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2015ヴァレンシア日曜MotoGPまとめ:タイトル争いの勝者、敗者、そして破壊者

最初にお断りしておくと、この記事の翻訳にはちょっと迷いがありました。グルーミーな内容だからです。実は私は記事を書いたEmmett氏ほどにはがっかりしていないのです。いや、正確に言うなら「がっかり」も含めて楽しめばいいと思っているというか。だから実は今シーズンは私にとっても最高のシーズンのひとつなのです。
というわけでMotoMatters.comより。

ってなことを書いていたら、ストーナーがドゥカティのテストライダーに、というニュースが流れてきて、もう出遅れた感…。
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事実は小説よりも奇なり、とは良く言われることである。もう少しつっこんだ表現をするなら、事実と作られた物語の区別をつけるのはとても難しいということだ。物語は簡単に作ることができる。それが私の仕事でもあるし、すべてのスポーツライターの仕事でもある。しかし紡いできた事実を再構築しているはずが、どの時点からかファンタジーの世界に脚を踏み入れてしまうことがある。そしていつ脚を踏み入れたか気付くのは難しいのだ。同じ事実を見ても全く違う正反対の結論にいたることがある。一方が妄想で一方が理性的かつ客観的ということだろうか?それぞれの意見をどの程度重んじればいいのだろうか?誰が言っているか、その人が好きかどうかで事実に対する見方を変えてしまっているのだろうか?

MotoGP最終戦のせいでGP自体がこうした混乱に巻き込まれることになってしまった。近年最高、ことによったら史上最高の年になるはずだったのに、それが単なる茶番になってしまったのだ。事実に対する二つの対立する解釈が衝突し、爆発し、そしてせっかくのいいシーズンを泥沼に引きずり落としてしまった。せっかく勝者も敗者も見事なレースをしたのに敵意と怒りと疑惑と恐怖がそれを台無しにしてしまった。普通に見ればヴァレンシアのMotoGPレースは最高のレースによる最高の1日だった。しかしもう誰も普通の気持ちではこのレースを見られなくなってしまったのだ。

決勝日はすばらしいはじまりだった。Moto3ではすごいバトルがあった。そして誰もが納得する結末を迎えた。ミゲール・オリヴェイラが熟練の技で次々と襲い来るホルヘ・ナヴァッロやロマーノ・フェナティ、エフレン・ヴァスケス、ニッコロ・アントネッリを下して連勝を飾ったのだ。そして18番手という最低の予選結果だったダニー・ケントが安全優先の手堅いレースをしてタイトルを獲得した。GPでは1977年のバリー・シーン以来となるイギリス人チャンピオンだ。ずいぶん間があいたものである。

達成

今週末のケントは常に緊張などしていないと言い続けていた。日曜にはチャンピオンTシャツ(まあより正確にはチャンピオンベストだが)を着ることができたが、本当は緊張していたんだとケントは告白している。みんなそれを知っていた、彼も嘘がばれていることを知っていた。しかし我々は素知らぬふりをしていた。同じ意味のない質問をするよりはるかに楽だからだ。土曜の夜、ケントのチーフメカのピーター・ボムは目に見えて苛立っていた。彼とスタッフはケントが望むセッティングをなんとか作ろうとマシンをいじり続けていたのだ。長いスイングアームに短いスイングアーム、リア上げにフロント上げ、固いショックや柔らかいショック。しかしどれもケントの気に入らなかった。最終的にすべてを素のセッティングに戻すことにした。しかし最も鍵となったのはケントの気持ちのセッティング変更だったのだ。午前中のウォームアップの後、ケントは彼のチーム・マネジャーであるステファン・キーファーに、やるべきことをやりとげる気持ちになったと言ったそうだ。そして彼は見事にやりとげてみせた。

ケントはここまで実に長い旅を続けて生きた。最初はアプリリアのスーパーティーンズ、そしてレッドブル・ルーキーズカップ、次はMoto3からMoto2に上がり再びMoto3に戻ってきた。ケントは2回も1ポイント差でタイトルを逃している。誰もが三度同じことが起こるのを怖れていた。そうならなかったのはキーファーのチーム、より正確にはピーター・ボムのおかげだ。二人はとても仲が良く、ホテルの部屋も常に一緒で、ピットからホスピタリティを経てホテルに帰ってまでマシンのセッティングについて議論していることもある。もちろんつまらないことについてだべっていることもあるのだが。

