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愚者と勇者は紙一重

途中から雨が降り出すという難しい展開の中、なぜマルケスがとっととタイヤを替えなかったか、そのライダー心理に迫る記事をMat Oxley氏がMotor Sport Magazineに寄稿していますので訳出。
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判断、判断、判断・・・。レーサーは1レースの中で何千回もの判断をしなければならない。そしてそのすべてが勝者と敗者の分水嶺となるのだ。時には生死を分けることさえある。

後知恵が許されるなら、マルク・マルケスは明らかに間違った判断をしたと言える。スペインの雨がアラゴン平野を洗い流している最中にスリックで走っていたのだ(→文末訳注1)。しかしもし彼がクラッシュしないでレインタイヤをはいたライバルの前でフィニッシュしていたらどうだったろう?他の誰にもできないのに彼だけがグリップを得ていたことに驚愕したに違いない。見出しは間違いなくこうだろう。「彼は湖の上を歩いた」(→文末訳注2)

レースでは、特にドライなラインがどんどん狭くなってくときには、英雄と愚者の境もどんどん狭くなっていく。もちろん誰もがそんなことはわかっているのだが、しかし2000年のドニントンパークで開催されたイギリスGP250ccクラスのラルフ・ヴァルドマンほどそれを鮮やかに証明してみせた者はいないだろう。レースがスタートしたときは雨がポツポツと断続的に降っている状態だった。グリッドはパニックに陥り、タイヤやスパナがあちこちで飛び交っていた。ほとんどのライダーがフロントにレイン、リアにインターミディエイト(訳注:カットスリック)を選んでいた。レーサーとて、普通の人間と同様に羊のごとし、なのである。何人かがある方向に行けば、皆それについていくのだ。

しかし2列目のヴァルドマンはフロント、リアともにレインを選んでいた。この時点では彼は愚者であった。レースがスタートしコースが乾いていくにつれヴァルドマンは後ろに下がり、トップを走っていたオリヴィエ・ジャックにラップ遅れにされそうになっていたのだ。なんという馬鹿者だろう。

そして再び雨が降り始めた。ヴァルドマンはすぐにコース上で最も速いライダーとなる。彼が最終ラップに入った時にはまだトップから7秒も遅れており、最終のヘアピンでもまだずいぶんな差があった。しかしレインタイヤが彼に駆動力を与えてくれたのだ。彼はすばらしい加速でジャックを抜き去り、結局0.3秒差で勝利をおさめることとなった。

ヴァルドマンはそれまで何年も不法な運命の矢に苦しめられてきた。1992年には彼は125ccクラスで大差をつけてランキングトップに立っていたにもかかわらず、彼のメカニックがピットレーンで殴り合いを始めるほどになってしまい、結局トップから陥落してしまう。2000年のドニントンではすでにタイトルの望みはなく、逆張りをする余裕があったとも言えよう。

レースが、ヴァルドマンは疲れ切った顔に笑みを浮かべてこう言った。「レインタイヤでレースを始めた時点では僕は愚者でしたね。でも雨が降り始めて勝つことができた。勇者ってことですよ。つまり愚者と勇者は紙一重ってことなんです」

マルケスが日曜にやったのも同じことだ。レース後彼はこう言っている。「赤に全部を賭けたのに黒がでちゃったんです」。状況がひっくり返るのはかくも簡単なのである。

トップレーサーというのは本質的に楽観主義者である。巨大な自信に裏打ちされ、我々のような普通の人間が一顧だにしないようなことにトライするのだ。しかしそれだけが理由ではない。ライダーがトップスピードで熱せられたスリックタイヤで走っている時に雨が降り始めると、特有の問題が発生するのだ。タイヤはまだ熱く、濡れた路面でもうまく走れてしまうのである。そこでライダーは思ってしまう。「わぉ!グリップがあるじゃん。これはいけるね」と。

