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2015 セパンMotoGPラウンドまとめ : 英雄たちのガラスの仮面

Motomatters.comより。
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7日前の私達は、2015年のMotoGPが一体どのような形で歴史に刻まれるのかと話し合ったものだった。オーストラリアGPは長く語り継がれるだろう今シーズンのハイライトとして煌めくはずだった。その1週間後、私達はシーズンの最悪の部分を目撃した。賞賛に値する素晴らしい走りが全カテゴリで見受けられたのは確かだ。ダニ・ペドロサは圧倒的な内容のシーズン2勝目で完全復活を証明した。腕上がりの手術は大成功で、もしホンダが「乗りこなせないほどパワフルなエンジン」を組む誘惑に抗することができれば、来年は彼も再びタイトル争いに戻ってくるはずだ。ヨハン・ザルコはMoto2における卓越した技量を改めて示した。レースの間ルティを追跡し続け、もはや決定的と思われた展開から自身の勝利をもぎ取るため、体力を限界まで振り絞って走りきった。そしてミゲール・オリヴェイラは、ダニー・ケントがMoto3シーズン前半でそうしたように、彼にシーズン後半を圧倒する能力があることを証明してみせた。ケントのタイトル獲得を妨げ、チャンピオンシップの決着をヴァレンシアへ持ち越したのだ。

しかし滅多にお目にかかれない酷いレースウィークとなったせいで、彼らの目の覚めるようなパフォーマンスが霞んでしまった。とてつもなく残念なことだ。身体的な悲劇でこそなかったかもしれないが、それでも確かに悲劇だった。このセパンで偉大なチャンピオン3人が、エゴや底意地の悪さや(彼らの成功の潜在要因でもある)狭量なライバル心を、滑り落ちた仮面の裏から覗かせてしまったのだ。そしてファン達は、気にくわない結末に対してのブーイングと誹謗中傷をそこに付け加えた。

仕方が無い。ダニ・ペドロサの勝利については、勝者に本来ふさわしい賞賛を浴びせることなく早送りで済ませることにしよう。ライバル達を抜き去り、ペドロサ以外の全員を抑えたホルヘ・ロレンソの目覚ましい走りも目をつぶろう。そのかわり、私達は3位争いに焦点を当てねばならない。バレンティーノ・ロッシとマルク・マルケスのぶつかり合いだ。彼らの目の覚めるような戦いは、マルケスの挑発と降伏を拒む意思を前にしてロッシが冷静さを失い、マルケスの突然の転倒を引き起こしたことで苦い結末を迎えたのだ。

元気溌剌小型ロケット

ペドロサはスタートから飛び出すと、1コーナーの時点で逃げを決めていたと言っていい。ロレンソが1周目から見せるような大差でこそなかったが、それでも誰も追いつけない速さだった。チームメイトのマルケスが挑んだものの、言うことを聞かないフロントエンドとフルタンク状態と格闘しながらでは、ペドロサと競り合えないことは最初から明白だった。バレンティーノ・ロッシはマルケスの背後につけていたが、相手を脅かすには至らない。モヴィスター・ヤマハのチームメイト、ロレンソは4コーナーで見事なドゥカティ2台抜きを披露しつつ前を目指していた。翌周回にはロレンソが1コーナーでロッシをとらえて3番手に立つ。ロッシもすぐに反撃を試みるが、ラインを確保したロレンソが抑え、そして突き放した。

猛追するロレンソ。ダニ・ペドロサと彼の間にはマルク・マルケスだけだ。ロレンソが後方から激しく迫りくる一方、マルケスはペドロサにすでに距離を開けられていた。4コーナー進入でマルケスがブレーキングミスを犯し、あわやオーバーラン。縁石の端をなぞり、グラベルに侵入しかける。ロレンソはあっさり2番手に滑り込み、ペドロサを追って走り去った。

狂乱の幕開けはここからだった。そこでは真実と陰謀論が判別不可能になってしまった。明白な事実は巨大で不格好な物語の1ピースとして埋もれてしまった。そして語られるすべてがどう真実と対応しているのか誰にもわからなくなってしまった。外からではわからないライダーの動機という余白もファンと観客が勝手に埋めていった。普段ならライダーがブレーキングポイントを外しても「ミスをした」それだけのこととしか思われない。しかし、セパンでは違った。

予想もつかない展開へ

もうひとつの物語は、木曜日にバレンティーノ・ロッシが声明文とタイムシートで武装して記者会見へ現れた時から幕を開けていた(和訳はこちら。彼はフィリップアイランドのレースを振り返って考えた結果、マルク・マルケスが意図的に2位争いに絡んだという結論に達したのだ。ロッシを抑えてロレンソを先行させ、ロレンソのタイトル獲得を助けるために。より正確には、バレンティーノ・ロッシのタイトル争い敗退を確実なものとするためにだ。私たちはその時までは、過去10年で最も盛り上がりを見せ、おそらくMotoGP史上最高とも数えられるだろうレースの栄光に皆で浸っていた。しかし今、疑惑の種は撒かれた。熟練の庭師であるロッシの手により、肥沃な土地へと埋め込まれたのだ。ロッシの理論はすぐに広範囲に拡散し、人々は「自分も最初からマルケスの走りを疑っていた」と主張しはじめる。興味深いことに、彼らが懸念が提起したのは、ロッシの意見表明より後に限られるのだが。

その瞬間から、マルク・マルケスのライディングは1m単位で全て疑惑の対象となった。バレンティーノ・ロッシがマルク・マルケスの近くを走行する度に、それは監視対象となった。プラクティスの走りにもあらゆる解釈が付け加えられた。何ひとつ残さず、あらゆる出来事が精査された。FP3で、そして短時間だがFP4でも二台の走りが偶然にでも交錯すれば、インターネットには「心理戦が繰り広げられている」という主張が溢れかえった。マルク・マルケスが最初にピットレーンを離れ、その後にホルヘ・ロレンソが続くと、今度は「見ろよ!マルケスがロレンソを引っ張ってやってる!」と声が上がった。他にもライダー数名が同じタイミングでマルケスを追っていた事実は無視された。引っ張ったせいでマルケスはひいき目に見ても平凡なラップタイムしか出せなかったということもどうでもよくなった。

