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今年良く読まれた記事ベスト10:2016年版

年末恒例のベスト10ですが、今年は正確にはサロム関連除く、です。実は1位は「FIMプレスリリース:ルイス・サロムに関する医療チームの報告」、2位はこれについての諸々に関するMotoMatters.comの記事、「2016バルセロナ土曜まとめ:危険との折り合い、データに基づく設計、そして文句を言う権利」、3位がやはりMotoMatters.comの「バイクレースについて、そして危険性と死」なのですが、まあドラムロール付きカウントダウンで発表したいものではないですから。
というわけで、例によって記事ごとのPVなので、定期的にトップページにお越し頂いている方がカウントされてない(=検索でヒットする記事が上位にくる)とかありますが、今年の振り返りです。
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10位「なぜロレンソはそれを選んだのか?」(2016.4.20)
 色んな人が驚くことになったシーズン序盤でのロレンソのドゥカティ移籍発表についてMat Oxley氏が彼の心の内について書いた記事がランクイン。はてさてどうなることやら。

9位「MotoGPレースディレクターのマイク・ウェッブがイアンノーネ/ロレンソ事件について解説する」(2016.6.12)
 今年のイアンノーネを象徴するカタロニアでのロレンソへの突っ込み事件へのお沙汰の軽重についてマイク・ウェッブが解説しています。来年スズキで走りがどう変わるか興味はありますが、変わらないといいな、とも思わないでもない。

8位「2016年ムジェロ MotoGP日曜まとめ:エンジン、失意、そして過熱する争い」(2016.5.25)
 おそらくシーズン最高のレースの一つ。ロレンソが0.019秒差でマルケスに勝ったムジェロについてのMotoMatters.comの記事です。この時点では今年もロレンソがタイトル最有力に見えたのですが…。

7位「ブラッドリー・スミス公式ブログ」(2016.6.6)
 サロムのクラッシュを受けて開かれた安全委員会に参加して言うべきことをきちんと言ったスミスのブログです。かなり男を上げましたね。

6位「なんだこりゃ?」(2016.6.4)
 どうも今年の日本GPはあんまり印象が良い売り方をされなかったのでかなり厳しい記事となっていますが、実際はこれまでで最高の運営がされていたようにも思います(この件とロッシ応援席以外は)。

5位「MotoGPレースディレクターがMoto2のフライング問題について説明」(2016.3.21)
 カタールでの開幕戦、Moto2クラスを大混乱に陥れた大量フライングと一貫しない処置についてのマイク・ウェッブ氏の説明。こうした説明をきちんとするのもとても大事です。

4位「ストーブリーグ表2017(2016.4.19時点)」(2016.4.19)
 いやはや、今年はひどかったですね。楽しめはしましたけど追っかけるのが辛かったですよ。

3位「なぜホンダは決して楽な道を選ばないのか」(2016.2.7)
 ホンダが苦労してまで挑戦を続ける理由についてのMat Oxley氏の記事。そしてそれが今年見事に報われたわけですよ。すごいなぁ。

2位「2016年MotoGPルールが明らかに:エンジン7基、22L、157kg、成績次第の優遇ポイント制導入」(2015.4.5)
 去年の記事で唯一のランクイン。今年のルールについてのまとめです。 

1位「Z席へのロッシ応援席設置についてツインリンクもてぎにお手紙だした」(2016.3.26)
 意外な記事が1位でしたね。「ロッシ応援席」で検索してやってきたロッシファンの皆様には申し訳なかったですが、この気持ちは今でも変わっていません。
 ちなみに隣のZ4から見ていたロッシ応援席の皆さんは本当にマナーも良く、ブーイングもなく、特に迷惑をかけることもなく、それはそれでOKなのですが、そういう問題ではなく、一等地を特定ライダーのファンに独占させるというのがよろしくないのですよ。ついでに言うならロッシファンの皆さん、楽しかったです?まるでメーカー応援席のように、ロッシが来たら黄色い旗を振るだけで、せっかくファンが集まったのにワイワイ楽しむこともなく、これだったら別にどこで見てもいいんじゃね?って見えたんですが…。

