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MotoGPにおけるタイヤ禍:その歴史

今年から統一タイヤとして導入されたミシュランですが、ミシュラン自身もライダーもチームもみんなが苦労しているようす。しかしこれは今に始まったことではないというMat Oxley氏の記事。Motor Sport Magazineより。
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今週末のフランスGPはミシュランの地元グランプリとなる。彼らは1974年から2006年まで実質的にGPを支配した後、今年から戻ってきたわけだが非常に苦労している。とは言え通常であれば言祝ぐべき週末となるはずだ。

彼らの苦労はまずアルゼンチンでのスコット・レディングのタイヤのトレッドがが剥離したことから始まった。これを受けて彼らは急ぎ固いカーカスをリアに導入し、しかしそのおかげでライダーたちは天候に恵まれドライとなったヘレスでは6速に入れてもホイールスピンに苦しめられることとなった。

どこかに丁度いいバランスがあるに違いない。しかしない、ということもあり得る。少なくとも全員が満足するバランスというのはないかもしれないが、これはそもそも統一タイヤにつきものの問題なのだ。体重78kgのレディングと51kgのダニ・ペドロサのどちらも満足させるタイヤをどうやったら設計できるのだろうか?

答えは「できない」である。統一タイヤで全ライダーにとっての機会均等を担保するということなどナンセンスだ。マッチするマシンやライダーとそうでないマシンやライダーはかならず出てきてしまうのだ。

当然のことだがミシュランはブリヂストンがやらかした時と同様に、この数週かなりの集中砲火を浴びている。しかし背中に剥離したリアタイヤのトレッドが当たったのはGPライダーとしてはレディングが初めてなのだろうか?

そんなことはない。では誰が最初だろう。2002年からMotoGPとなったとき、190馬力130kgの2スト500ccマシン用のタイヤを作っていた会社には220馬力150kgの4スト990ccマシン用のタイヤを作ることはできないだろうと不吉な予言をする者もいた。

そしてその予言は2004年のムジェロで真実となった。ワークスカワサキに乗った中野真矢が320km/h近いスピードでホームストレートを駆け抜けているその時、ブリヂストン製リアタイヤがオーバーヒートし自壊したのである。不運な彼は地面にたたきつけられ、コースサイドウォールのすぐそばに横たわることとなった。ほんの数か月前にはケニー・ロバーツ・ジュニアがセパンで同じような状況でブリヂストンのリアタイヤが自壊し転倒している。

これがタイヤ問題の始まりということだろうか?そんなことはない。GP史におけるタイヤによる悲劇の最も古いものは1950年の7月まで遡るのである。GPが始まって2シーズン目の2レース目のことだ。ベルギーGP500ccクラスでジェフ・デュークが手強いコースであるスパ・フランコルシャンの公道コースを走っていたときのことである。彼はノートンの40馬力の単気筒マシンでネロ・パガーニとウンベルト・マゼッティが乗る速さに勝るジレラ4気筒を抜きさっていた。

「14周のレースの13周目までに私は45秒の差をつけていたが、そこで災厄がやってきた!」とデュークは彼の自伝、「完璧を求めて」で書いている。「突然大きな音がして背中に何かが当たった。そしてリアホイールに激しい振動を感じたのだ。リアタイヤのケーシングからトレッドが大きくはがれたのだ」

つまりデュークは66年後にレディングが体験したことと全く同じ目にあっているのである。どちらがより怖い思いをしたのかはわからないが、もしデュークがコントロールを失っていたなら彼は死んでいただろう。スパより危険なサーキットはほとんどない。追悼用の記念品でフェンスが作れるほどだと言われたころの話である。

ダンロップはその原因がトレッドゴムの継ぎ目にあるとみつけ、すぐに対策を施した。こんどは注意深く製造された新型タイヤが翌週末のダッチTTのためにアッセンに航空便で送られたのだが、しかし全く同じことが起こってしまった。

時速200kmを超えるスピードで走るマゼッティがアクセルを全開にしたジレラのスリップについていたデュークは全開ほどには幸運ではなかった。「またいやな破裂音がした。リアホイールがロックしマシンはコントロールを失った」

デュークは転倒しひどい目に遭うことになる。しかしその数百メートル手前でなかったのは幸いだった。その辺りはコースサイドに樹が幅広く植わっていたのだ。当然の帰結として彼はダンロップを見捨てピレリにスイッチした。「ピレリのトレッドは非常に固く、木製じゃないかと言われるほどであった」と彼は書いている。

つまり何も変わっていないと言うことだ。グリップと耐久性のベストバランスを見つけるのは決して簡単なことではない。ブリヂストンはこの考えに異を唱えるかもしれない。彼らが作ったMotoGPタイヤは特別なものだったからだ。しかしそれでも完璧とは程遠く、骨折に至るようなハイサイドを何度も起こしているのだ。

デュークの1950年のタイヤ禍が最も有名なタイヤ事故ではない。1975年3月、バリー・シーンは世界最大のバイクレースに備えていた。グランプリではない。デイトナ200だ。バイクレースにおける初のロックスターである彼がスズキ750でフロリダのバンクを280km/hで飛ばしているときのことだ。ダンロップのリアタイヤが破裂したのだ。