マルケスが積極的にロッシの足を引っ張り、ロレンソのタイトル獲得を助けようとしたというロッシの主張に、耳を傾けるべき内容はあっただろうか?木曜日の私は否と考えていたし、今でもそう信じている。証拠に欠けていると思われるからだ。しかし「それがなかった」という証明は不可能だ。彼の訴えが間違いだと証明できない点ことについてはあきらめるしかない。確かなのは、ロッシが自らの主張を真実だと信じていることであり、その事実がセパンのレースで重要な役割を演じることとなる。


裏切り者と老獪なる者

ロレンソがレプソルホンダをあっさり抜けたのはマルケスが膨らんだためと見ていたロッシだが、彼は最悪の事態を想定しておくべきだった。すぐにマルクに追いついたものの、いざ抜くとなるとロレンソほど楽にはいかなかったのだ。これも同じく、のちのキーポイントなった。マルケスが週末を通じて苦手としていた4コーナーで相手を抜くまでに、ロッシは1周近くを費やした。マルケスもはいそうですかとロッシを行かせるつもりはない。カウンターアタックを企むものの、ホンダRC213Vへの要求が過ぎたのかリアがスライドし、望まぬタイミングで後退してしまう。狙った15コーナーで膨らんでしまい、1コーナーで前に出た際にもロッシの反撃を許してしまう。次に仕掛けたのは4コーナーだが、ここは彼が最も苦手とする箇所であり、無理なパッシングの対価として5コーナーで大きな隙をさらす。ロッシはそのまま前を奪い返した。

ここから先はてんやわんやだ。1周のうちに幾度も順位を入れ替えるロッシとマルケスに対し、観客は素直に熱狂した。2台は力を振り絞ってせめぎ合い、抜かれたと思えば即座に反撃、ありえないペースでパスを繰り返す。リスクをおかしていたのは間違いない。あわや転倒というマシンを立て直すロッシの脚は、フットレストから3回も離れた。 苛立ちを高めていくロッシがマルケスへと振り向き、手を振ってみせる場面もあった。まるで「いったい何してやがる?」と問うかのように。

7周目、とうとうロッシの堪忍袋の尾が切れた。9コーナー立ち上がりに続く区間でのきわどいパスの応酬ののち、長い右の13コーナーでイン側のラインをとったロッシは、14コーナーに進入しながら減速し、マルケスをアウト側へ押し出そうとした。この減速の試みは彼の挙動をぎこちなくさせた。ロッシはマシンを何度か起こしながら少しずつ曲がっていく。この動きでマルケスは完全に不意を打たれた。無理矢理にラインを外された状態で、彼はそれでもロッシが14コーナーへ切り込むだろうタイミングの判断を計り続ける。しかしそれは判断ミスだった。ロッシがさらに幅寄せしてきたのだ。マルケスのリーンインと同時にロッシがアウトへ動き、そして2台は衝突した。マルケスのヘルメットがロッシのニースライダーにぶつかり、その勢いでフットレストから外れたロッシの足がマルケスのハンドルバーに接触。マルケスは、ロッシがバーを蹴ったのが原因で彼のフロントがロックしたと主張する。ロッシはそれを否定し、マルケスのハンドルバーが自分の足に当たってきたと語る。レースディレクションは、どちらかの言い分を証明するような決定的な映像はないと言う。

映像に振り回されて

レースディレクションの言葉はインターネットが独自にふたつの正反対の結論にたどりつくのを妨げることはできなかった。数多くのビデオクリップがネット上を巡った。ロッシによるマルケスのハンドルバーへの蹴りを証明すると主張するもの、反対にマルケスがロッシの膝に頭突きを見舞った証明だと主張するもの。どちらの映像群も、こういった状況の検証を試みる際に誰もが直面する問題を抱えていた ---- 細部に目をやりすぎれば、大局的な見地が失われる。マルケスがロッシの足へ頭突きしていると思われるシーンが確かにはっきり見てとれる。ただしそれが頭突きだと認められるのは、そこより手前、コーナーに入ろうとする5秒間の映像を無視した場合のみだ。ロッシの足が浮き、マルケスのハンドルバーに触れようとするシーンも明瞭だ。だがここでも同様に、その手前の数秒間が欠けている。2台が横並びになり、ロッシの足がフットレストから弾かれ、そして彼のブーツがハンドルバー後方に引っかかる瞬間がだ。

マルク・マルケス側の視点からすれば、ロッシがハンドルバーを蹴ったと彼が信じるのも全くもっともなことだ。マルケスとしても予想外の状況だった。ロッシがマシンを起こし、こちらを見て、押し出してきた。その続きとして彼が知るのは、勢いよく通過するロッシのブーツ、そして地面に転がった自分自身だ。ロッシが彼のハンドルバーを蹴ったのはありえそうな話か? マルケスをコースアウトさせるのに集中していたことを考えれば、あえてそこまでする必要はないように思える。本人が認めたように、マルケスを減速させてラインを完全に外し、そこから相手を引き離しにかかるのがロッシの目論みだった。相手をグラベルに押し出そうとしているのなら、わざわざハンドルバーを蹴る必要性はない。マルケスの頭と衝突したという方が、よほど可能性は高い。

接触のきっかけとなったのはロッシか、それともマルケスか? 映像では、2台の接触の際にマルケスがロッシに向かってマシンを傾けていったように見える。もちろん、それは接触がマルケスの過失だという意味ではない。彼は完全に不意を打たれた状況だったし、ロッシに押し出されることは予想だにしていなかった。マルケスはコーナーに切り込む適切なタイミングを推し量っていたが、それ自体が無理な狙いだったのだ。すでに選択肢はなかった。もしロッシがマルケスを押し出すのではなくコーナーでの先行を狙っていたのなら、接触も起こらなかっただろうが。レースディレクションはロッシに非があると判断した。マルケスはロッシの非を主張した。ロッシはマルケスを押し出そうとしていたことは認めたが故意にマルケスを転倒させようとしていたわけではないと言っている。しかしながら、この転倒が彼の行為の避けがたい帰結だったことは確かなのだ。


重圧で入ったひび

何がロッシをそこまでさせたのか? ロッシはマルケスが自分の邪魔をしていたと訴えた。コーナーで減速したり、直線でスロットルを全開にしなかったという。もしマルケスが直線で全開にしていなかったとしたら、それはバックストレートに限ってのことに違いない。ラップチャートによれば、マルケスがロッシを先行していた周回で記録した最高速は、ダニ・ペドロサと遜色ないもの(326km/h~327km/h)であり、一方で同じ周回でのロッシの最高速は、接触転倒後のひとり旅の時と比べて時速数km及ばない321km/h~324km/hである。ラップタイムは間違いなく落ちていた。5周目は4周目と比べて1秒遅れ、6周目も戻したのはコンマ数秒のみ。これはマルケスがロッシを遅らせていたのか、それとも、1周のうちに幾度も順位が入れ替われば当然といえる結果だろうか?

