« ストーブリーグ表2017(2016.5.14時点) | トップページ | ストーブリーグ表2017(2016.5.16時点) »

いつからレースが金になるようになったのか?

なんとなくストーブリーグが小休止に向かっている様子なので、ムジェロ前にちょいと興味深い記事をCycle Newsより。最近では走るためには持参金が必要になったりするというF1の悪しき慣習が持ち込まれちゃうほどお金に苦労しているバイクレースシーンですが、バブル期の日本ではレースで食べていくことも可能でした。アメリカでも状況は似ているようですが、レースにお金が出るようになったのは最近のことではない、というお話。ではいったいいつ頃から?
============
2010年代になってバイクレーサーにとってあまりいい時代とは言えないようだ。今日のアメリカではバイクレースで稼げるライダーはほとんどいないのだ。実際ワークスライダーは数人だけで、ほとんどのライダーにとってレース参加の収支は赤字となっている。100年以上のレースの歴史のほとんどはこういう状態だったのだが、そうでなかったことも何度かあるのだ。

いまレースに参加しているベテランレーサーにとっては昨今の状況は受け入れがたいだろう。彼らはこの国でのバイクレースの黄金時代の少なくとも最後の期間を享受できたのだ。概ね1990年代半ばから2000年代半ばの10年ほどの間はレースでいい暮らしができたライダーがかなりの数いたのである。その頃をよく知るライダーやマネジャーに話をきくと、当時は何十人ものライダーが様々な分野で6桁(訳注:邦貨換算1千万円単位)の収入をレースやスポンサーから得ていたという。そして何人かのエリートライダーはもっと稼いでいた。ジェミー・マクグラスやリッキー・カーマイケル、ジェームズ・スチュアート、マット・ムラディン、ニッキー・ヘイデン、ミゲール・デュハメルあたりは確実にアメリカのバイクレース市場最高額を稼いでいたライダーたちだろう。

90年代後半から2000年代初頭までのバイクレースが世間知らずでいられた時代はしかし例外的な者だ。あの頃と、そしてアメリカ人がGPに巨額を投じていた時代を除けばバイクレースでそれなりの稼ぎを得られた時代はひとつしかない。そしてそれは驚くことにバイクレースが始まってからの10年間なのだ。

1900年代の中頃から第一次世界大戦の勃発までの間はこの国のバイクレーサーというのはそれなりの職業だった。当時は20以上もの国内メーカーが覇を競い、最高のライダーには報酬を惜しまなかった。こうした話は当時のレーサーの一人、アーサー・チャプルへのインタビュー記事でうかがい知ることができる。彼は当時のバイクレーサーがボードトラック・レース(訳注:木製板張りのオーバルコースでのレース。当時の風景はこちらで)でどれくらい稼いでいたかを包み隠さず話しているのだ。

1913年のモーターサイクル・イラストレーティッド誌でチャプルはクラスBやワークスでないライダーの窮状について語っている。とは言え、そうしたプライベーターやサポートライダーでもボードトラック時代にはそれなりの収入を得ている。窮状とは言ってもクラスAのライダーやワークスライダーと比べた場合に収入が少なく見えたというだけなのだ。

1913年のワークスライダーはどれくらい稼いでいたのだろうか?

1913年当時のアメリカ人の平均所得は15ドルだったことを頭に置いていただきたい。3000ドルでいい家が、車だったら500ドルで買えた。

チャプルによればクラスAのライダーは興業主とレース1回当たり最低50ドルを得るという契約を結ぶのが通例だったそうだ。そしてレースは週に3回開催された。つまりワークスライダーは最低保証だけで週に150ドルを手にしたということだ。平均的アメリカ人の10倍の週給である。そしてトップライダーは年間を通してレースをしていた。冬はカリフォルニアでレースをしていたのだ。トップライダーは現在の価値に換算すれば最低保証だけで週に1万ドル(訳注:邦貨換算100万円)を稼いでいたことになるのだ。

そしてそこには賞金は含まれていない。通常クラスAは4位まで賞金が支払われた。優勝で50ドル、2位30ドル、3位20ドル、4位10ドルという具合だった。つまり優勝ライダーなら1レースで最低保証に50ドルを上乗せできたということである。