 そうそう、ちょっと触れましたが、今年のもてぎの運営は最高でした。Z席前のスクリーンも巨大化してどこからも見やすかったのもありがたかったですし、それより何より、屋台の増設(前田牧場の牛串最高!)やキャンギャルステージの廃止、エントランス前のシーズン振り返りポスター、エントランスまでの通路のライダーパネル等々、たいへんよろしかったので、来年もこの調子で是非!
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というわけで、去年のロッシvsマルケスのゴタゴタ対応で燃え尽きたのかシーズン序盤からのストーブリーグの荒れっぷりで力尽きたのか、今年はこれまでになく翻訳をさぼりまくった1年でした。個々のレースは面白かったですけど、シーズン自体は優勝者が9人も出た一方で(だからこそ)安定してポイントを稼いだマルケスが盤石のタイトル争いを見せたというあたり、実はそれほど白熱しなかったのかなーとも思っております。来年はレースもタイトル争いもおもしろくなりますように。

では皆様良いお年をお迎えください。

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MotoGPはどうやってクラッシュの変化に対応しているのか

今年はタイヤも電子制御ソフトも変化した上に天候も荒れたのでクラッシュが多かったですね。そしてクラッシュと言えばこの人。怪我をしたライダーを魔法のように直してしまうミル医師へのインタビューです。Bike Sport Newsより。
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今年のMotoGPは昨年と比較して転倒が34%も増加したが、これはタイヤメーカーの変更と電子制御システムの統一がその原因だと言われている。

そして転倒の内容もハイサイドからフロントエンドが原因のものに変化しており、外傷対応チームもこれに合わせて2台目のドクターカーの導入やツナギへのエアバッグ義務づけ等を行っている。

クラッシュのデータも興味深い。2015年の215回から2016年は288回に増加しているが、これは1開催あたり12回が16回になっている計算だ。ちなみに10年前の最高峰クラスでの転倒は1シーズンでわずか98回だった。

しかしこれは最高峰クラスだけに限ったことではない。大きな変更のなかったMoto2やMoto3でも徐々にだが確実に転倒が増加している。今年のMoto2の転倒は364回、そして3クラスで最も多かったMoto3では410回の転倒が起こっているのだ。これは週末当たり23回に相当する回数である。去年はMoto2で235回、Moto3で314回(訳注:ここは数字の間違いで、おそらくMoto2:352回、Moto3:409回)、10年前は250ccでで235回、125ccで314回だった。

今シーズンの状況については天気も考慮に入れる必要があるだろう。オーストリア、オランダ、ドイツ、イギリス、チェコ、マレーシアでは複雑な天候だったのだ。とは言え最も転倒が多かったのはフィリップアイランド(90回)。次いで、もてぎ(84回)、ザクセンリング(81回)、セパン(69回)、シルバーストン(68回)となっている。クラッシュが最も少なかったのはムジェロの34回だ。

毎年マシンはどんどん速くなり、ラップレコードも更新され続けている。しかし2016年に関してはやはり統一電子制御とミシュランタイヤへの変更が転倒増加の原因なのだろうか?そしてクラッシュのあり様はどう変わってきたのだろうか?

我々はMotoGPの外傷専門家であり上肢外科手術の専門家であるザヴィエル・ミル医師に安全確保について、そしてコースの安全性増向上にドルナが果たす役割についてたずねてみた

まず最初にMotoGPにおける先生の役割を教えて頂けますか?

「私は整形外科の責任者で、内科系はアンヘル・チャルテ医師が責任者となっています。この仕事について5年になりますね。私のいちばんの専門は腕ですね。つまり鎖骨から手のひらまでということです。クラッシュで最も影響を受ける部位について調査したのですが、怪我の70%が上肢(鎖骨から手のひらの間)に集中していることがわかりました」

一番転倒が多かったのはどのサーキットですか?

「今年はフィリップアイランドの90回で、次がもてぎの84回、セパンの69回、シルバーストンの68回と続きます。フィリップアイランドセパン、シルバーストンについては天候が一番大きな原因ですね。でも統計的には深刻な怪我はドライで発生しています。実際ウェットでの転倒はきれいにすべっていきますからね」

いちばん転倒の多いのはコーナーはどこでしょうか?