信じる気持ち

最も重要なのはボムがケントのためにしてくれるすべてについてケントが信頼をおいていたことだ。そしてボムもケントの才能を信じ、そしてそのことでケントが自分の才能に自信を持てたということだ。ボムにとってはこれが最初のタイトルではない。Moto2ではステファン・ブラドルで、ワールドスーパースポーツではクリス・ヴァーミューレンでタイトルを獲得しているのだ。その経験が役に立った。ボムとキーファーは再び良いチームで、しかも戦闘力のあることを証明したのだ。残念なことにGPほどのレベルでもそうしたチームはそう多くはないのだが。

ケントはオリヴェイラからMoto3のタイトルを奪うことができたが、今年レッドブル・KTMチームで走ったオリヴェイラは素晴らしい成績を残すことができた。KTMが新型フレームを導入すると彼は飛び抜けた速さを見せ、その一方でケントはシーズン後半で調子を落としてしまった。その結果、今シーズンのMoto3クラスは二人の争いとなったのだ。ケントが前半を支配し、オリヴェイラが後半を支配した。二人とも2016年はキーファーとMoto2を戦うことになる。すばらしいコンビニなるだろう。

Moto2のレースは接戦だった。多くのライダーを巻き込んだクラッシュのせいで赤旗中断、周回数減算となってしまったのだ。ティト・ラバトが復帰レースで優勝したマルクMVDのMoto2チームには良い置き土産となった。彼は火曜のテストから同じチームでMotoGPマシンに乗ることになっている。アレックス・リンスが2位になった。もう少しで勝てそうだったのだがランキング2位を守ることを優先したようだ。Moto2ルーキーとは思えない活躍をしたリンスはマーヴェリック・ヴィニャーレスと同じ道を歩んでいる。既にMotoGPのワークスチームがぱらぱらと(それほどぱらぱらではないかもしれない)Moto2卒業後の2017年のリンスの可能性について検討し始めている。

見えること/見えないこと

そしてMotoGPのレースだ。今回もフィリップアイランドとセパンと同様にレース後のごたごたで素晴らしい戦いが台無しになってしまった。レース後に起こった出来事を、明らかに不公正なことに対する正しい問題提起と見るか、自分以外の誰かに自分のミスの責任を押しつけた男の八つ当たりと見るかはどの視座に立つかによって違ってしまう。議論の余地無く受け入れられる事実もあれば、解釈の余地のある事実もある。しかし誰もが同意できることがひとつだけある。それはこの騒動のせいで本来なら最高峰クラスでは近年になかった偉大な年になるはずだった今年が薄汚れてしまったということだ。もういちど言っておこう。勝者はいない。それが本当に悲しいのだ。

議論の余地のない事実とはなんだろう?ホルヘ・ロレンソの走りはヴァレンティーノ・ロッシが怖れていたとおりのものだったことだ。彼は最前列から飛び出していった。路面温度は土曜とほぼ同じ。ハード側のフロントタイヤでもレースが進行するにつれてたれてくるような温度だ。特にホンダはその影響を受けていた。ヴァレンティーノ・ロッシは命がけのレースをした。右から左からそして真ん中から正確に前のライダーを抜き去り4位に上がる。マルク・マルケスはレースの最初から最後までロレンソについていけるだけのペースで走っていたが、ほぼ限界で走っていた。ダニ・ペドロサは序盤でトップ二人に遅れをとったものの、再び追いついて残り2周というところでマルケスに仕掛けた。マルケスはペドロサがはらんだ隙を見逃さず、すぐさま抜き返す。しかしロレンソにアタックすることはできなかった。

ここまでの事実についても解釈の余地が残されている。なぜマルケスはロレンソに仕掛けなかったのか?マルケスは今シーズンよくやっていたように仕掛け時を待っていたのだと言っている。最終ラップかその前のラップでロレンソに仕掛けるはずだったのに、ペドロサがその計画を潰してしまったというのが彼の説明だ。一方ロッシはマルケスがロレンソの「ボディガード」をやっていたと非難している。ロレンソの後ろについて守っていたというのだ。自分はロレンソを抜かなかったくせにペドロサに抜かれたらすぐに抜き返したのがその証拠だというのだ。

単純な事実でさえ…

マルケスはロレンソについていくので精一杯だったと言っている。そして二人の差も常に変化していたとも指摘している。自分はロレンソについて行くために攻め続けていたが、彼より速かったのは第2セクターだけで6コーナーしか抜けるポイントが無かったというのが彼の主張だ。ロッシはペドロサの走りを引き合いに出してこんな理論を展開している。彼は最初に後ろに下がってしまったが再びマルケスに追いついて最後に抜こうとした。ペドロサがマルケスに追いつけるということはホンダはもっと速く走れたということではないか。

