMotoGPでの初勝利だろう。2002年のほとんどを旧型NSR500で走り、新型RC213Vについていくのがやっとだった彼はもてぎでついにホンダの990ccV5マシンを手に入れ、そしてワークスライダーのロッシを破って優勝したのだ。


8位 マルコ・メランドリ:5勝

何年もの間ぱっとしない日々が続くとマルコ・メランドリが小排気量時代には神童と呼ばれていたことを忘れてしまう。彼はロッシの次に来るライダーだと見なされていた。1998年に史上最年少(15歳)で125ccの優勝を飾ると、2002年には20歳でこれまた史上最年少のチャンピオンとなり、MotoGPに昇格する。だめなマシンと、おそらくあまりに早く昇格したせいで彼のヤマハの2年間は苦労続きだった。そして2005年、モヴィスター・ホンダに移籍してチャンスをつかむ。その年の最後の2戦で優勝し、ランキング2位に入ったのだ。翌年彼はグレジーニ・ホンダで3勝(ワークスマシンでないのに優勝できたのはいつのことか覚えてますか?)。その年のチャンピオンヘイデンより1勝多い成績だ。しかし彼のランキングは4位に留まってしまった。


9位 ウィル・ハルトフ:5勝

比較的短い最高峰でのキャリアで5勝しているにもかかわらずハルトフのランキング最高位は4位。勝つだけではシーズン終わりに成功を収めることはできないということを証明している。ハルトフは全ラウンドを走りきったシーズンがなく、数戦走り損なうこともまれではなかったのだ。初勝利は1977年だが、このときは4戦しか走っていない。最後の勝利は1980年で、この年も6戦走って3戦しかフィニッシュできていないのだ。


10位 岡田忠之:4勝

金太郎飴のように体のどこを切っても「ホンダ」と出てくる男が彼だ。彼よりもっと良い成績を挙げられたライダーがいるとけちをつける人はいくらでもいる。特に彼がレプソル・ホンダで走っていた1996年から2000年の間は喧しいことこの上なかった。しかし数字は嘘をつかない。彼は最高峰クラスで4勝を挙げているのだ。初優勝は1997年。表彰台の常連として2位に入り無敵のミック・ドゥーハンの援護という役割を見事に果たして見せた。1999年にはさらに3勝を挙げるが、激しいタイトル争いのせいで97年より多くのポイントを稼いだにもかかわらずランキングは3位に終わってしまった。ニッキー・ヘイデンは岡田より長くレプソル・ホンダで走っていたが2006年にタイトルを獲った時は2勝しかしていないこと(2位のロッシはその年5勝している)、通算でも3勝しかしていない、つまりロッシがその年にチャンピオンになっていたら彼はこのリストにさえ載らなかったことを覚えておいても良いだろう。
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ま、そうは言ってもタイトルはタイトル。
…なんか今年はダニが3勝でチャンピオンになるかもって思えてきたぞ。

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コメント

マックスはもっと勝っているイメージだったのですけどねえ
250の時代がそんな印象をもたせているのかなあ
それよりダニは、今年こそやってくれるのでしょうか?

投稿: サトウ | 2017/03/11 16:25

例外もあるけど、やっぱり競技の世界、特にモータースポーツは勝つこと 王者になることが大事なのかな?っていう気はするんですよね。
むずかしいですよねぇ!超一流ライダーとメーカーがしのぎを削って、その中のたった一人ですもん。
さてさて今年も、もう少しでスタートですね。

投稿: motobeatle | 2017/03/11 18:37

>サトウさん
 私もそう思ってましたが、ロッシがいたんですよね…。

投稿: とみなが | 2017/03/12 01:24

>motobeatleさん
 やっぱ年間チャンピオンって大事ですよ。アルサモラみたいに1勝もできなくてもチャンピオンはちゃんピンですしね。

投稿: とみなが | 2017/03/12 01:25

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