ラップタイム、データ、サーキット中のあらゆるカメラアングルからの映像(TVで流さないものも含む)へのアクセス権を持つレースディレクションは、マルケスがロッシの邪魔をしていたことは認識し、彼が何もしなかったわけではないと考えている。「マルケスが故意にペースを落とし、自分のレースに影響を与えようとしていたというロッシの言い分にも、いくらかもっともな点はある」と、マイク・ウェッブ(MotoGPレースディレクター)は記者達に語った(和訳はこちら)。問題はマルケスの行為はルール違反ではないという点だ。はたから見れば、ロッシとマルケスが手に汗握るバトルに身を投じ、コーナーのたびに3位争いを演じていただけとも思える。双方がひとつの順位を巡って争う以上、グリッドに並ぶライダーなら誰でもそうする権利がある。すでにチャンピオンの目のないライダーはタイトル争いに絡むライダーに挑んではならないという規則など (少なくともルールブック上には)存在しない。タイトル争い中のライダーを危険な目にあわせない限りは、自分のポジションを守るために戦うのも自由だ。表彰台圏内という希少価値(ついでにボーナスの可能性)を考えれば、戦いが苛烈さを増すことも想定の範囲内だ。


歴史は繰り返す

これはなにもセパンで初めて起こったことではない。私の記憶の中で最も鮮明なのは1990年のフィリップアイランドだ。オランダ人のハンス・スパーンはトップのロリス・カピロッシとわずか2ポイント差のランキング2位で125cc最終戦の地にやってきた。ポールからスタートした彼はカピロッシの前でゴールすれば良かったのだが、イタリア人の一団にのみこまれてしまう。彼らは誰一人としてタイトルに残ってはいなっかたのだがカピロッシの勝利を助けるためにスパーンにバトルを挑んだのだ。このときの激しい争いは伝説となっている。ドリアノ・ロンボニ、ファウスト・グレジーニ、ブルーノ・カサノヴァが全員でスパーンをブロックし、パッシングにかこつけて彼をアウトに押し出した。最後にはスパーンはグレジーニに接近し彼にパンチをくらわそうとまでする。それほどいらだっていたのだ。最終的にイタリア人たちの企ては見事に成功し、スパーンは4位、カピロッシがルーキーイヤーでチャンピオンを獲得することとなった。見事なデビューだ。

スパーンがタイトルを奪われたのはこのイタリア人たちのせいだろうか?ルールブックには他のライダーを助けてはいけないとは書かれていないし、他のライダーを故意に遅く走らせようとしてはいけないとも書かかれてはいない。少なくとも安全性が確保されている限りは(安全性というのも様々な解釈があるが)。しかしこう考えることもできる。自分に襲いかかるライダーを振り切れるほどスパーンが速くはなかったのはカピロッシのせいなのか?コースで行われているのはレースである。どんな結果でも、そしてそれがどんな動機に基づくものでも結果は結果だ。レースの最終目標はライバルの前でゴールすることだ。しかし自分の順位より誰かの前でゴールしたいがために走ることもあるのだ。ルールブックには動機については何も書かれていないのである。

スパーンを見舞ったのはセパンでロッシを見舞ったのと同じ運命である。もしロレンソを3位に落とすだけの早さがロッシにあったならマルケスとからむことなどなかったろう。もしロッシがマルケスを置き去りにできるほど速かったらどうだったか。何周ものろのろと走らされることはなかったろう。彼にはそれだけの速さがなかったのだ。タイトルに手が届くほどのポイントを稼ぐことはそもそも無理な話だったのである。


弟子に追いつかれた導師

これこそがヴァレンティーノ・ロッシのいらだちの原因だったのではないだろうか。彼は今自分が最高の状態にいることがわかっているが、同時にこれが10回目のタイトル獲得の最後のチャンスだと言うこともわかっているはずだ。セパンに先立つ3レースで2回も彼は真っ向勝負に負けている。アラゴンではダニ・ペドロサが見事なパッシングでロッシを下し2位に入った。その2戦後のフィリップアイランドではマルク・マルケスとアンドレア・イアンノーネの二人に負かされ4位に沈んでしまった。せめてもの救いはマルケスが素晴らしいラップを刻みホルヘ・ロレンソを負かして優勝してくれたことだ。どちらのケースでもレース後ロッシは個人的に自分を負かしたライダーに話しに行き、なぜそんな風に挑んでくるのかと尋ねている。スペインの主要紙、エル・パイスによれば、のレース後ロッシはダニ・ペドロサになぜそんなことをするのかきいたとのことである。

セパンで再び彼は真っ向勝負での敗北の危機にさらされた。そしてバトルの相手がマルケスだったのも問題だ。相手はペドロサやロレンソやイアンノーネではなかったのだ。マルケスはかねてから自分がロッシのファンだと言っていた。そしてマルケスがロッシの真似をしながら学んだことの一つがカウンター・アタックだ。コーナーで抜かれるとロッシはかなりの確率ですぐに抜き返そうとする。それも次のコーナーか、ことによったら抜かれたコーナーの出口でだ。マルケスも同じことをした。しかし彼にはさらに武器があった。ロッシから学んだことにその武器を付け加えたのだ。マルケスがダートトラックでのトレーニングにかなりの時間を費やしている理由の一つは他のライダーに囲まれた状態に慣れたいということである。そしてその状態で一見不可能に見えるパッシングラインを見つける能力をつけたいのだ。マルク・マルケスはついに自分なりのやり方でロッシを越える道を見つけたのだ。そしてロッシはその最後に付け加えられた1ビットが気に入らなかったのである。