マルケスによれば、自分は優勝を目指して走っていたが、くびきを解かれたロレンソに追いつく術はなかったということだ。ロッシはマルケスがロレンソの後ろを守って彼のタイトル獲得をバックアップしたという。ヴァレンティーノ・ロッシにはタイトルを獲らせなくなかったのだと非難しているのだ。

どちらの解釈が真実なのだろうか?それを決めるのはおそろしく難しいことだ。どちらの主張も同じ二つの特徴がある。どちらもあり得ることで、同時に反証不可能ということだ。様々な事実をかき集めて、それを詳細に分析して、それでもそこから導き出される解釈には大きな差が出てしまう。こうなったらオッカムの剃刀の出番だ。最もシンプルな説明がもっとも可能性が高いということだ。

最初に検討すべきはマルケスが本当に限界で走っていたのか、それともヴァレンティーノ・ロッシがレース後に申し立てたとおり手を抜いていたのかということだ。わかっているのはロレンソもマルケスもヴァレンシアでの最も最近のドライレースだった2013年と比較して11秒も速かったということだ。その後、再舗装がなされたとはいえ彼らのタイムは相当速いものである。

外から推し量る

さて、見た目だけでそのライダーが限界で走っているかどうかわかるものだろうか?13コーナーのマルケスは間違いなく速かった。両輪共にスライドしていたほどだ。しかしそれが限界だったのだろうか?そこで利害関係のない第三者、アンドレア・ドヴィツィオーゾにたずねてみることにした。ロッシがマルケスを卑劣だと非難した後にたまたま私たちと話をする機会があったのだ。「それはそのとおりですね。マルクはいつでもバトルをしている。だから今回は不思議といえば不思議です。でもマシンが問題を抱えているかどうかは乗ってるライダーしかわからないんですよ。だから彼が限界で走っていたのか限界を超えていたのか、それともレースをコントロールしていたのかは僕にはわからないですね」

MotoGPライダーなら他のMotoGPライダーが限界で走っているかどうかわかるのだろうか?「普通はそうですね」というのがドヴィツィオーゾの答えだ。「でも他のライダーが直面している状況をすべて把握することはできないですよ。特にマシンが違うとね」。だいたいのことはわかるがマシンが違うと限界も違うし、どの部分で苦労しているのかは見ただけではなかなかわからないと示唆したのだ。「3つのメーカーのマシンに乗ったから言えることですけどね。乗ってみないと細かいことはわからないんですよ。午前と午後とでどう違うかなんてなおさらですね。コンディションも常に変わりますし。だからライダーなら端から見ていてもだいたいのことは理解して分析できますけど、全てを把握するのは簡単なことじゃないですよ」。ではどの程度までならわかるのだろうか?95%くらいは正確なのか?「いや、そこまでじゃないでしょうね」とドヴィツィオーゾは言う。「ひとつのメーカーのマシンしか乗ったことがないならそこまではわからないでしょう。もし違うマシンに乗った経験があるならある程度はわかりますけど、ルールも変わるしマシンも変わるから、僕だってもうホンダについては語れないですよ。乗ってたのはずいぶん前ですからね」

ロッシはマルケスが普段とは違って前のライダーを抜こうとしなかったことを自らの主張の根拠としている。「この2年間マルク・マルケスがやってたこと思い出せばわかると思いますけど、彼はいつだって、少なくとも最終ラップには抜こうとしますよね」とロッシは言う。「つまりなんでマルク・マルケスがホルヘ・ロレンソを一度も抜こうとしなかったのかってことですよ。なんで最終ラップでも一度もトライしなかったのか不思議ですよね」

マルケスの説明はシンプルだ。「ダニについてはわからないですけど僕はフロントがきつかったんです。特に序盤でね。で終盤に残り6ラップというあたりで勝てる可能性が見えてきたんですけど、ダニに抜かれて0.5秒くらい失ってしまった。それでホルヘに追いつけなくなったんです」。最終ラップで抜こうとしていたのだがペドロサに先に動かれてその機会を失ってしまった、ホンダ同士で抜き合ったことでヤマハのロレンソに離されてしまったというのがマルケスの説明だ。

