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アライヘルメット代表取締役:新井理夫氏へのインタビュー

「君ヘルメットの値段は君の頭の値段」って誰が言ったんでしたっけ?ってなわけで私も愛用しているアライヘルメットの代表取締役、新井理夫(あらいみちお)氏の発言集をMOTO AMERICA(AMA公認ロードレースシリーズ公式より)。
ヘルメットの構造に疎い方は、このあたりを読んでからの方がわかりやすいかもです。「アライヘルメット 用語解説」アライニュース(2011年2月)(PDF)
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父は大学に行ってないんです。高校も卒業してない。東京の帽子屋の息子だったんです。で、バイクが趣味だった。麦わら帽子だけかぶってバイクに乗ってたんですよ。当時はバイク用ヘルメットなんてなかったんです。

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出典:アライヘルメット

父は良く言ってました。「俺は良いライダーだよ」。でもそんなことなかったですよ。でもバイクを愛していたのは間違いない。私もバイクを愛してます。心から好きなんですよ。

第二次世界大戦では日本の兵隊が東南アジアに行ったんですが、すごく暑い地域ですよね。熱をなんとかしなきゃならなかったのに当時はベンチレーションなんてなかった。

父はそこで新しいアイディアをつかんだんです。竹を切って編んで、その上に手ぬぐいをかぶせた。陸軍がそれを気に入って、おかげで父は徴兵されずにすみました。

戦争が終わって別の仕事を始めました。いろいろ発明が好きだったんです。作ったり買ったり売ったりだけじゃ満足できなかったんですね。最初に父がやろうとしたのは建設や鉱業労働者用ヘルメットです。防護用のものが必要だったんです。当時は建設用ヘルメットだって珍しかった。だから父はイチから作らなきゃならなかったんです。

建設や鉱業労働者用ヘルメットだけ作っていてもやっていけたでしょうね。でもまだ市場すら存在してなかったバイク用ヘルメットを作ることにしたんです。最初は建設用ヘルメットのシェルを改装して作ってました。

1940年代後半のことですね。私は小学生でしたけど、父がヘルメットを作っているのを見ていたのを覚えています。最初はキャンバスに樹脂をしみこませたものがシェルだったんです。ここでそのヘルメットを作ってたんです。建物は違うものになってますけど、場所は変わっていません。

最初はギャンブルレース(オートレース)用に売ってたんです。ダートトラックで、競馬みたいに賭けるやつです。当然クラッシュも怪我も多かった。それで父に声を掛けてくれて、それでヘルメットを供給することになったんです。日本で商売としてバイク用ヘルメットを売り始めてのは父が最初なんです。

父は化学についてはあまり知識がなかった。でもファイバーグラスに関する記事を読んで「これはいける」って言ってましたね。私は今でも父が何をやったのかよく知らないんですけど、何人かの大学の教授を訪ねていってファイバーグラス製のハーフシェルを作る方法を覚えたらしいです。それが日本初のファイバーグラス製ヘルメットですね。

父が作っていた最初のヘルメットのライナーはコルク製でした。最初に思いついたのがそれだってものありますし、それしか手に入れられなかったというのもありますね。それから発泡スチロールの記事を読んで、どうやったんだかわからないですけど、発泡スチロール製ライナーを作ってしまう。金型なんかもなかったんで、自分で作って、そのライナーをファイバーグラスのシェルと組み合わせていた。父が作ったやり方が現代のバイク用ベルメットの原型になったんですよ。

他のヘルメットメーカーとしてはベルがありましたね。ロイ・リチェッタが当時はオーナーで、良く知ってる間柄でした。父が同じ仕事を始めたのは地球の反対側で、だから最初は全然知らない相手だったんですけど、父は誰のことも真似しなかったんです。

父が始める前まではヘルメットなんてこの国では商売にならなかったんです。彼がこの産業を創始して、どんどんどんどん大きくしていったんです。

私はヘルメットと共に生まれて、ヘルメットをかぶってレースをしてます。だからヘルメットは自分の身体の一部みたいなもんですね。

より良いヘルメットを作るにはテストが必要です。テストのための機械もなかったんで父はそこから作り始めました。くずヘルメットと頭部の模型とロープでね。すごく原始的ですけど、どっちの方がいいかとかは判断できる。政府が規格を作るときにはだから父に頼ったのも当然ですね。