つまりロッシは自分のやり方で自分を倒してくるライバルに直面したということである。そしてそのライバルは木曜以降のロッシの発言にすっかりやる気になってしまっていた。ロッシはプレスカンファレンスでマルケスがロレンソを助けようとしていると非難したのだ。そんなことを言わなくてもマルケスは最初からやる気だったはずだ。アルゼンチンの結果はマルケスにはおもしろくないものだったし、アッセンでは激怒していた。マルケスは(とんでもない間違いと思い知らされるのだが)レース終了直前までアッセンで勝つのは自分だと信じていた。しかし彼がロッシをグラベルに押し出したことでロッシが優勝してしまったのだ。この2戦での出来事が遺恨となった。そしてロッシはさらにイタリアのメディアに対して火に油を注ぐようなことを語る。「マルケスはロッシのせいでタイトル争いから脱落したと信じている、ロッシのせいアルゼンチンではクラッシュしアッセンでは2位におわってしまった」とマルケスのマネジャーであるエミリオ・アルサモラから聞いたと言ったのだ。

セパンのプレスカンファレンスの席で「マルケスがロレンソを手助けしている」とロッシが非難したことでマルケスに与えた影響はただ一つ。彼をさらに激怒させたことだけだ。フィリップアイランドでのマルケスの走りに対するロッシの非難が真実かどうかにかかわらず、マルケスがセパンでそれをやってやろうと思うのは避けられないことだった。優勝できないならロッシを地獄に突き落とすために走るとマルケスは決意することになったのだ。


狂戦士

コース上で両者が激突するのは避けられないことだった。マルケスはペドロサについていけなかったし、ロッシはロレンソに離されてしまった。運命の様に彼らはコース上で相まみえ、そしてその瞬間から憎しみと怒りの炎が萌えがることになる。それが最後には歴史的な悲劇につながるのだ。二人とも冷静さをなくし本来なすべきことを見失っていた。ロッシは自分のタイトル争いには全く関係ない相手との戦いにこだわり、マルケスはつまらない遺恨と怒りに我を忘れていた。戦闘力のないホンダのマシンに対するフラストレーションのはけ口をそこに見つけたのだ。

マルク・マルケスのライディングはフェアなものだったか?コース上で自分のポジションを上げるために戦うのは当然だ。しかしタイトル争いをしているライダーに対して真っ向勝負でない戦いを仕掛けるのはスポーツマンシップとはかけ離れた行為である。スポーツツマンシップについてはルールブックには何も書かれてはいない。安全性への言及があるだけだ。マルケスのパッシングはルールに則ったものだった。しかし20周あるレースのわずか5周目で、しかもたかが3位争いにしては彼らの走りは攻撃的過ぎたと言える。

しかし最終的に一線を踏み越えたのはヴァレンティーノ・ロッシだった。キャリアを通じてロッシは心理戦の達人だと思われてきた。彼は強い精神力を持っている。どんな過酷な運命に直面しようとも負けない強さがある。彼の木曜の発言のあと、しかし私たちは難攻不落の壁にひびが入ったのではないかと疑い始めていた。土曜の予選結果が良かったことで一旦はその疑いも晴らされたかに見えた。だが決勝になると私たちの見立てがまちがっていなかったことがわかってくる。アンドレア・ドヴィツィオーゾがわかりやすく表現してくれた。「彼はいつでも状況を最高に上手に支配できる。そして自分の感情もコントロールできる」。彼は少し間をおいてこう言った。「でも今日は何か大事なもののために戦っていた。10回目のタイトルでしょう。でもみんなロレンソの方が早いことも知っていた」。怒りといらだちはセパンの13コーナーで頂点に達する。そしてマルク・マルケスは地面にたたきつけられる。結果、マルケスとロッシの評判も地に落ちることとなった。


仮面をかなぐり捨てたヒーローたち

どちらにとってもいい結果にはならなかった。マルケスはささいな遺恨にこだわって自分には手が届かなかったタイトルを獲ろうとしているライダーの邪魔をするようなつまらない男になってしまった。ロッシもまた自分が弱い人間であると知らしめてしまった。そして真っ向勝負でロレンソに負けるのを怖れていることを、さらに自分の記録を遙か高みまで伸ばしたいという欲望も露呈してしまった。彼を陥れようとする汚いやり方に対しても常にジョークと笑顔でいなしてきた、そのテフロンコーティングの仮面がはがれてしまったのだ。これまで上手に隠していたことがすべてあらわになってしまったのである。それでも二人とも偉大なチャンピオンで、そして世代を代表する偉大なバイクレーサーであることに変わりはない。しかし日曜のセパンではトップアスリートによるスポーツの隠された部分、苦い、そして醜い部分が現れてしまったのだ。ロッシとマルケスは同じ野望を抱き、同じように容赦がなく、同じように自分に伍することのできる世界中のすべてのライバルを憎んでいる。もしそうした渇望を抱えていなかったとしたら、どちらもここまでの偉業は達成できなかっただろう。彼らはすべてのものを犠牲にする。友人、恋人、家族、時間。体重を落とすために飢えに耐え、疲れ果てるまでトレーニングをする。それもこれも自分の名前が刻まれたちっぽけな金属片(訳注:これ)とライバルに勝ったという満足のためなのだ。

ではこの時期にこれほどまでになってしまったの理由はなんだろう?ヴァレンティーノ・ロッシに「そこに座れと。タイトル争いにこれほど影響のある時期にマルケスに対する非難を公の場で口にすることがいいアイディアかどうか考え直せ」と言える者はいなかったのか?誰もロッシに対して「君のライバルは同じピットにいる相手でホンダじゃないとんだ」言ってやらなかったのだろうか?ロッシに責められたあとのマルケスをピットの片隅に呼んで「名誉を重んじるんだ、ロッシとレースがしたいならフェアに、クリーンに戦え」と誰も言ってあげなかったのか?ドルナの誰かが二人を同じ席に呼んで「自重しろ」と言わなかったのか?