得意/不得意

なぜマルケスはもっと速くロレンソに仕掛けなかったのか?前回のレースではマルケスはロッシとの間で1周の内に9回も抜き合いをしている。しかしヴァレンシアではマルケスは一度も抜こうとしなかった。それは戦略の違いもあるのかもしれない。マルケスはインディアナポリスとアッセンで似たような戦略を採っている。前のライダーに一度も仕掛けることなく最後までついていき、最終ラップでアタックする。アッセンではそれを最終ラップの最終コーナーでやろうとした。他にもマシンとコースの相性の問題もあるかもしれない。あるMotoGPライダーが匿名を条件に離してくれたのだが、ロッシとマルケスの抜き合いはそもそもホンダとヤマハの特性の差に起因するのではないかだということだ。マルケスはホンダが強い場所でアタックし、ロッシはヤマハが強い部分で反撃する。

そしてもちろん二つのレースがそもそも全く違うコンディションで行われているということもあるだろう。セパンでのマルケスは木曜のプレスカンファレンスという公の場で自分を公然と非難し顔に泥を塗ったライダーを相手にしていた。当然彼は激怒していた。マルケスはセパンのレースに関してレース・ディレクションから非公式に注意を受けている。タイトル争いをしているライダーの近くで不必要なリスクを冒すなと言われたのだ。それをきちんと受け止めたマルケスがヴァレンシアで相手にしていたのはタイトル獲得を目前にしているライダーだ。そして彼はロレンソに対してクリーンで安全なパッシングをするほどには近づけなかった。たまに近づけてもクラッシュするリスクを冒さずに抜けるほどには近づけていないのだ。

マルケスの最大の問題は最終コーナーからの立ち上がりの差だった。ホンダは今年ずっと加速力の無さを指摘されてきていた。リアタイヤの空転が激しく前に進まないのだ。一方のヤマハはメカニカルグリップが素晴らしく、その結果最終コーナーからの加速でストレートスピードを稼ぎ、1コーナーのブレーキングまでにホンダに差をつけられたのだ、。6コーナーが唯一マルケスがロレンソを抜ける場所だったが、それでも安全に抜ける機会はやってこなかった。そして最後の2周はペドロサも相手にしなければならなくなっていたのだ。

サンタのお手伝い妖精?

マルケスは本当にロレンソを助けることにしたのか?その二人がそもそも不仲だったことを考えたら奇妙な話だ。ロレンソはマルケスのことをスペインにおける自分の地位を脅かし、本来自分のものだった人気まで奪おうとしている相手として見ている。そしてマルケスにとってロレンソは他のライバルと同じ一人のライダーにすぎず、自分の勝利とタイトル獲得を邪魔する相手である。マルケスはロレンソが彼のライディングを公然と非難しているからこそロレンソにアタックし負かすことを楽しんでいる。ロレンソがマルケスを危険なライダーだと何度も言うようになってからは、ロレンソを負かすのがマルケスの何よりの楽しみになっているのだ。

マルケスに対するロッシの非難の最も奇妙な点は公然と非難した相手にタイトル獲得をまかせてしまったように見えるところである。ロッシは序盤ですばらしい走りをみせたし、確かに実に正確かつ容赦なくパッシングしていく様は美しいものだったとは言え、トップ3のペースには及ばなかったのも事実である。ロレンソとマルケスはレースを通じて1分35秒5から1分31秒9の間で走っている。ペドロサは1分31秒7で、その後タイヤのオーバーヒートのせいで1分31秒9から32秒あたりまで落ちてトップと差が開いてしまったが、最終的に1分31秒5までペースを上げてトップに追いついている。

一方ロッシは常に1分32秒1から1分32秒2で走っていた。4位になるには充分な速さだが優勝するには程遠いタイムだ。もしロッシがフロントローからスタートして今回のように集団のバトルに巻き込まれなかったとしても(まあそこでのバトルもレースの1/3あたりで終わっているが)、ロレンソに勝てるどころか2台のホンダの間に行ける速さすらなかったということである。ロッシは彼の本来のタイム通りの順位でゴールしたのだ。どこからスタートしたかは関係ない。そして彼のラップタイムはプラクティスのタイムが示している通りトップグループからは0.2秒ほど遅かったのだ。

速さがないなら…

ロレンソを負かすのを2台のホンダに任せてしまったことで自分の失敗を隠すことができたとも言える。シーズンを通じてパドックバーに来るライダーは口をそろえて、今年のチャンピオンは速いホルヘ・ロレンソか安定性とクレバーな走りのヴァレンティーノ・ロッシのどちらかだと言っていた。速ければ勝てるというものではない。しかし18戦を通してみれば速さは確かに役に立つ。