「コンディションによりますね。今年のシルバーストンを例にとると、10コーナー(クラブコーナー)と12コーナー(ファームカーブ)で11回ずつとなっています。週末の天候がころころ変わっていたんですよね。例えばフィリップアイランドでも4コーナーで32回も転倒が起こっていますが、ここでも天候がドライとウェットが入り交じっていましたから」

去年と比較してクラッシュの有り様はどう変わりましたか?

「以前はハイサイドが多かったですけども、今年はフロントからの転倒が多かったですね。毎年スピードが上がっているのは間違いありませんし、骨折の状態も変化しています。例えばエアバッグが導入されても防護しにくい部位はあるんです。エアバッグのカバーできる範囲はライダーによって異なっているんです。それほどオーダーメイドに対応しているわけではないんですよ。これは大きな課題ですね。ロリス・バズは191cmあってダニ・ペドロサは160cmだってことを考えてもわかりますよね。なので今私たちはダイネーゼ及びアルパインスターズとともにこの重要な安全装備についての研究を進めているところです」

ペドロサについて話が出ましたけど、どうして彼は転倒のたびに怪我に苦しむことになるんですか?

「ダニはすごいライダーですね。ものすごい才能がある、でも彼の体格や筋組織は彼の弱点です。彼の筋肉はそれほど強くはないんですよ。それに、これは言っておかなければなりませんが、彼には不運がつきまとってるんです」

今年は椎骨を骨折したライダーの何人かいましたが…

「ええ、アンドレア・イアンノーネにジャック・ミラーに、フリアン・シモン…、これについてもエアバッグをもう少し長くできないか検討しているところです。もうひとつのポイントはエアバッグが機能し始めるのはライダーが接地する前からで、その短い間にライダーの体勢が大きく変わるんです。2018年からはエアバッグを義務化する予定でいます。そのためにはエアバッグ自体の改善も必要ですし、ライダーの体格に合わせてオーダーメイドできるようにする必要もあります」

最近導入された安全性向上策について教えてください。

「コース上でかなりの侵襲的な処置(訳注:切開とか気管挿管とか、人体を切ったり何かを入れたりする処置)ができる装備を搭載したドクターカーを2台配備したのは大きいですね。ライダーが意識を失っている場合はこの2台が出動します。レッドフラッグが出されてから1分以内に現場に到着することが可能で医師がコース上のライダーの診療にあたることができるんです。
 これはF1と同じやり方です。ここで一次処置を行ったらメディカルセンターに搬送するか、そうでなければいちばん近い病院にヘリコプター搬送します。最初の1周が事故のリスクが最も高いんです。ライダーが一団になってますからね。それでドクターカーが集団を追いかけて、さらに2台のドクターカーが複数の事故に備えていつでもコースに入れるように待機しています。それぞれのドクターカーにはプロのドライバーと医師が一人、救命士が一人乗っています。マルコ・シモンチェリの事故が起こったときにはまだこうした意識のないライダーをコース上で診療する機材を積んだドクターカーが配備されていませんでした。そのため当時はまずメディカルセンターや病院に搬送しなければいけなかったんです」

一番危ないのはどの瞬間ですか?

「スタートですね」

コースには何人のお医者さんがいるんですか?

「コースによって違うんです。コースレイアウトと長さによるんです。例えばヴァレンシアではコースサイドに医師21人、救命士21人が配置されています。その他に4人の医師と4人の救命士がドクターカーに、さらにメディカルセンターにもスタッフを配置しています。車に関しては7台の救急車がコースサイドに、2台がメディカルセンターに、さらに2機のヘリコプターも配備しています」
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エアバッグは規格品だったのかー。

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ホンダを目覚めさせた男

HRC副社長でMotoGPの責任者である中本サンは来年4月で定年。ということでいろんなインタビューが出てますが、これは出色のでき。PecinoGPより。
リンク先の写真もいいぞ。
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中本修平がMotoGPにやってきたのは2009年。このときホンダは80年代中盤に世界GPに復帰して以来の厳しいシーズンを送っていた。中本が参入する前の5年間でタイトルはわずか一つ。それも自らの力で勝ち取ったと言うよりはライバルのミスに助けられたおかげだった。