誰もそうしたことはしなかった。本来はここが責任ある立場の人間の腕の見せ所のはずだ。しかし誰もそれをしなかった。ヤマハのボスであるリン・ジャーヴィスはフィリップアイランドのマルケスについてのロッシの考えを聞かされている。しかしロッシがプレスカンファレンスでそれを口にするとは思っていなかった。「ロッシのせいで自分がタイトル争いから脱落したとマルケスが言っていたと」アルサモラに教えられたというロッシの言い分が真実なら、HRCの誰かが状況を把握しマルケスと話をすべきだった。だがHRCはマネジャーのアルサモラにマルケスのケアをまかせていたようだ。しかしアルサモラの大事にしているのはホンダとは違うことだ。HRCはそれに気付いて今回の件を未然に防ぐべきだった。日曜の戦いの後、HRCとヤマハ、そしてドルナはこれまでライダーが築き上げてきたものがばらばらになってしまったのをひとつひとつ拾い集めて、混乱を収拾しなければならなくなったのだ。


裁判官と陪審員

二人のライダーはどちらも間違いを犯したが罰せられたのは一人である。レース後、ロッシとマルケスはレースディレクションに呼び出され、映像を確認しながら両者の言い分について聴取を受けた。それは不快なミーティングになった。お互いの間でののしりあいに近いことが行われたのである。「今日レースディレクションに対して彼が言った内容については話したくもないですね。彼のことはずっと尊敬してきたからこそ僕が何を言われたかについては語る気になれないです」とマルケスは言っている(訳注:リンク先はアドブロッカーを使ってると表示されません)。ロッシも席上でマルケスと会話したことを認めている。「僕は彼に対して彼のことをどう思っているか伝えているけど、個人的なことだからね」。間違いなくマルケスはロッシに向けて辛辣な言葉を放ったようだ。

結局二人は自分の考えを変えることはなかった。マルケスはロッシがハンドルを蹴ったと信じている。それどころかわざとステップから足を離しマルケスのハンドルとブレーキレバーを蹴ったのだと信じているのだ。ロッシはマルケスが彼を邪魔していたと言っている。そして彼はマルケスからのいやがらせにうんざりしたとも言った。そこでマルケスをアウトにはらませてスピードを鈍らせようとしたというのだ。ロッシはしかし彼を転倒させるつもりはなかったとも言っている。しかしマルケスと彼が接触した際にマルケスのハンドルバーが彼のひざに当たり、結果としてマルケスは転倒してしまった。それぞれの言い分についてはCRASH.netが詳しく報じている(ロッシの言い分マルケスの言い分)。

レースディレクションは蹴りを入れたという証拠はないがロッシの行為がマルケスを転倒させたと判断した。マイク・ウェッブはメディアに対してロッシがマルケスをアウトに押し出した結果クラッシュが起こったと語っている。つまり両者共に非難されるべき点はあるが、マルケスのパッシングには問題が無く接触もなかったと判断したということである。一方ロッシについてはマルケス挑発されたという事情は理解できるが、それに対する行為はルール違反であり、それが接触からマルケス転倒という結果をもたらしたと判断した。接触したとしてのライダーを転倒させたことが問題となったのである。意図の有無は問題とされていない。これがロッシにペナルティポイント与えられた理由だ。既にミザノで1ポイントのペナルティポイントを科せられていたため、彼は次戦で最後尾グリッドからのスタートとなった。

マイク・ウェッブはそれが3ポイントだった理由についても説明している。ロッシはマルケスに当てようとはしていたが転倒させるつもりは無かったと言っている。今シーズン序盤、カレル・ハニカがフアンフアン・ゲバラをヘレスのチェッカー後に転倒させた。ハニカはわざとゲバラを転倒させようとしたと告白し、その結果5ポイントを科せられている。これが参照すべき前例となった。意図していなかったということでレースディレクションはロッシに対してハニカ以上のポイントを与えることも失格にすることもできなかったのだ。つまりペナルティはロッシに対してもう二度としないと思わせる程度には重く、しかしハニカに対して与えたよりは少なくする必要があったのだ。ウェッブによる詳細な説明は、これもCRASH.netに掲載されている(和訳はこちら)。


モンスターを吊す

クラッシュの直後からペナルティの軽重についての議論が沸騰することになる。ライダーのマネジャーとして有名なカルロ・ペルナートはメディアに対してロッシはすぐさま失格にするかライドスルーを科すべきだったと話している。2011年のルマンでマルコ・シモンチェリがダニ・ペドロサを転倒したときには2周後にライドスルーを科せられた。では多くの人が指摘している通り即座に処罰を下すべきでレースが終わるのを待つべきではなかったということだろうか?

ウェッブの説明はこうだ。レースディレクションにはこれがタイトルの行方に重大な影響を与えるとてつもなく重大なアクシデントだとわかっていた。だからこそすべての事実を把握してから決定を下したかった。MotoGPレースが終わるまでは慎重な検討をするだけの余力がなかった。つまりレースが終わるまで待たざるを得ず、そのおかげで二人からも聴取ができたし、弁明の機会を与えられた。

すぐに裁定を下すより良かったのだろうか?ファンにとっては満足度が高い結果になったかもしれないが、そこでの裁定は取り返しがつかないものにである。もし詳細な調査の結果、そのペナルティが厳しすぎたとなったらどうだろう。それどころかペナルティを科すべき犯罪すらレースディレクションの幻想だった可能性だってあるのだ。レース中のペナルティは取り返しのつかないものになる。死刑が執行された後にわかる真実になんの意味もないのと同じなのだ。

一方、ライドスルーであればそれほど厳しいペナルティではなかったという見方もできる。事件は7周目に起こっているが、最速でペナルティを科したとしたらそれは10周目か11周目になっただろう。その3周後にピットスルーをしたとする。セパンのピットスルーは27秒のロスだ(これは2007年にアンソニー・ウェストがライドスルーを行ったときのタイムである)。この場合ロッシは12位で復帰することになるが、今回のレースでのタイムを考えると彼は6位争いができるところまでいける。6位ならば10ポイントだ。今回の16ポイントからは6ポイント少ない結果である。つまりヴァレンシアにはわずか1ポイントのリードで臨まなければならないということだ。しかしそれ以上のペナルティはない。セパンで16ポイントを獲得した上でグリッド最後尾からのスタートとなるよりはましだろう。


ブルータス、おまえもか?