マルケスがロレンソを助けたとロッシが非難しているレースですら、きちんと分析すれば簡単に反証可能だ。オーストラリアについてロッシはマルケスが自分とアンドレア・イアンノーネの脚を引っ張りロレンソに追いつけないようにした、そしてそのギャップはマルケスにしか追いつけないほど広がったと非難している。しかし結果はマルケスが優勝してロレンソから5ポイントを奪い、イアンノーネが3位に入ってロッシは3ポイントが奪われたというものだった。セパンではマルケスをアウトに押しやった後でもロッシにはロレンソに追いつく速さがなかった。もしマルケスの計画にはまって彼とのバトルに巻き込まれなかったとしても(計画通りだったのは間違いない。セパンのプレスカンファレンスで恥をかかされたことへの復讐だ)、ロッシは3位か4位だったろう。つまりロレンソにさらにポイントを詰められたということだ。そしてもしロッシがマルケスより本当に速かったのなら、すぐに彼を突き放しロレンソを追えたはずだ。しかしロッシはマルケスより速かったわけではなく、何も得られることのないバトルにまきこまれたのである。

ホルヘ・ロレンソはこの件に関してレース後のプレスカンファレンスではっきりと意見を表明している。「僕には世界チャンピオンになる資格があります。ライバルの彼と比べてみればわかりますけど、僕の方が全て勝っている。勝利数もポール数もファステストラップ数もレースでトップを走った周回数もプラクティスでトップを走った周回数も、全部僕の方が上です。表彰台の回数と安定性だけが彼が勝っているところなんです」。ロッシが自分は脚を引っ張られたというなら、ロレンソはどうだろう?彼はカタールではヘルメットの内装が落ち、オースチンでは肺炎にかかり、アルゼンチンではタイヤトラブルにあい、シルバーストンではシールドが曇り、そしてミザノではバカな間違いをおかした。もしスリックでピットから出てきたばかりのロレンソがスコット・レディングを追おうなどと思わなければ彼はミザノで2位か3位に入っていただろう。ロッシは6位になったということである。そうなればロレンソは14か11ポイントのリードでヴァレンシアに入れたということだ。そうなればレプソル・ホンダの2台が前に行こうが行くまいがロッシのタイトルは不可能だったということである。

誰の目にも明らかなこと

ここまで書いたことにも解釈の余地はあるが、それでも2015年について間違いない事実がある。まずひとつは今シーズンがここ何年もなかったほどスリリングで厳しいタイトル争いだったということだ。最終戦ヴァレンシアまでタイトル決定が持ち越されたのである。そして二つ目はヤマハがYZR-M1という素晴らしいマシンを作り上げたと言うことだ。日の目を見た中では史上最高のレーサーだと言ってもいいだろう。2015年型M1は昨年型の良さをすべて維持したまま、フレームの改良、電子制御、シフトダウンも含めたシームレスギアボックスの導入が相まって弱点も消してみせたのだ。

三つ目はヴァレンティーノ・ロッシもホルヘ・ロレンソもタイトルにふさわしいということだ。どちらもキャリア最高のライディングを見せてくれた。ドゥカティでの悲惨で長い2年間を経てロッシは36歳で実に感嘆すべきことを成し遂げたのである。自分を見て育ち、自分の真似をし、自分のやり方を学んできた若いライダーに勝ち、そして彼らの上をいくために、自己を抑制し飽くなき体力作りとライディングスキルの改善に取り組んだ結果、ロッシは史上誰も見たことのないライダーとなった。

2015年のホルヘ・ロレンソもまた自身最強のライダーとなっていた。去年の間違いから学んだ彼は自分が出会うあらゆる問題に対処するための新しい走り方を生み出したのだ。エッジグリップが良くなったブリヂストンに助けられたのも確かだが、もう完璧なセッティングを探さなくてもよくなったのだ。セッティングが完璧でなくても速さを見せ、そしてラモーン・フォルカダが問題を解決してくれればさらに安定性を増すことになった。

井戸に毒を投げ込む

にもかかわらずロッシが公開の場でマルク・マルケスを非難すると決意したことでMotoGPそのものに対する信頼が破壊されてしまった。それだけではない。今年のホルヘ・ロレンソのタイトルと彼の走りまでもが価値を損なわれてしまったのである。マルケスを非難することでロッシは自分にはタイトルはどうにもならず他のライダーの手助けが必要だと告白してしまったも同然だ。なぜ自分が痛烈に非難したライダーが助けてくれると考えたのかは永遠の謎である。

