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ホンダを目覚めさせた男

HRC副社長でMotoGPの責任者である中本サンは来年4月で定年。ということでいろんなインタビューが出てますが、これは出色のでき。PecinoGPより。
リンク先の写真もいいぞ。
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中本修平がMotoGPにやってきたのは2009年。このときホンダは80年代中盤に世界GPに復帰して以来の厳しいシーズンを送っていた。中本が参入する前の5年間でタイトルはわずか一つ。それも自らの力で勝ち取ったと言うよりはライバルのミスに助けられたおかげだった。

中本修平がレプソル・ホンダチームに参加したのはホンダにとって最も重要な投資であるF1の最高責任者を9年間勤め上げた後のことだった。ホンダで最も尊敬されるエンジニアとして彼は世界選手権で苦境にあえぐバイク部門に送り込まれたのである。しかし本当のことを言えば、これは彼にとってHRC入社当時の仕事に戻ったということだったのだ。

中本が新人エンジニアとしてホンダに入社したのは1983年のことだ。「最初の3か月は車の販売店で働いて、そのあと3か月は鈴鹿の4輪工場に配属されたんですよ」、そう彼は教えてくれた。「その研修期間を終えてホンダは私をどこで働かせるか決めたんです…。運が良かったんですね。最初にHRCに配属されたんですよ」

その時はおいくつだったんですか?

「26歳でしたかね。HRCに入ったのは1983年の10月1日ですから」


そして?

「最初はエンジン部門だったんです。でも1か月して上司のところに行ってエンジン設計からシャーシ設計に移りたいって言ったんです」

エンジンよりシャーシをやりたかったのはどうしてですか?

「エンジンもおもしろいんですよ。でもいじれる大きさってクランクケースの幅しかないんです。シャーシならもっと大きな空間でいろいろデザインを試せるんです」

で、上司の答えは…?

「OKでした。シャーシを担当できることになったんです」

つまり中本さんの専門分野はシャーシ設計ってことなんですか?

「その通りですね」

それでHRCで働くことになったと。最初のプロジェクトは何だったんですか?

「最初はRS250とRS125でした。両方のシャーシ設計を担当したんです。その後はNSR250ですね。数年間担当した後HRCの上司にNSR500をやりたいって言ったんです…、それで理由を聞かれました。125と250をやったんだから次はそうなるでしょ、って言ったんですけど、そしたらスーパーバイクをやらされることになったんですよ!」

V2とV4のどちらだったんですか?

「V4ですね。RC45でコシンスキーと。アーロン・スライトと…。でも2000年になってまた500に行きたいって言ったんですよ。500だ!ってね。だってNSR500はバイクで言えばF1ですから。スーパーバイクはツーリングカーってとこですね」

F1への追放

それでどうなったんですか?

「どうなったかって言うと、上司がやってきて、わかった、F1をやらせてやるよって」(ここで中本は驚いたように目を見開いてみせた)

それでバイクを離れてF1に言ったんですね。でも4輪レースは未経験だったんですよね。責任の重さに怖くなったりしなかったんですか?

「驚く前に怖くなりましたね。おっしゃるとおり4輪の経験はなかったんですから。でも会社の命令でしたからね。選択肢は二つ。F1をやるかホンダを辞めるかです。当時は二人の幼い息子を抱えてたんでホンダを辞めるわけなにはいかなかった。だからF1に行ったんです(笑)」

新たな挑戦はどうだったんですか?

「正直に言うとF1もすごく楽しかったですね。2000年の5月1日から2008年の終わりにホンダがF1から撤退するまで…、ほぼ9年間ですね。F1は見てるとつまらないんですけど技術的な観点から言うと現場に身を置くのは本当に楽しかったですね。予算もバイクとは全然違いますし。エンジニアの数も違う。本当に全然違うんです。F1ではエンジニアの担当範囲は凄く狭いんです。でもその分もの凄く深く、本当に深く関わっている」

つまり専門性がすごく高くて、すごく集中しているってことですか?