中本修平がレプソル・ホンダチームに参加したのはホンダにとって最も重要な投資であるF1の最高責任者を9年間勤め上げた後のことだった。ホンダで最も尊敬されるエンジニアとして彼は世界選手権で苦境にあえぐバイク部門に送り込まれたのである。しかし本当のことを言えば、これは彼にとってHRC入社当時の仕事に戻ったということだったのだ。

中本が新人エンジニアとしてホンダに入社したのは1983年のことだ。「最初の3か月は車の販売店で働いて、そのあと3か月は鈴鹿の4輪工場に配属されたんですよ」、そう彼は教えてくれた。「その研修期間を終えてホンダは私をどこで働かせるか決めたんです…。運が良かったんですね。最初にHRCに配属されたんですよ」

その時はおいくつだったんですか?

「26歳でしたかね。HRCに入ったのは1983年の10月1日ですから」


そして?

「最初はエンジン部門だったんです。でも1か月して上司のところに行ってエンジン設計からシャーシ設計に移りたいって言ったんです」

エンジンよりシャーシをやりたかったのはどうしてですか?

「エンジンもおもしろいんですよ。でもいじれる大きさってクランクケースの幅しかないんです。シャーシならもっと大きな空間でいろいろデザインを試せるんです」

で、上司の答えは…?

「OKでした。シャーシを担当できることになったんです」

つまり中本さんの専門分野はシャーシ設計ってことなんですか?

「その通りですね」

それでHRCで働くことになったと。最初のプロジェクトは何だったんですか?

「最初はRS250とRS125でした。両方のシャーシ設計を担当したんです。その後はNSR250ですね。数年間担当した後HRCの上司にNSR500をやりたいって言ったんです…、それで理由を聞かれました。125と250をやったんだから次はそうなるでしょ、って言ったんですけど、そしたらスーパーバイクをやらされることになったんですよ!」

V2とV4のどちらだったんですか?

「V4ですね。RC45でコシンスキーと。アーロン・スライトと…。でも2000年になってまた500に行きたいって言ったんですよ。500だ!ってね。だってNSR500はバイクで言えばF1ですから。スーパーバイクはツーリングカーってとこですね」

F1への追放

それでどうなったんですか?

「どうなったかって言うと、上司がやってきて、わかった、F1をやらせてやるよって」(ここで中本は驚いたように目を見開いてみせた)

それでバイクを離れてF1に言ったんですね。でも4輪レースは未経験だったんですよね。責任の重さに怖くなったりしなかったんですか?

「驚く前に怖くなりましたね。おっしゃるとおり4輪の経験はなかったんですから。でも会社の命令でしたからね。選択肢は二つ。F1をやるかホンダを辞めるかです。当時は二人の幼い息子を抱えてたんでホンダを辞めるわけなにはいかなかった。だからF1に行ったんです(笑)」

新たな挑戦はどうだったんですか?

「正直に言うとF1もすごく楽しかったですね。2000年の5月1日から2008年の終わりにホンダがF1から撤退するまで…、ほぼ9年間ですね。F1は見てるとつまらないんですけど技術的な観点から言うと現場に身を置くのは本当に楽しかったですね。予算もバイクとは全然違いますし。エンジニアの数も違う。本当に全然違うんです。F1ではエンジニアの担当範囲は凄く狭いんです。でもその分もの凄く深く、本当に深く関わっている」

つまり専門性がすごく高くて、すごく集中しているってことですか?

「ええ。バイクのエンジニアの方が広い範囲を担当してるんです…。F1時代にはエンジンやシャーシやあと空力についていろいろ学びました。特に空力ですね」

故郷への帰還:再びバイクに

なるほど。それで2009年になってHRCに入るんですよね。2輪に戻ってきていかがでしたか?ホンダのいちばん大事な2輪プロジェクトの責任者になったわけですけど。

「そうですね、2009年のセパンテストで、まあ驚きましたよ」

何に驚いたんですか?

「ホンダはトップスピードはとんでもなく速かったんです。ストレートでは易々とヤマハを抜いていった。でもコーナーではヤマハがブレーキングのあたりで簡単に抜き返してたんです。とても我慢できなかったですね」

ショックだったと?