ロッシがどんな順番、どんな方法で攻撃を仕掛けたのかを分析するのもなかなか興味深いことだ。まず彼はイタリアのテレビに不満を打ち明けた。彼はイタリア人に直接話すのが好きなのだ。これはロッシが自分の望むような改良をほどこすようドゥカティを動かそうとしたときと同じやり方だ。次にレース後の取材に対して(そしてテレビの生中継でも)これまでとは異なりまずイタリア語で話し始めたのだ。英語で話したのはその後からだった。これは実に興味深い。よりなじんだ、しかも正確に話せる自分の母語で非難を切り出すことができたということだ。そして同じ非難を英語でした。彼の英語は素晴らしいが、それでもその時の彼はイタリア語で考えていたのは明らかだった。

さらに興味深い一幕がイタリアのテレビに映っている。カルメロ・エスペレータが素晴らしいシーズンを祝うために彼のところにきたときのことだ。彼はエスペレータに芝居がかった仕草でこう言った。「ね、言ったでしょ!木曜にこうなるって言ったじゃないですか!」。つまりロッシはエスペレータに木曜に会っているということだ。自分に対する「スペインの陰謀」を告げに行ったということだ。そしてほぼカットされそうな、しかし最も興味深い言葉がそれに続く。「後から僕のモーターホームで会いましょう」。そうロッシは言ったのだ。MotoGPライダーがシリーズの興業主であるドルナのCEOを自分のモーターホームに呼びつけたのである。パワーバランスがおかしな方向に行っているということだ。相手がどんなライダーでもカルメロ・エスペレータは自分の好きなときに自分のオフィスに呼びつけるべきである。ライダーの機嫌をとるために言いなりになるということなどあってはならないのだ。

ロッシがマルケスを非難した上にロッシはFIMアワードのセレモニーにも出席しなかった。これは2015年の表彰式である。つまりロッシはドルナに対してだけではなくFIM、つまりMotoGPを主催している国際連盟に対してもバカにした態度をとったのである。これが意味するのはそれだけではない。ヴァレンティーノ・ロッシは今回の敗北をおそろしく深刻に受け止めており、さらに良き敗者になるつもりも全くないということだ。彼は別の誰かが責められるべきだと信じており、その誰かに対して喧嘩を売ることも怖れていないということである。

MotoGP界より肥大化してしまったのか?

ロッシの戦略には重大な落とし穴がある。彼が傷つけたのはタイトルだけではない。彼自身の価値も傷つけてしまったのだ。ロッシの非難のせいで今年のタイトルが信頼を減じただけではなく、今後のタイトルの信頼も削られてしまったのだ。ファンが今年のタイトルを出来レースだと信じてしまったら、来年のタイトルもそうであると考えてしまうだろう。他のライダーがずるをしたと非難することでパンドラの箱が開いてしまい、陰謀論と妄想が奔流のようにあふれ出す。そしてそれは制御できないほどの濁流となってしまう。もしファンがMotoGPはフェアではないという理由で離れていってしまったら、今後ロッシが成功してもそれを目撃するのはごくわずかということになってしまうだろう。

MotoGPは不正なものなのか?それが本当なら最大限の経済効果を狙って行われるのではないか。つまりヴァレンティーノ・ロッシが毎年チャンピオンを獲るということだ。ロッシはMotoGP界の巨人である。MotoGPよりも大きくなってしまったのだ。普通のファン向けにMotoGPを売り込み、バイクレースに世界の目を向けさせる。もしドルナが思い通りにできるならチャンピオンとしてホルヘ・ロレンソを選ぶことはないだろう。間違いなく今年最速の男だし地球上に存在した最速の人間の一人だが、愛されるタイプではないし、それどころか少しでも好かれるタイプのキャラクターではない。それよりももっとチケットを売れるライダー、例えばヴァレンティーノ・ロッシやマルク・マルケスにタイトルを獲らせるはずだ。

マルク・マルケスはスペイン人にタイトルを獲らせたかったというのは本当だろうか?それは間違いない。ただしそのスペイン人の名前がマルク・マルケスだった場合だけだ。バイクレーサーというのは心の底からエゴイストで自分の目標しか眼中にいものだ。ホルヘ・ロレンソがヴァレンティーノロッシを破るのをマルク・マルケスが手伝ったというのはロッシがセテ・ジベルノーに勝つのをマクス・ビアッジが手伝ったというのと同じくらい馬鹿馬鹿しい説である。理論的にはあり得るが机上の空論も甚だしい。状況を、そしてリアルな人間を無視した考えに過ぎないのだ。