「ええ。バイクのエンジニアの方が広い範囲を担当してるんです…。F1時代にはエンジンやシャーシやあと空力についていろいろ学びました。特に空力ですね」

故郷への帰還:再びバイクに

なるほど。それで2009年になってHRCに入るんですよね。2輪に戻ってきていかがでしたか?ホンダのいちばん大事な2輪プロジェクトの責任者になったわけですけど。

「そうですね、2009年のセパンテストで、まあ驚きましたよ」

何に驚いたんですか?

「ホンダはトップスピードはとんでもなく速かったんです。ストレートでは易々とヤマハを抜いていった。でもコーナーではヤマハがブレーキングのあたりで簡単に抜き返してたんです。とても我慢できなかったですね」

ショックだったと?

「ええ。ホンダのマシンはほんとに速かった。でもブレーキングではヤマハの方がぜんぜん強かったんです!最初に思ったのは何か間違ったことをやってるってことですね。それでいくつかセッティングを試してみたんです。ブレーキングの効率を良くしようとしたりね。でもヤマハの方がうちより全然効率が良かったんです」

お話を伺っているとGPのマネジメントを任されたのにエンジニアとしても働いていたように聞こえるのですが、そういうことなんですか?

「ええ。当時もうHRCの副社長だったんですけどね。会社全体のマネジメントをしていたんです。HRCの社長ってのはお飾りで、実際に会社を運営しているのは副社長なんです。だから経営とか予算管理とか法務とかいろんなことを勉強しなきゃならなかった。でも技術的なことにもまだ興味はあったんです。技術的な部分を改良しようとして着任後にHRCの組織改革に取り組んだんです」

興味深い話ですね…。何をしたのか教えて頂けますか?

「シャーシ担当とエンジン担当と、シャーシテストグループとエンジンテストグループを作ったんです。あと将来の技術だけを考えるグループも作りました。他のグループとは完全に分離したんです。将来のことしか考えない部門です」

将来って、どれくらい先の話ですか?

「半年先のものもあれば3年先のものもありますし、10年先のことも考えてましたね…」

既存の技術をベースに考えてたんですか?それともゼロから新たなものを創り出そうとしてたんですか?

「既存技術を使ってましたよ。私がやったのはやるべきことを明確にすることでした。例えば2009年に私がみんなに言ったのは『ブレーキングの安定性を改善しろ』ってことです。もしブレーキングの安定性が良くなったらヤマハでもドゥカティでもストレートからのブレーキングでうちを抜くことはできないってわかってましたから。コーナリングスピードはヤマハほど速くはなかったですけど、コーナー進入でヤマハの前にいられたら簡単には抜けないですからね」

論理的だしシンプルですね。

「ですね。当時ストレートでの速さはうちの強みだった。コーナリングスピードは弱みだった。弱みをなんとかしようと思うこともおおいんですよね。強いところを忘れちゃうんです。当時うちはコーナリングスピードを稼ぐための知識も技術も足りなかった。でもストレートで速くすることはできたんです。だからその強みを最大限に活かすことを考えたんですよ。ストレートで抜いてコーナリングでも前にいられればまたトップスピードを活かすことができる。もしそうなればコーナリングスピード重視のマシンに乗ってるライダーもその内あきらめるだろうって確信があったんです」

なるほど。それで2009年以降どうなったんですか?

「開発部隊がすごくいい仕事をしてくれましたね。2010年からは開発部隊の提案に基づいてブレーキングの安定性を改善できたんです。いくつか異なるシャーシを試しましたね。2010年のカタールでは、覚えてるかもしれませんが、ペドロサのマシはストレートでえらくウォブルが発生していた。ダニは気に入らなかったですけどドヴィツィオーゾは気に入ってました。コーナリングスピードが速かったんです。あのマシンで狙ってたのはブレーキングの安定性だったんです」

2010年:目標達成

2010年型が実質あなたの最初のマシンだったわけですね。あなたの考えが反映されていたという意味で。あのマシンには満足していますか?

「そんなわけないですよ。あれは自分たちが設定した目標への第一歩にすぎません」

つまり自分が望むマシンを作ることができたら次はライダーってことですね。それがケイシー・ストーナーだったと。そういうことですよね?