プレスカンファレンスでホルヘ・ロレンソはロッシに対するペナルティの軽さについて腹を立てていると言った。3度目のチャンピオンを引き寄せるすばらしいライディングを披露した彼はしかしこのマルケスとロッシの間に起こった醜い事件について醜い反応をしてしまった。2005年に自分は同じようなアクシデントの結果出場停止になった。だからロッシに対するペナルティは理解できないと言うのだ。しかし当時の自分が荒っぽく危険なライディングで有名だったことは都合良く忘れたらしい。彼自身それを認めていたこともあったのだが。今回の裁定はフェアじゃないとロレンソは言った。彼は本当にむかついている様子だった。Moto3で同じことが起こったらもっと厳しい裁定を下すはずだ、それがロッシだからこれほど甘い裁定だったのだとロレンソは非難している。「彼はMotoGPにとって大事ですからね」とロレンソは言った。「もし他のライダーが今日のヴァレンティーノと同じことをしたら少なくともライドスルーか失格か出場停止になってたでしょうね。でもそうならなかった。がっかりしてます。ほんとうにがっかりだ」

ロレンソはロッシを失格にすべきだったと考えている。転倒させられたマルク・マルケスと同じノーポイントにすべきだということだ。ロッシをそのまま走らせたせいで自分はポイントを獲るために彼に追いつかれないよう攻め続けなければならなかった。そこで転倒するリスクもあったと主張している。つまりノーポイントに終わる可能性もあったということである。ヴァレンシアでの最後尾グリッドからのスタートも、実はそれほど厳しいものではないと考えているようだ。「ヴァレンティーノが最後尾スタートでも、例えば雨だったりすれば1ラップか2ラップ目には先頭に追いつくでしょう。ドライだったら苦労はするでしょうけど彼がタイトルを獲る可能性はある。今日のことを考えたらそれはフェアじゃない。だからもし彼がタイトルを獲っても本当のチャンピオンとは認めたくはないですね」

残念な発言だ。ヴァレンティーノ・ロッシを挑発した結果、自分が転倒してしまったマルク・マルケスの発言と同じように人間の小ささを露呈してしまっている。挑発に乗ってマルケスを押し出そうとして転倒させてしまったロッシと同じようにつまらない人間だと言っているようなものだ。これではチャンピオンの品位や価値が台無しだ。彼はその品位を守ろうとはせず、自分にチャンピオンをプレゼントしてくれなかったとレースディレクションを非難したのだ。せっかく表彰台を獲ったのにちっともうれしそうではなかった。ただ苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。とてもチャンピオンの手本になるような態度とは言えない。

彼が不機嫌だったのには理由があったことは彼の名誉のために書き添えておこう。マシンを降りた彼はすっかり疲れ切っていた。セパンの暑さで脱水症状になっていたのだ。表彰台では観衆からブーイングを受けた(この日で最も醜い場面だったのはこれだ。ただしそれもファンやSNSや掲示板にあふれかえったののしりに比べたらかわいいものだが)。意識を失いそうになったと言って彼は早々に表彰台を降りた。彼の発言は彼が思っている通りだろう。しかし誰かの前でゴールしたことを理由にブーイングを浴びるのはまったくもって元気にしてくれるようなことではない。表彰式の後には表彰台ライダーの義務であるテレビのインタビューがある。ロレンソとペドロサは小さなテレビルームでヴァレンティーノ・ロッシがレースディレクションから戻ってレース後記者会見に自分たちとともに応じるのを待っていた。埃まみれ汗まみれで疲れ切ったまま彼らは1時間近くも待っていた。それより何より彼らは退屈しきっていた。他人を待たせるのを当然だと思っている男にまた待たされたというだけではない。彼らが待っていたのはその時点でもっとも好ましくない人物だったのだ。結局ドルナはロッシ抜きでプレスカンファレンスを始めることにした。彼が現れる気配はなかったのだ。聖人でも怒り心頭になるような状況だ。つまりはイメージアップの機会でもあったとも言える。しかしロレンソはその機会を完全に無駄にしてしまった。


品位とはこういうことだ

唯一品位を保ってみせたのはダニ・ペドロサだ。素晴らしい走りをみせてくれただけではない。プレスカンファレンスでの彼のふるまいは思慮深く落ち着いていて、しかも正直だった。「まず最初にひと言、かなり奇妙な会見になっちゃいましたね」。彼はそんなふうに切り出した。状況を表現するには完璧な言葉だ。そして一緒に辛いシーズンを戦ってくれたチームに素晴らしい勝利をプレゼントできた嬉しさについて語った。腕上がりの手術のせいで勝てなかった時期が長かったのだ。

次に彼が語ったのはロッシとマルケスの間に起こった出来事についての明解で簡潔でよく練られた分析だ。見事にこの事件をとらえている。「いいことだとはおもいませんね。タイトル争いにとってもいいことじゃないし、誰にとってもいいことじゃない。ヴァレンティーノにとってもマルクにとってもホルヘにとっても僕にとってもいいことじゃないですね。僕が直接巻き込まれたわけじゃないですけど。タイトル争いも終盤になったことの時期に起こっていいことじゃないんです。
 僕の考えでは、バトルは1周目から始まっていて、そもそもプレスカンファレンスでもプラクティスでも二人は熱くなっていた。レースではすぐに一団になって序盤からバトルを始めた。あの事件が起きるまでは問題のあるような走りはなかったですね。ヴァレンティーノはもっと落ち着いたレースをしてホルヘに追いついて2位争いをしたかったでしょうし、マルクは表彰台に昇りたかった。それにいつでもマルクはバトルを仕掛けてきますからね。ファイティングスピリットにあふれていてマシンを上手に操れるし、だから抜き方も特殊なんです。
 でも最後の動きについて言えば、自分がインにいたら好きなだけアウトにいけるというのが僕の考えです。インにいる方が好きにできるんです。だから普通はアウトにいるライダーがあきらめる。でもあの時点でのスピードが極端に遅かったんで、それに気付いたマルクがスロットルを完全に閉じてヴァレンティーノが曲がっていくのを待ったんです。そしてヴァレンティーノの脚が動いてマルクがクラッシュする。もっと何度も見てみたいとは思いますけど、現時点ではなんで脚が動いたのか、なんでマルクが転倒したのかはわからないです。いずれにしてもいいことではない。それについてはすごく残念です」