サポートライダー(またはクラスBのライダー)は出走当たり10ドルしか得られなかった。さらに1位は25ドル、2位は15ドル、3位は10ドルとなっていた。しかしクラスBのライダーでも平均的アメリカ人の2倍を最低保証だけで稼いでいたと言うことだ。もっとも彼らはその中からマシンをレースコンディションに保つための出費をまかなう必要があったとチャプルは書いている。

興味深いことに当時のレース興業主はやくざのように稼いでいたようだ。チャプルは観客数とチケットの値段から、比較的小さなボードトラックでも興業主は1レース当たり1600ドル、大きければ2200ドルは稼いでいるとみている。それもすべての費用を払った後の話だ。かなりの大金だ。今の価値で言えば1レース当たり5万ドル(訳注:邦貨換算500万円)に相当する。そしてシーズン中は週に3回レースができたのだ。しかも組合などは存在しなかったため、雨天中止となれば興業主はライダーにもトラックで働く労働者にも金を払う必要がなかったのである。リスクはゼロだということだ。

チャプルは書いている。「レースシーズンで得られる収益を考えたら興業主はかなり稼いでいるはずだ。ライダーには雀の涙ほどを払いトラックのオーナーはライダーを好きなように扱っている。それを考えたらこの2か月ばからアメリカ・バイク協会(訳注:AMAの前身。日本のMFJに相当)のフランチャイズをコース間で奪い合っているのも不思議ではない」

1910年代にはボードトラックレースがなくなってしまったのには理由がある。コースコンディションはひどいものでライダーが続けていられなくなったということだ。むき出しのバルブから吹き出したオイルで木製の路面はスリッピーだったし、ライダーは時速130kmにも達していた。さらにマシンにブレーキは装着されておらず、転倒すれば木の破片が彼らを迎えることになる。もっと悪い結果になることもあった。コースのオーナーが耐えられなかったのというのがもう一つの理由だ。マシンが燃えてかなりのダメージを負ったコースはひとつではない。場合によってはマシンが薄い木製のバリアを突き破って観客席に飛び込んだこともあった。リスクが多すぎたのである。

危険なスポーツだからこそスピードの世界に生き、自由を求める人々を惹きつけた、当時のクラスAのボードレーサーは大金を手にすることができたが、彼らが投資顧問と毎週ミーティングをもっていたわけではないことは簡単に想像がつくだろう。ほとんどのライダーは稼ぎをすぐにワインや女や歌に注ぎ込んだのだ。当時そうした使い道はいくらでもあったのだ。

死は当時のバイクレースにはつきものだった。しかし大金がライダーを惹きつけたのだ。彼らは自らの運命と栄誉を賭けて二つのホイールを持つルーレットに喜んで参加したのである。
============
以上、歴史のお勉強でした。

|

« ストーブリーグ表2017(2016.5.14時点) | トップページ | ストーブリーグ表2017(2016.5.16時点) »

コメント

豊かな大国アメリカですらバイクレースがその様な現状であることに驚きました。
高価な道具を使い、その性能に左右されるモータースポーツはお金が掛かりますよね。
参加したいと思う人は、それこそ沢山いると思うんですが。
一方で現代、成功した者は莫大な富を得て、そしてフィジカルトレーニングに励んでいます。
でなければ勝てない世界にもなってますもんね。
ともあれ、ライトなど保安部品をはずして気軽に参加できるレース形態を育まないと先行きは明るくないかもしれませんね。

投稿: motobeatle | 2016/05/15 19:17

当初のトニ・エリアスのUSヨシムラとの契約は無給だったそうで...賞金のみ?レギュラに昇格した今はどうなんでしょうね?

投稿: ひさすえ | 2016/05/16 19:11

>motobeatleさん
 まあ決して人気スポーツというわけではないんでしょうね。アメリカだとダートトラックやモトクロスにかなわない感じなんでしょう。

投稿: とみなが | 2016/05/16 20:57

>ひさすえさん
 あー、そうだったんですか。さすがにレギュラーになればいくばくかは、と願いたい。

投稿: とみなが | 2016/05/16 20:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69409/63628665

この記事へのトラックバック一覧です: いつからレースが金になるようになったのか?:

« ストーブリーグ表2017(2016.5.14時点) | トップページ | ストーブリーグ表2017(2016.5.16時点) »