「ええ。でもダニもコンセプトには満足してくれました。実際のところ今でも考え方は変わっていません。ブレーキングの安定性がエンジン出力より大事なんですよ。本当に桁違いに大事なんです」

ホンダのエンジニアがそんなことを言うなんて思ってもいませんでした。つまりあなたがシャーシエンジニアだってことですね。2011年の話になりますけど、あの年は目標達成と言ってもいい年ですよね?自分が望むマシンを作ることができて、クラス最高のライダーを走らせてタイトルを獲得した。

「ええ。2011年は最初の目標を達成できましたね」

最初ってことは次の目標もあったと…。それは何なんですか?

「次の目標はコーナリングスピードの改善ですね。そこが弱いところでしたから。いくつか試してみて、今ではヤマハよりコーナリングが速いんで満足してますよ。どのサーキットのデータを見てもらってもいいですよ。特にタイトコーナーではうちは速い。ラップタイム自体は近いですけど、マルクはコンマ数秒速いこともありますし、それはコーナリングで稼いでいることも多いんです」

凄いですね!つまり最初はブレーキングの安定性に取り組んで、そしてコーナリングスピードでもとんでもなく強さを発揮する…。あとは何が足りないんですか?

「もう足りないことはないですよ!(笑)」

じゃあこう訊きましょう。ヤマハの強みってなんですか?

「バランスですか…。全体のバランスがすごくいいんですよ。全体のバランスってのはコーナリングとか加速とか…」

最大の疑問:ストーナーかマルケスか

ストーナーの次はマルク・マルケスがホンダのナンバー1です。2013年の話になりますけど、彼がHRCに加入した時、彼がどこまでできると思ってましたか?

「2012年のヴァレンシアテストでマルクがうちのマシンに初めて乗ったとき、本当に驚きましたね。コンディションhあ良くなかった。普通のコンディションで走れたのは30分くらいだったと思います。でもトップスピードもブレーキングも…うぉぉ!ってなりましたね。ほんとに、ものすごく驚きましたよ。そのとき、OK、自分の選択は正しかったって思いました」

その後のマルクとの年月は楽できたんですか?

「いえ、全然ですよ。通常、ライダーはMotoGPマシンをどう乗りこなすか理解しなければなりません。才能のあるライダーなら誰でも一発のタイムは出せるんですけど、レースの最後まで安定したラップタイムを刻むのには経験が必要なんです。マルクもはっきりと終盤まで速いタイムを維持するのは難しいって言ってました。2013年の序盤、マルクは運に恵まれたんです。オースチンではただ一人リアにハードを履いていたおかげで勝つことができた。序盤のほぼすべてのレースで表彰台に上がることができたんです。その序盤でポイント差をつけることができたおかげで後半戦ではその差をコントロールしながらやっていけた。そしてシルバーストンで彼はこう言ったんです。『どうやってタイヤをマネジメントするかわかったよ』ってね」

つまりマルクはすごい早さで学んでみせたと?

「その通りです。普通のライダーなら1年、1シーズンかかって学ぶんです。でもマルクはシーズン半分しか必要としなかった。でも同時に運も味方についていたんです。ホルヘはすごく強かったしダニもすごく強かった。でもどちらも怪我をしてたんです。何戦か欠場して、それでマルクがポイント差を広げられたんです」

2014年…記録的な年になりましたが。

「あれは彼がMotoGPマシンをコントロールすることを学べたことと、マシンの良さと、そして彼のライディングスタイルの組み合わせが良かったんですね」

あなたがHRCを率いていた期間の二人の天才ホンダライダー、ケイシー・ストーナーとマルク・マルケスを比べてみると?

「そんなことはできないですね。全然異なる個性を持っているんですよ。そしてどちらもコース上では特別な何かを持ち合わせている」

どういう意味で?