「ええ。ホンダのマシンはほんとに速かった。でもブレーキングではヤマハの方がぜんぜん強かったんです!最初に思ったのは何か間違ったことをやってるってことですね。それでいくつかセッティングを試してみたんです。ブレーキングの効率を良くしようとしたりね。でもヤマハの方がうちより全然効率が良かったんです」

お話を伺っているとGPのマネジメントを任されたのにエンジニアとしても働いていたように聞こえるのですが、そういうことなんですか?

「ええ。当時もうHRCの副社長だったんですけどね。会社全体のマネジメントをしていたんです。HRCの社長ってのはお飾りで、実際に会社を運営しているのは副社長なんです。だから経営とか予算管理とか法務とかいろんなことを勉強しなきゃならなかった。でも技術的なことにもまだ興味はあったんです。技術的な部分を改良しようとして着任後にHRCの組織改革に取り組んだんです」

興味深い話ですね…。何をしたのか教えて頂けますか?

「シャーシ担当とエンジン担当と、シャーシテストグループとエンジンテストグループを作ったんです。あと将来の技術だけを考えるグループも作りました。他のグループとは完全に分離したんです。将来のことしか考えない部門です」

将来って、どれくらい先の話ですか?

「半年先のものもあれば3年先のものもありますし、10年先のことも考えてましたね…」

既存の技術をベースに考えてたんですか?それともゼロから新たなものを創り出そうとしてたんですか?

「既存技術を使ってましたよ。私がやったのはやるべきことを明確にすることでした。例えば2009年に私がみんなに言ったのは『ブレーキングの安定性を改善しろ』ってことです。もしブレーキングの安定性が良くなったらヤマハでもドゥカティでもストレートからのブレーキングでうちを抜くことはできないってわかってましたから。コーナリングスピードはヤマハほど速くはなかったですけど、コーナー進入でヤマハの前にいられたら簡単には抜けないですからね」

論理的だしシンプルですね。

「ですね。当時ストレートでの速さはうちの強みだった。コーナリングスピードは弱みだった。弱みをなんとかしようと思うこともおおいんですよね。強いところを忘れちゃうんです。当時うちはコーナリングスピードを稼ぐための知識も技術も足りなかった。でもストレートで速くすることはできたんです。だからその強みを最大限に活かすことを考えたんですよ。ストレートで抜いてコーナリングでも前にいられればまたトップスピードを活かすことができる。もしそうなればコーナリングスピード重視のマシンに乗ってるライダーもその内あきらめるだろうって確信があったんです」

なるほど。それで2009年以降どうなったんですか?

「開発部隊がすごくいい仕事をしてくれましたね。2010年からは開発部隊の提案に基づいてブレーキングの安定性を改善できたんです。いくつか異なるシャーシを試しましたね。2010年のカタールでは、覚えてるかもしれませんが、ペドロサのマシはストレートでえらくウォブルが発生していた。ダニは気に入らなかったですけどドヴィツィオーゾは気に入ってました。コーナリングスピードが速かったんです。あのマシンで狙ってたのはブレーキングの安定性だったんです」

2010年:目標達成

2010年型が実質あなたの最初のマシンだったわけですね。あなたの考えが反映されていたという意味で。あのマシンには満足していますか?

「そんなわけないですよ。あれは自分たちが設定した目標への第一歩にすぎません」

つまり自分が望むマシンを作ることができたら次はライダーってことですね。それがケイシー・ストーナーだったと。そういうことですよね?

「ええ。でもダニもコンセプトには満足してくれました。実際のところ今でも考え方は変わっていません。ブレーキングの安定性がエンジン出力より大事なんですよ。本当に桁違いに大事なんです」

ホンダのエンジニアがそんなことを言うなんて思ってもいませんでした。つまりあなたがシャーシエンジニアだってことですね。2011年の話になりますけど、あの年は目標達成と言ってもいい年ですよね?自分が望むマシンを作ることができて、クラス最高のライダーを走らせてタイトルを獲得した。

「ええ。2011年は最初の目標を達成できましたね」

最初ってことは次の目標もあったと…。それは何なんですか?

「次の目標はコーナリングスピードの改善ですね。そこが弱いところでしたから。いくつか試してみて、今ではヤマハよりコーナリングが速いんで満足してますよ。どのサーキットのデータを見てもらってもいいですよ。特にタイトコーナーではうちは速い。ラップタイム自体は近いですけど、マルクはコンマ数秒速いこともありますし、それはコーナリングで稼いでいることも多いんです」

凄いですね!つまり最初はブレーキングの安定性に取り組んで、そしてコーナリングスピードでもとんでもなく強さを発揮する…。あとは何が足りないんですか?