「クラッチを引いたんだ。エンジンが焼き付いたと思ったんでね。でもそれで後輪がフリーになるわけじゃなかった」とシーンは語っていた。「マシンがドリフトしはじめたと思ったら今度は逆方向を向いて、それで神様ってなって、思ったんだ。このスピードで転ぶわけにはいかないってね。だからなんとかしようとして、でも完全にyほこむきになっちゃったんだ。でバンクを飛び出してコースサイドにでたらフロントもパンクして完全にコントロールを失ってしまったんだよ。それで万事休すさ。
 神様、って思ったのは覚えているよ。路面を転がって全身の皮膚がはがれるのを感じたんだ。脚が折れたことには気付かなかったよ。感じていたのは両肩から皮がはがれていることだけだった。やっと止まったときには『イエス様、まだ生きています』って思ったね。僕は死ななかったし、再起不能にもならなかった。起き上がろうとして下を見たら脚が右を向いていて、もう片方の脚をつっついていたんだ」

このクラッシュのせいでシーンはあちこちに傷を負うことになったが、こいうした事故はこれだけではない。他にも多くのライダーが同じような恐ろしい事故を体験しているのだ。どの事故も突然のパフォーマンスの急上昇しに対応できなかった結果だ。そしてこの頃のパフォーマンスの上昇はグランプリにおける2001年と2002年の違いの比ではないのである。

フォーミュラ750というクラスは1970年代初頭にBSAとトライアンフの4ストマシンのために作られたものだ。最高速度は状況が許してもせいぜい250km/hだった。そこに現れたのがカワサキとスズキの2スト750ccマシンである。H2RとXR11の最高速は280km/hに達していた。

「あの頃は最悪の時期でした」とダンロップのエンジニア、トニー・ミルズは回顧する。「カワサキとスズキがとんでもない怪物を持ち込んだんです。どんなものか想像もつかなかった。私たちがデイトナに持ちこんでいたのはもっと性能の低いマシン用で、全然ダメだったんですよ」

ミシュランも同じようなジレンマに陥っている。ライダーが要求するグリップを実現しつつ、デュークやシーンや中野やレディングや他の多くのライダーを見舞った事故は避けなければならない。

「でもミシュランはうまい妥協点をみつけないといけないですね」とホルへ・ロレンソのチーフメカニックであるラモーン・フォルカダはヘレスのでのホイールスピン問題を受けて言っていた。「安全性は大事です。でもちょっと安全方向に振りすぎましたね。それでライダーが文句を言っているんです。でももしタイヤが破裂でもしようものならもっと文句が出るでしょうね!」

身長が高いことはレディングにはどうにもならない。ペドロサやマーヴェリック・ヴィニャーレスが自分の身長の低さをどうにもできないのと同じだ。MotoGPの最高身長側と最低身長側のライダーのどちらもが現在の状況ではチャンスが小さくなってしまうと心配している。

「ヴァレンシアやオーストラリア、カタールのテストで使ったタイヤの方が明らかにいいですね」と体重64kgのヴィニャーレスは言っている。

それはペドロサにとっても同様だ。「去年ミシュランでテストが始まった頃は僕はいつでも前の方でした」と彼は言う。「でも今は苦労している。特にリアタイヤに苦労してますね。どんどん、どんどん固くなってくんです。構造もコンパウンドも空気圧も固い方向にいっている。だから今ではものすごく固いタイヤになってしまってるんです。僕は体重が80kgとかあるライダーと同じ構造のタイヤで走っているんで、そりゃあタイヤの性能を引き出すためのセッティングには苦労しますよね。それにタイヤを変更するたびに固くなっていくんで、ますます僕はタイムシートの後ろの方に下がってしまうんです。
 もしトップライダーに特化したもっと固いタイヤコンパウンドを使ったら4秒とか遅れちゃうかもですよ。タイヤに荷重を掛けられなくなっちゃいますから。だからまたソフト側タイヤを使うようにしたら、こんどはホイールスピンに悩まされることになった。全然トラクションがかからないんです。空気圧を低くしたくても(セパンのプレシーズンテストでロリス・バズがーミシュランの説明によれば-パンクさせて以降)それは禁止されてますからね」

ミシュランは今週末の地元GPで、少しでも良いバランスを得られることを期待しているところである。
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なるほど、ペドロサが苦労しているのはそういうわけでもあるんですね。

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コメント

中野選手のあの事故シーンにはゾッとした記憶があります。
レディングにしても、やはりああいう事になってしまう以上、なにより安全には配慮しなくてはならないからタイヤが硬くなるのも仕方ないことでしょうか。
それにしても、この様なレースタイヤは我々が普段使用している市販タイヤとは全くかけ離れた物であることを実感させてくれる話だと思いました。

投稿: motobeatle | 2016/05/07 14:08

>motobeatleさん
 ツイッターでもつぶやいたんですが、壊れるのは仕方がない(可能性はゼロにはならない)としても、せめて取り返しがつかなくなる前にヤバい感じがライダーに伝わるようになればいいんですけどねぇ。

投稿: とみなが | 2016/05/07 18:43

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