父はファイバーグラスを「鳥の巣」状に作ったんです。その鳥の巣を型に入れて、樹脂を流して、熱を加えて、風船で圧縮して、そうやってシェルを作ってました。これも父が始めたものです。今でも基本的にはやり方は変わっていませんね。

私はシェルに与える圧力を厳密にコントロールできればかなりの優位性を確保できると考えました。誰でも間違いなくできるようなシステムを作ろうとしたんですけど、そんな方法はどこにもなかったんです。結局ひとつひとつのシェルを丁寧に作ることしかなかったんですね。

父はレースを宣伝に使おうとしたことはなかったです。そもそもブランドの広告が必要だとも考えていなかった。でもヘルメット産業が大きくなると父もこれが商売になると考え始めたんです。

私はセミプロとして自動車レースをしてたんです。結構いいドライバーだったんですよ。今でもそうですし。でも一番にはなれないとわかっていた。それで自分もヘルメットを仕事にすることにしたんです。

父と私の違いは、私がレース好きだってことですね。競争が好きなんです。父は乗ること自体が好きだった。人生も楽しんでいました。父は幸せで健康ならOKだった。でも私は勝ちたいんです。当時アライは負けかけていた。それで父に言いました。「他の会社がどんどん大きくなってるんだから、うちも何かしなきゃいけない」ってね。そうしたら父は言ったんです。「わかったよ。じゃあおまえがやりなさい」。それが1975年のことでした。

ある日のことバイク雑誌の記者が私のところに来たんです。彼女はこう聞いた。「これからどうなさるんですか?」。彼女はベルをかぶっていたんで、私はこう言いました。「ベルを追いかけるんですよ」

バイク乗りのプロテクションにはまだまだ改良の余地があったんで、レースに参加するのが正しい道の一つだと考えたんです。国内で一番になるのは簡単でした。1年もかからなかった。日本はうちが好きにできた。みんながうちを認めてくれるようになったんです。それで海外に出ることにしたんです。

最初にアライヘルメットを使ってくれたのはテッド・ブーティーJr.でした。最初に彼に会ったときにはまだ18歳でしたね。彼は「おお、これフィット感がいいね!」って言ってくれたんです。それで契約を交わして、彼はうちのヘルメットでの最初のレースで勝ってくれた。あれはヒューストンのアストロドームでしたね。今でも「アストロ」って商品名を使っています。

自然というものを信じているんです。自然にはいろんなヒントが詰まっている。ヘルメットは卵のように丸くなければいけないと考えています。だからシェルをデザインするときには頭の形に沿っていないと気持ちが悪い。それが正しい方法だと考えています。

別に卵の形を真似しようとしてるわけじゃなくて、もっと被り心地のいいものにしたいんです。心地もいいし、プロテクションもいいものですね。その結果として卵形になってるんです。自然を参考にすると結果がついてくるってことですね。

ビジネスというのは競争です。勝てなければビジネスからはじき出されてしまう。ビジネスを続けるには利益を出さなければならない。もちろんお金はほしいですけど、もっと大事なのはプロテクションの面で他社に勝つことですね。

帽体のシェイプを替えないまま規格に合わせているんですが、これは他社がやってないことです。うちが大事にしている「衝撃を逃す」という性能を維持するためには、部位ごとに積層の特性を厳密に変えていかなければならないんです。

ファイバーグラスのシェルの形を変えないまま規格に適合しつづけていくのはかなりたいへんですよ。部位によって要求される特性が変わるわけですから。それに基本形を変えないで快適性も維持するためには、これまた部位によってライナーの特性を変えなければならない。

スネル財団のスニーヴリー博士(訳注:ヘルメットの国際規格であるスネル規格を作っているスネル財団の創始者の一人)のことは本当に尊敬しています。彼は根性がある。スニーヴリーがいなかったらスネル規格はなかったでしょう。

すべてのシェルにできる限りの力を注ぎ込みたいとかんがえているんです。それが一番優先すべきことです。うちは特製のシェルは作らないんです。最初からうちは常に最高のものを目指しているんです。

新型モデルがプロテクションを犠牲にしてたらそんなのは進化とは呼べません。小さなことをひとつひとつ積み重ねていくこと。それがアライの歴史なんです。

私たちの目標は最高のプロテクションです。それがアライの基本なんです。私たちはいいヘルメットをつくるために存在しているんです。
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こちらの日本二輪車普及安全協会によるインタビューもぜひ!10の質問への答えがいちいち素晴らしいです!!

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