「もう足りないことはないですよ!(笑)」

じゃあこう訊きましょう。ヤマハの強みってなんですか?

「バランスですか…。全体のバランスがすごくいいんですよ。全体のバランスってのはコーナリングとか加速とか…」

最大の疑問:ストーナーかマルケスか

ストーナーの次はマルク・マルケスがホンダのナンバー1です。2013年の話になりますけど、彼がHRCに加入した時、彼がどこまでできると思ってましたか?

「2012年のヴァレンシアテストでマルクがうちのマシンに初めて乗ったとき、本当に驚きましたね。コンディションhあ良くなかった。普通のコンディションで走れたのは30分くらいだったと思います。でもトップスピードもブレーキングも…うぉぉ!ってなりましたね。ほんとに、ものすごく驚きましたよ。そのとき、OK、自分の選択は正しかったって思いました」

その後のマルクとの年月は楽できたんですか?

「いえ、全然ですよ。通常、ライダーはMotoGPマシンをどう乗りこなすか理解しなければなりません。才能のあるライダーなら誰でも一発のタイムは出せるんですけど、レースの最後まで安定したラップタイムを刻むのには経験が必要なんです。マルクもはっきりと終盤まで速いタイムを維持するのは難しいって言ってました。2013年の序盤、マルクは運に恵まれたんです。オースチンではただ一人リアにハードを履いていたおかげで勝つことができた。序盤のほぼすべてのレースで表彰台に上がることができたんです。その序盤でポイント差をつけることができたおかげで後半戦ではその差をコントロールしながらやっていけた。そしてシルバーストンで彼はこう言ったんです。『どうやってタイヤをマネジメントするかわかったよ』ってね」

つまりマルクはすごい早さで学んでみせたと?

「その通りです。普通のライダーなら1年、1シーズンかかって学ぶんです。でもマルクはシーズン半分しか必要としなかった。でも同時に運も味方についていたんです。ホルヘはすごく強かったしダニもすごく強かった。でもどちらも怪我をしてたんです。何戦か欠場して、それでマルクがポイント差を広げられたんです」

2014年…記録的な年になりましたが。

「あれは彼がMotoGPマシンをコントロールすることを学べたことと、マシンの良さと、そして彼のライディングスタイルの組み合わせが良かったんですね」

あなたがHRCを率いていた期間の二人の天才ホンダライダー、ケイシー・ストーナーとマルク・マルケスを比べてみると?

「そんなことはできないですね。全然異なる個性を持っているんですよ。そしてどちらもコース上では特別な何かを持ち合わせている」

どういう意味で?

「マルクはブレーキングがすごいですね。ケイシーはコーナリングスピードがとんでもなく速い。ケイシーは加速も巧かったですね。完璧なリーンアングルで完璧にパワーの出し方をコントロールできたのか、何なのか…。データを見ると彼はタイヤグリップの限界を完璧にコントロールできてたんです。タイヤのグリップがなくなってトラクションコントロールがパワーを制御し始めるそのぎりぎりがわかっていた。加速の時のスロットルコントロールも驚きですよ…。常にぎりぎりのところを使ってるんです」

マルクはどうなんですか?

「マルクも似てますけど彼はトラクションコントロールにもっと頼ってますね。ケイシーはどうしてだかわからないですけど、とにかくもう、をぉぉぉ!って感じでしたね」

彼がやめた理由はわかりますか?

「全然!ケイシーは理解しにくい男なんです!でも彼の決断は尊重しますよ」

現在

技術の話に戻ります。2009年型と現在のマシンはかなり違うんですか?MotoGPはもう発展の少ないカテゴリー担ってしまったのか、それともまだ進化中なんですか?

「うちのやり方は他のメーカーとは違うんですよ。ホンダはいつでもフレームやスイングアームをどんどん変えていく。それが普通なんです。もし何かやってみてうまく使えそうならすぐに変更していくんです。だからこのマシンはあの年のモデルだとか別の年のモデルだとか単純には言えないんですよ。今年も旧型シャーシを使っているライダーが実際いるのがいい例ですね」

エンジンについてはどうですか?