ペドロサはこうも指摘している。ロッシはかつてはマルケスのやったようなことを擁護していたと。これは間違いなくマルコ・シモンチェリのことを思い出しているのだろう。シモンチェリが危ないライダーだと非難される度にロッシが彼を擁護していたとペドロサは言っている。「ヴァレンティーノはいつも言ってました。『これはレースなんだし、レースってこういうものだ、だから僕らはバトルするんだ』ってね。でも今は昔の僕みたいなことを言うようになってきた。でも前に言ってたこととはちょっと矛盾はしてますね」

ペドロサの態度は暗い1日における一筋の光明となった。彼はMotoGPタイトルを獲ったことはないが彼の態度はチャンピオンにふさわしいものだった。この2年ほどでペドロサは成熟し強くなった。人間味を増しつきあいやすくもなった。いまでも記者会見やインタビューは苦手なのは間違いないが、ちょっと意地悪なユーモアも持ち合わせているし、気が向けば起こったことやマシンに対して正確で詳細な分析を披露してくれることもある。残念なことにそうした機会はそうたくさんはないが私は彼の話を聞くのが大好きだ。


状況は見た目ほど悪くはない

暗くて嫌な物語だ。レースとそしてレーサーたちの不愉快な一面がさらされてしまった。私は今回の主役たちに対してかなり厳しい言葉を使っている。しかしこれは彼らの一面にすぎないということも言っておきたい。コースを離れればヴァレンティーノ・ロッシはいつでも魅力的だしウィットに富んでいる。いつでもファンに囲まれて迷惑を掛けられているにもかかわらず信じがたいほどの冷静さと品位を保っている。モーターホームから一歩出ればすぐさまファンに囲まれてしまうのに、いつでも喜んで、そして辛抱強く帽子やポスターやTシャツにサインをし、可能な限りたくさんの写真のためにポーズをとり続ける。レースの現場にいるにもかかわらずだ。もしすべてのファンに応じていたら彼はレースをする時間もなくなってしまうだろう。

ロッシは情熱をもってレースをし、そして自腹で次の世代の若いイタリア人レーサーの育成を行っている。こうした若いライダーには導師として、しかし同じライダーとして対峙している。若いライダーに対して傲慢になることは決してない。もちろん彼らがロッシのダートトラックで無謀にも彼を負かそうとしたら話は別だが。

マルク・マルケスも同じようにサインをし写真にポーズをとってみせる。彼はチャリティにも精力的だしウィットもあり魅力的でもあり知的である。メディアやファンに対してきつい言葉を投げつけることなどない。私たちが馬鹿げた質問をしたり挑発したりしてもだ。彼は自分のメカニックたちにも最大限の敬意を払っている。毎晩夕食を共にし、いつでも彼らとジョークの応酬で笑い合っている。

中では最も理解しにくいライダーであるホルヘ・ロレンソでさえ心の奥底では善良な人間である(彼が理解されにくいのは彼のせいではない。ロレンソが物心ついて自分で人生を選べるようになる前から父親が彼を世界チャンピオンにすると決めたせいで子供時代が奪われてしまったのだ)。彼もチャリティにかかわっている。金銭的な支援だけではない。時間も注ぎ込んでいるのだ。アナ・ヴィヴェスはダウン症のアーティストでスペインのダウン症コミュニティを代表する人物だが、ロレンソは彼女と一緒にプロジェクトを興している。単なる金銭的支援ではないこうしたプロジェクトは普通にできることではない。二人は協働してロレンソのヘルメットのデザインやゼッケンをデザインし、大義のために進んでいるのだ。

だから彼らを傷物の汚れた存在だと決めつけるのは正しいことではないし、彼らの複雑な人間性を全く理解していない見方だ。しかし一方で彼らの中では自分たちを駆り立てる成功への野心が煮えたぎっている。敗北を憎み、勝利のためにはなんでもやり、間違いなく自分たちが成功できると信じている。他のライダーが戦いを挑んでくれば容赦はしない。そもそもなぜ自分に挑むなどという無謀なことをするのか理解できないのだ。これは控えめに言っても理解しにくい考え方だ。しかしこれほどまでにレベルの高いレースで勝つためには必要不可欠な考え方でもある。普通はこうした、あまり愉快でない考え方は周囲の環境に埋もれて見えない。ライダーたちは普段は勇敢な人間としての仮面を着けている。今回のセパンが普通でなかったのは世界で最も偉大なライダーの内の3人もが同じ日にそのマスクをとってしまったことなのだ。


それでも大丈夫

セパンでの大混乱に直面してファンもメディアも「MotoGPは死んだ」だの「レースディレクションがMotoGPを殺した。ヴァレンティーノ・ロッシへのペナルティは重すぎる/軽すぎる」だのと決めつけている。堕ちたアイドルを見出しにし、粉々になった幻想や壊れた夢について語る。いくつもの比喩が援用されるが、それでもまだミルトンを引用するほどの大胆さはないようだ。天国から堕ちる前と後のルシファーになぞらえるのはなかなか勇気がいることではある。

今回の件は通俗的なドラマではあるが、しかしプロスポーツにはつきものの結果とも言える。ダーツ競技のプロモーターであるバリー・ハーンがかつて言っていた通り、男のための昼メロなのだ。誇張された感傷、つまらない出来事への過剰な反応。MotoGPファンのものすごい情熱はあらぬ方向に吹っ飛ばされてしまったが、マシンは再びサーキットにやってくる。そしてその時このレースのトラウマは過去のものとなる。大層な言葉が大きな情熱を持って語られている。しかしその同じ情熱があるからこそ私たちはレースに還っていくのだ。2015年のセパンは今後長く語り継がれるだろう。しかしそれはこれからも永遠に続くレースというスポーツの一場面に過ぎない。さあヴァレンシアが待っている。
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コメント

たいへんな長文和訳おつかれさまでした。

RULE IS RULE!
起きてしまったことは仕方ないですが、その後主催者側が誰であってもこれを適用していれば、事態は収拾できただろうと私は思います。
またその曖昧さが選手の心に無意識にスキを生み出してもいる気がします。
他のスポーツ競技と等しく迷うことなくルールが適用されることは、この競技を興行だけでなく「スポーツ」としての認識を高めることにもなる筈です。
今回、当事者の双方が裁定後もけっして納得してないこと。
多くの関係者の批判。
スポンサーの降板意向。
更には昨日のロッシのスポーツ仲裁裁判所への告訴など
これらは、やはり曖昧さが呼び水となっている気がしてなりません。
まだまだ騒動は収束する様子はありませんし、今後の大きな課題ではないでしょうか?