「マルクはブレーキングがすごいですね。ケイシーはコーナリングスピードがとんでもなく速い。ケイシーは加速も巧かったですね。完璧なリーンアングルで完璧にパワーの出し方をコントロールできたのか、何なのか…。データを見ると彼はタイヤグリップの限界を完璧にコントロールできてたんです。タイヤのグリップがなくなってトラクションコントロールがパワーを制御し始めるそのぎりぎりがわかっていた。加速の時のスロットルコントロールも驚きですよ…。常にぎりぎりのところを使ってるんです」

マルクはどうなんですか?

「マルクも似てますけど彼はトラクションコントロールにもっと頼ってますね。ケイシーはどうしてだかわからないですけど、とにかくもう、をぉぉぉ!って感じでしたね」

彼がやめた理由はわかりますか?

「全然!ケイシーは理解しにくい男なんです!でも彼の決断は尊重しますよ」

現在

技術の話に戻ります。2009年型と現在のマシンはかなり違うんですか?MotoGPはもう発展の少ないカテゴリー担ってしまったのか、それともまだ進化中なんですか?

「うちのやり方は他のメーカーとは違うんですよ。ホンダはいつでもフレームやスイングアームをどんどん変えていく。それが普通なんです。もし何かやってみてうまく使えそうならすぐに変更していくんです。だからこのマシンはあの年のモデルだとか別の年のモデルだとか単純には言えないんですよ。今年も旧型シャーシを使っているライダーが実際いるのがいい例ですね」

エンジンについてはどうですか?

「エンジンも同じやり方ですね。もちろんピークパワーは大事ですけど、パワーの出方はもっと大事なんです。これは今でも変わりません。シャーシ回りではブレーキングの安定性が一番大事で、その次がコーナリングスピードですね」

2009年から考え方は変わってないんですか?それってあなたのようなレースエンジニアには退屈じゃありません?

「そうですねぇ、まあ違うことを見つけて試してみることもあるんで」

では2016年型についてはいかがですか?共通ソフトウェアのせいで退化してしまったんですか?

「シーズン前半についてはその通りですね。何度か説明したことがありますけど、どうやったらソフトウェアをうまく機能させるかわかっていなかったんです。今はもうわかっていて、まあ90%くらいは使えてるでしょうか。もちろんHRC製ソフトを使えるのであればコースサイドの作業はずいぶん楽になるでしょうけどね」

2009年から2016年というのは長いチャレンジでしたね。この中でベストマシンはなんですか?

「来年型ですよ!いつでも次の作品が最高なんです」

来年で8年間のホンダでのMotoGPの仕事を終えることになります。いちばん満足できるシーズンを選ぶとしたらいつですか?

「ひとつだけと言われたら2010年ですね。状況を変えることができてタイトル争いに復帰できた…。そしてそれが2011年に結実するんです」

ダカール:最後の挑戦

あなたがこのインタビューを呼んでいる頃、既に中本はホンダのMotoGPの仕事から離れているはずだ。退職は4月だが2017年シーズン前の仕事を彼がやっても意味はないということである。しかし中本にはもう一仕事残っている。ダカールだ。WMXのタイトルを2016年に獲得した彼にとって完璧な締めくくりとするにはダカールの勝利が不可欠だということを中本は隠そうともしない。

で次は何ですか?ダカールを勝ちに行きます?

「まずはマシンの信頼性ですね。うちのマシンの戦闘力は2年前から充分でした。でも信頼性についてはKTMの方が勝っている」

ライダーはいいんですか?最速ライダーだということは誰もが理解していますけど、安定性に欠けますよね。それもかなり。ホアン・バレーダは今年こそ勝てるんでしょうか?

「そう思いたいですね…。まあそれは私にきかないでバレーダにきいてください…(笑)。彼はスペイン人ですから簡単にきけるでしょ?」

もし勝てなかったらダカールだけがやり残した仕事ってことになるわけですね。

「ダカールに勝つにはいろんな要素が必要です。凄く強いライダー、すごくいいマシン、そしてすごくいい組織…」

運はどうなんです?運もレースには重要な要素ではないんですか?

「運ですか…?普通、運ってものはライダーについてくるんですよ」

つまり幸運とか不運とかはライダーが作り出すものだと?