「エンジンも同じやり方ですね。もちろんピークパワーは大事ですけど、パワーの出方はもっと大事なんです。これは今でも変わりません。シャーシ回りではブレーキングの安定性が一番大事で、その次がコーナリングスピードですね」

2009年から考え方は変わってないんですか?それってあなたのようなレースエンジニアには退屈じゃありません?

「そうですねぇ、まあ違うことを見つけて試してみることもあるんで」

では2016年型についてはいかがですか?共通ソフトウェアのせいで退化してしまったんですか?

「シーズン前半についてはその通りですね。何度か説明したことがありますけど、どうやったらソフトウェアをうまく機能させるかわかっていなかったんです。今はもうわかっていて、まあ90%くらいは使えてるでしょうか。もちろんHRC製ソフトを使えるのであればコースサイドの作業はずいぶん楽になるでしょうけどね」

2009年から2016年というのは長いチャレンジでしたね。この中でベストマシンはなんですか?

「来年型ですよ!いつでも次の作品が最高なんです」

来年で8年間のホンダでのMotoGPの仕事を終えることになります。いちばん満足できるシーズンを選ぶとしたらいつですか?

「ひとつだけと言われたら2010年ですね。状況を変えることができてタイトル争いに復帰できた…。そしてそれが2011年に結実するんです」

ダカール:最後の挑戦

あなたがこのインタビューを呼んでいる頃、既に中本はホンダのMotoGPの仕事から離れているはずだ。退職は4月だが2017年シーズン前の仕事を彼がやっても意味はないということである。しかし中本にはもう一仕事残っている。ダカールだ。WMXのタイトルを2016年に獲得した彼にとって完璧な締めくくりとするにはダカールの勝利が不可欠だということを中本は隠そうともしない。

で次は何ですか?ダカールを勝ちに行きます?

「まずはマシンの信頼性ですね。うちのマシンの戦闘力は2年前から充分でした。でも信頼性についてはKTMの方が勝っている」

ライダーはいいんですか?最速ライダーだということは誰もが理解していますけど、安定性に欠けますよね。それもかなり。ホアン・バレーダは今年こそ勝てるんでしょうか?

「そう思いたいですね…。まあそれは私にきかないでバレーダにきいてください…(笑)。彼はスペイン人ですから簡単にきけるでしょ?」

もし勝てなかったらダカールだけがやり残した仕事ってことになるわけですね。

「ダカールに勝つにはいろんな要素が必要です。凄く強いライダー、すごくいいマシン、そしてすごくいい組織…」

運はどうなんです?運もレースには重要な要素ではないんですか?

「運ですか…?普通、運ってものはライダーについてくるんですよ」

つまり幸運とか不運とかはライダーが作り出すものだと?

「ええ…、私はそう思いますよ」

…インタビューの終わりも驚くようなものだった。中本はエンジニアには一般的なものの見方、分析の仕方を教えてくれたのである。

1.問題点の解決には集中して取り組んで、可能な限り簡単な発生機序と原因を見つけだす必要がある。
2.運というものはレースには存在しない。もし何かが失敗したらそれは誰かが自分の仕事を完璧にこなさなかったからだ。

人のいなくなったMotoGPのパドックでの長い会話で、中本修平はこれまで話していなかったことを語ってくれた。そしてこれからも語られることはないだろう。穏やかな雰囲気で行われたこのインタビューで、彼はF1時代、2010年、そしてケイシー・ストーナーとの日々がレースエンジニアとしての最高の時期だったことを見出すことになった。

日本の経営幹部としては珍しく中本はゴルフを好きではない。つまりリタイア後の悠々自適の日々を世界中のグリーンを回るということに使う予定はないということだ。彼が好きなのは山小屋に隠れ住んでカナダの木こりのように薪を割ることである。

レースの世界には感傷が入り込む余裕などない。しかしMotoGPにとって中本修平が抜けた穴は大きいだろう。とは言え私は彼がすぐとは言わないまでも遅かれ早かれ戻ってくるだろうと確信しているのだ。
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KTMかアプリリアで戻ってくるとおもしろいなあ。

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