真実はそこにある

日曜に目撃したことを信じていいのだろうか?事実が語ることもあるが、そこから簡単にストーリーを読み取らないように注意はしよう。それは本当かどうかわからないのだ。マルク・マルケスは本当にホルヘ・ロレンソの優勝を助けたのか?彼がそうしたかどうかは私たちには決してわからない。そしてそれについて推測を巡らせるのは全く意味がないことだ。マルク・マルケスのせいでヴァレンティーノ・ロッシの10回目のタイトルが失われたのか?これについてはもう少し確かなことが言えそうだ。フィリップアイランドのマルケスを非難するなら同じようにアンドレア・イアンノーネも非難しなければならない。同じようにミザノでのロッシ自身もピットにいつまでも入らないという判断ミスをしたことで非難されるべきだろうし、オースチンで彼より速かったアンドレア・ドヴィツィオーゾもムジェロのイアンノーネもアラゴンのペドロサも非難されるべきとなる。彼らは皆タイトル争いの脚を引っ張ったし、それはロッシがヴァレンシアで抜いていったライダーについても言えることだ。それはあまりに狭い視野で、あまりに単純にものを見過ぎている。MotoGPタイトルというのはそういうものではない。

シーズン18戦、毎回ポイントが加算され、それぞれ違った状況で行われる。毎レース驚くようなこと、普通ではないこと、奇妙なことが起きるのだ。しかし18戦もあるということは、そうした出来事がならされ、パフォーマンスの出来不出来も平均化されるということである。つまり最高のパフォーマンスをシーズンを通して発揮できたライダーがタイトルを獲るということだ。2015年、それはホルヘ・ロレンソだった。ここのところなかったほどわずかな差だった。ヴァレンティーノ・ロッシはライオンのように戦い、終盤まで偉大なライダーにふさわしい品位を保っていた。しかしセパン以降、その品位は地に落ち、ロッシは言い訳を探す年老いたライダーになってしまった。

史上最高と称されるべきライダーの汚点となってしまったのだ。もっと重く受け止めるべきはGPのイメージに傷がついてしまった問うことである。特にMotoGPが大きなダメージを負ってしまった。非常によろしくないことだ。GPはヴァレンティーノ・ロッシが引退しても続いていくのだ。アスリートが彼が戦うスポーツ自体より大きくなってしまうことはある。しかしそのスポーツが彼が引退したときにその重みでつぶれてしまわないようにしなければならないのだ。
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<2015.11.23追記>
再び @hige_penguin さんの御指摘で諸々修正しました。ありがとうございます!

このあたりの「どんな理由でどこをどう間違えたのか」は近々ネタにする予定ですのでお楽しみに。

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コメント

翻訳お疲れさまでした。
なるほど、リリースをためらわれた訳がわかるように感じます

私のバイクの経験や知識は皆無といっていいものです。
大学への足もモンキーだったし、憧れのバイクはモペット・トモスっていうヒトなのでww
唯一、バイクレースを観戦する際に役立っているのは、アルペンスキーの経験でしょうか。
SGスラロームのコースを駆け下りる感覚を呼び起こしながら見ていると、選手たちの感覚にほんの少し近づけるような気になって一人悦に入っていますww

そんなド素人の私ですが、GPのレースを見ていて自分が得ることに関しては、自分の目そして感覚を信じようと思っています。
某人気ブログのコメント欄でこう言っておられる方がいました。「マルクが全力で走ったなんて信じるのは能天気なお人好し」。確かにそうかもしれませんねぇw
GPやGPライダーはコミックでも映画でもお伽噺でもありませんしね。
有名な解説者、高名なジャーナリスト、長年のファン、それぞれの見解は多くのことを教えてくれますし、実際学ぶことが多いです。
でもやはり私は自分の目で見たもの、自分の感覚で得たものを信じようと思います。

ヴァレンティーノは結果自滅に追い込まれた(ヴァレファンの方すみません。個人見解ですのでご容赦を)。
マルクは己の能力はトップに立つことにだけ使う。
そしてホルヘは勝ったということ。

そして今シーズンは最高にエキサイティングだった。
そして来シーズンはもう開幕している。
それでいいですよね。とみながさん。

投稿: りゅ | 2015/11/12 06:26

長文翻訳素晴らしいですそして有難うございます、私はロッシファンですがトップから0.5秒遅かったロレンソは連勝した辺りから感性で覚醒した速さを見せつけた感じでした、ロッシは予選で苦労していたドクター故M1を触り過ぎの様な 感じ?しかし最年長でこの走りそして、バレンシアでピットでの沢山の出迎え感動しました来年はミシュランですが、口より速さでナンバー1に!