投稿: motobeatle | 2015/10/31 19:23

おはようございます。忙しい中翻訳何時もありがとうございます。
内容については玉石混交と思いました。(ごめんなさい。大変な作業を簡単に言ってしまって。何時も感謝しています)
人は単純な事柄、当たり前のことに目に向けずにゴシップを好みます。
接触を伴う行為は転倒の危険をお互いに共有すること。冷静でなければチャンピオンシップを狙えない事。ロッシの投げたサイコロは裏目に出たけど、それは結果です。今までも数々のバトルがあり勝者は転倒の少ないライダーである事は誰でも知っています。かつてロッシの宿敵だったビアッジも同じマシンに乗り結局転倒により負ける事が多かったですね。ロッシは転倒のリスクの少ないライダーです。マルケスは接触のリスクの高いライダーです。この二人が接触をして生き残ったのは転倒のリスクの少ないライダーでした。今シーズンは3勝0敗。だけど次も生き残れるかは誰にも解らない。そしてロッシはまだサイコロを振るチャンスを持っている。裏目に出ようが表目に出ようがロッシは冷静にサイを振ると思う。(ドルナは先が読めてない。このままでは来シーズンも同じことが起こるでしょう)

投稿: とんからりん | 2015/11/01 06:28

>motobeatleさん
 ルール自体に曖昧さがあって、特にコンタクトが発生するスポーツではそこは仕方がないのかしらん、とも思っています。レーシングアクシデントとルール違反の線引きが難しいというか。いずれにしても大きな課題で、なにかうまい方法が探し出していけるといいですね。それまでは常に試行錯誤を繰り返すしかないのかもです。
 私も興業の前提にはスポーツとしてのフェアネスははずせないものだと強く思っているので、そのあたり悩み続けることにします。

投稿: とみなが | 2015/11/01 15:02

>とんからりんさん
 確かに今回は一気に書き上げたせいでやや冗長になったのかな?とは訳しながらも思っていました。
 そしてロッシのサイコロのお話、とても興味深いです。冷静にサイを振れれば来年もチャンピオンを狙えるかもですね。実は私はそれも楽しみにしています。

投稿: とみなが | 2015/11/01 15:05

Davidの大作を翻訳いただきありがとうございます。自力では把握できなかったニュアンスを知ることができじっくり読みました。

今回トップライダー達が露わにしたエゴイズムを一面で断じずその多面的な人間性をひとりずつ具体的に紹介して次のレースに期待する文章でしめるDavidのライダーとレースへの深い愛を感じました。

読んでみてなぜロッシはわざわざ点火するような発言をしたのか、マルクはなぜこの反応だったのか、少しだけわかった気がします。(そしてアルゼンチン戦を見返してさらに。)

「一筋の光明」と書かれたダニの段落は読んでいてグッときました。以前、彼はシッチの件を「許すということを覚えた」という発言でその葛藤と後の受容を表現していて、そのときの経験が今回の思慮深いコメントにつながっているのかなと思いながら受け止めています。

大作を翻訳いただいたほんのお礼の気持ちを込めて気がついたTypoをお知らせします。いずれも文意は十分汲み取ることができる小さなものですが...^^
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マフィリップ
自分のの
ものにである →ものである?
すbれば
プレ不カ
最大限の経緯
彼理解→彼が理解?
ではなるが→ではあるが?
----

投稿: Akira | 2015/11/01 16:46

>Akiraさん
 ほんとうにこういう記事が読めるようになってインターネットに感謝しちゃいますね。そしてダニがますますかっこよくなってきます。

 Typoの御指摘感謝です!!今回は珍しくも紙に印刷して推敲&校正したんですが、全部自分の担当分なので、やっぱ一人で校正を完成させるのは難しいです(><)。

 まあでもお友達担当分には誤字は皆無だったのはここだけの秘密。

投稿: とみなが | 2015/11/01 23:07

お疲れ様です。
セパンの件、大変な事になってしまいましたね… セパンで起きた事は、一連の出来事の帰結です。ロッシの行動から来るマルクの転倒はロッシの意思がどうであれ必須であるという解釈には賛成です。同じ事がアッセンの件でも言えると思います。 セパンに至る、具体的には木曜のプレカンの前に起きた事は… 強烈なプレッシャーと、自尊から来たバレの勘違ぃなんでしょうか? 仮にバレのいう事が正しいとした場合、フィリップアイランドでマルクがした事の巧妙さは賞賛に値します。バレの指摘がなければ誰も疑いを持たなかったでしょうね。自分も含めてですが。 プレカンでバレを見るマルクの目に陰謀は感じなかったし、その指摘に対し混乱しているように見えました、これも真実を突かれて動揺していた…と言う逆説も作れる話ではあるんですけど。マルクがアルゼンチンで今年のチャンピオンのチャンスを失ったと言うのも、少し飛躍しているように感じます。 陰謀と言うのはありそうでないものです。ある場合はもっと分かりやすい。 自分は、今回起きた事は、まさにこの記事に書かれている通り、二人のチャンピオンの自尊とエゴが生んだ結果で、バレの勘違いがどうかはともかく、今回目に見えて起きた事が全てではないかと思い始めました。うーん。

投稿: ken | 2015/11/02 14:25

>kenさん
 まあ、長いレースの歴史の中でもなかなかの騒ぎになってるなあとは思っていますが、へらへら見ています。
 私もフィリップアイランドについてはやや被害妄想的かなあと想像はしていますが、ヴァレの非難でマルクが「じゃあやってやろうじゃんか」ってなった可能性もあるとは思いつつ、ヴァレンシアを楽しみにしています。

投稿: とみなが | 2015/11/02 23:16

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