「ええ…、私はそう思いますよ」

…インタビューの終わりも驚くようなものだった。中本はエンジニアには一般的なものの見方、分析の仕方を教えてくれたのである。

1.問題点の解決には集中して取り組んで、可能な限り簡単な発生機序と原因を見つけだす必要がある。
2.運というものはレースには存在しない。もし何かが失敗したらそれは誰かが自分の仕事を完璧にこなさなかったからだ。

人のいなくなったMotoGPのパドックでの長い会話で、中本修平はこれまで話していなかったことを語ってくれた。そしてこれからも語られることはないだろう。穏やかな雰囲気で行われたこのインタビューで、彼はF1時代、2010年、そしてケイシー・ストーナーとの日々がレースエンジニアとしての最高の時期だったことを見出すことになった。

日本の経営幹部としては珍しく中本はゴルフを好きではない。つまりリタイア後の悠々自適の日々を世界中のグリーンを回るということに使う予定はないということだ。彼が好きなのは山小屋に隠れ住んでカナダの木こりのように薪を割ることである。

レースの世界には感傷が入り込む余裕などない。しかしMotoGPにとって中本修平が抜けた穴は大きいだろう。とは言え私は彼がすぐとは言わないまでも遅かれ早かれ戻ってくるだろうと確信しているのだ。
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KTMかアプリリアで戻ってくるとおもしろいなあ。

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コメント

とても興味深い記事です!ありがとうございます!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

投稿: 特急41 | 2016/12/10 19:52

「500に行きたい!」「わかったF1をやらせてやるよ(爆)」
凄すぎます。これもホンダという会社が中本氏の才能を見ての人事だったのでしょうかw
にしても後藤治氏のように、外国メーカーが中本氏を引っ張ってくる可能性は十分にあると私も思います。
彼の頭の中には、彼等が喉から手が出るほどのノウハウがつまっているのですから。

投稿: motobeatle | 2016/12/12 03:47

本当に面白い記事をありがとうございます♪
「F1は見てるとつまらないんですけど」で
ゲラゲラ笑ってしまいましたw
中本さんが言うんならもう仕様が無いですねw

運営とエンジニアリングとでの経験は
本当にどのメーカーだって欲しいところでしょうね!
しかもF1とMotoGP両方ってなると貴重すぎます…

投稿: LOWER | 2016/12/12 07:04

どぉ~もくだんの猿の件以降、中本氏に対しては疑念のマナコになってしまっていて・・・(笑)
しかし本当に優秀な方なんですね。
この方と『理解しがたい男』との会話聞いてみたかったナ~

投稿: りゅ | 2016/12/12 12:36

>特急41さん
 私も訳していて楽しかったです!!

投稿: とみなが | 2016/12/12 22:57

>motobeatleさん
 懐が深い会社なんでしょうね。そしてその懐の深さこそが大企業の強さなんでしょう。トヨタしかり、日産しかり。

投稿: とみなが | 2016/12/12 22:59

>LOWERさん
 さすが、引退前の言いたい放題ですね。まあでも中本サンは以前からこんな感じだったようなw。

投稿: とみなが | 2016/12/12 23:00

>りゅさん
 猿についてはきっとこのインタビューでもきいてる気がします。だからこその山小屋ネタかと。でもきっと書けなかったんですよw。

投稿: とみなが | 2016/12/12 23:01

F1もMOTOGPも観てますが、やはり今は断然MOTOGPが面白いですね。セナの時代はともかく。

今年のもてぎGPで中本さんに「マルクの欠点はなんですか?」と訊いたら「女好きなところ」と答えられてズッコケました。
ライダーとしての欠点を知りたかったんですが、天才的な人だし、きっと欠点なんてないんでしょうね☆

中本さんがいなくなるなんて本当に残念。
いつかホルヘが移籍してくるまでHONDAにいて欲しかったです。

投稿: たけちよ | 2016/12/13 17:29

>たけちよさん
 そ、それはホンダの最高機密では!!

投稿: とみなが | 2016/12/31 16:29

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