投稿: ヤマハ46 | 2015/11/12 07:05

>MotoGPは不正なものなのか?それが本当なら最大限の経済効果を狙って行われるのではないか。

筆者の、この展開で理論が破綻していると感じます。
ロッシは「マルケスがチャンピオンシップのポイントを操作しようとしている」と指摘しているだけで、「MotoGP全体で陰謀が渦巻いている」と指摘しているわけじゃない。
というか、こんな理論の飛躍を見ると、ネトウヨが「民主党は日本を滅ぼそうとしている」という破綻理論に似ていて、まず結論ありきの構図に見えますね。

まあ、個人的にはロッシが今回の茶番劇をしかけたことには100%同意ですけど。

投稿: nshkw | 2015/11/12 13:57

> とみながさん
さっそく、興味深い話を翻訳してくださりありがとうございます。

"The truth is out there"
Xファイルですね。

私には英語力なんてありませんが、out thereに深い含みがありそうで、、、

投稿: mac | 2015/11/12 21:26

>りゅさん
 そして自分を疑いながら信じていくんですねえ、きっと。

投稿: とみなが | 2015/11/12 21:43

>ヤマハ46さん
 ですね!来年も今年以上のモチベーションで走ってくれるはずです!

投稿: とみなが | 2015/11/12 21:44

>nshkwさん
 むしろ文脈からするとロッシに対してというよりファンや煽りメディアの「陰謀論と妄想」について行ってるんだと思います。
 ロッシがその妄想のきっかけを作ったという感じでしょうか。

投稿: とみなが | 2015/11/12 21:46

>macさん
 ですです。X-Files。気付いて頂けてとても嬉しいです!
 文意からは「真実は闇の中」って訳す方が良さそうなんですけど、たしか日本語吹き替え版では「真実はそこにある」だったんで、迷った末にこっちにしました。

投稿: とみなが | 2015/11/12 21:48

>とみながさん

てれてれてん♪
てん♪
トゥティトォティトォ~♪
音楽流れましたよ!

「真実はそこにある」と訳してくださってありがとうございます。意味は「闇」のほうがしっくりきますが、やはりXファイルは「真実はそこにある」です。Emmett氏もXファイルを意識されているのでしょうか。

あと、「真実はそこ(のすぐ外)にある。」という訳をネットで見つけ、まさに今のMotoGPにぴったりと思いました。
闇ですね。"月"夜の闇ですね。真実は見えないですね。見えてないだけかもしれないですけど。

投稿: mac | 2015/11/12 22:16

いつもありがとうございます。これをpostしたDavidの心境を思わずおもってしまう内容でした。清濁も毒も飲み込んで楽しむMotoGPファンがいるということをDavidが感じられる来年のシーズンになるといいなぁ....。ホルヘのこともバッサリと...^^; しかし、その愛されにくいキャラを知れば知るほどなぜか好きになってしまう天邪鬼が私です:)

投稿: Akira | 2015/11/12 23:41

>macさん
 間違いないですね。こういう文化ネタは翻訳に苦しむので、楽しくて辛いんですけどね。

投稿: とみなが | 2015/11/13 02:07

>Akiraさん
 ホルヘ、かわいいですよね!実は大好きなんです。

投稿: とみなが | 2015/11/13 02:08

ショウとしては、今年は素晴らしい年だったと思いますがスポーツ観点からすれば酷かったというのが自分の考えです。

何故、ドルナがロッシの言動をを正さないのか?不思議でいるところでしたが、
>ロッシがドルナCEOをモーターホームに呼び寄せた
これが事実であれば、それも腑に落ちます。
他の選手では出来ないことでしょう。

理想を追い求めても仕方ないですが、「大人の事情」ばかりが優先されたらスポーツ競技でなくなってしまいます。
ともあれ今回のようなゴタゴタを来年も望むようなファンはいないと思います。

 

投稿: motobeatle | 2015/11/13 09:20

>motobeatleさん
 来年は電子制御とかタイヤとかでぐっちゃぐちゃになることが見えているので場外乱闘まで入ったら、ちょっとやるせないですもんね!

投稿: とみなが | 2015/11/14 22:20

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