もちろん少しはペースを落とす。ブレーキも少しだけ柔らかく、スロットルを開けるときも少しだけ気を遣う。同時に水分が路面から熱を奪っていく。そしてライダーが動作に気を遣い始め、路面が冷えることでタイヤの温度は徐々に低下していくのだ。

スリックタイヤがまだグリップしている一方で雨は続く。ライダーは勇気を振り絞って速さを追求する。ピットサインに目をやり、気が狂ったように計算を始める。もし残り5周で、ここまでタイムが落ちていたらスリックで走り続けるよりピットに戻ってレインタイヤをはいたスペアマシンに乗り換えた方がいいのではないか?ピットに入ってマシンを替えてコースに戻るのに25秒のロス。そしてマルケスは走り続けることにした。時速350kmで走るマシンで悪夢との境の綱渡りをすることにしたのだ。しかも後ろからはチームメイトのダニ・ペドロサが追いかけてくる。その間にも頭の中では足し算、引き算、かけ算、割り算がめまぐるしく行われている。

彼がそんなことをしている間にも雨は強くなり、彼はさらにペースを落とす。スリックタイヤの温度はさらに低くなる。そしてついにグリップできない温度まで下がってしまう。それだけではない。スリックタイヤが冷えると予告無しに災厄が訪れるのだ。マルケスのようにレース界最高の反射神経を持つライダーでもこれには対応できないのである。

23周で争われるレースの15周目。マルケスはスピードを落とすことはなかった。ラップタイムは1分49秒台。自分のシールドに雨滴がついているのに気付いていたにもかかわらずだ。しかし次の周は1分54秒台、そして1分57秒台とタイムを落としていく。そしてアレイシ・エスパルガロがピットに入ったのを皮切りに、ぞくぞくとピットインするライダーが現れ始める。マルケスはレインタイヤでのタイムはドライのスリックに比べて1ラップあたり5〜8秒の遅れだと計算する。これならいけそうだ。

18周目、つまり残りわずか5周となったところでマルケスは2分3秒台にペースを落とす。しかしまだ彼がコース上で最速だった。19周目にはペドロサからトップを奪う。それでも彼のタイムは2分8秒台にまで落ちていた。そして次の周、雨が路面を強く叩き、ペドロサは1コーナーでブレーキに触れただけで転倒してしまう。トップを走るマルケスのわずか2mほど後ろで起こったことだ。

トップに立ってしまったのがマルケスの最初のミスかもしれない。もし彼がチームメイトの後ろを走っていればペドロサのクラッシュを見てピットに入ることにしたかもしれない。それがロレンソのしたことだ。ペドロサが彼の後ろに滑っていくのを彼は見ることができたのだ。レースには昔からこんな金言がある。「コンディションが変わりつつあるときにトップに立ってはいけない。ウェットパッチに真っ先に突っ込まなければならないからだ」

グリップは急速に失われ、慎重になったマルケスは20周目を2分15秒台まで落とす。しかし彼はロレンソがピットに入ったことでリードを広げることができた。残り3周で24秒のアドバンテージを稼いだのである。

彼ができたのはそこまでだった。21周目の2コーナー進入でマルケスはフロントから転倒してしまう。決してハンドルから手を離そうとしなかった彼はグラベルにそのままマシンと滑っていってしまった。

その時点でまでは彼は正しい判断をしていたのだ。まあ後知恵だが、彼の最大のミスはラップタイムの計算にかまけて避けようのないクラッシュの可能性に思いが至らなかったことであろう。マルケスはタイヤから超自然的なグリップを感じていたのかもしれない。しかし感触と実際にコントロールできるかどうかは別の話である。たとえそれがマルケスであってもだ。

正しい判断は瞬時に間違った判断になってしまうものだ。彼は勇者から愚者への細い線をまたいでしまったのだ。レプソル・ホンダの誰かが彼にタイヤを替えるよう命じるべきだったのか?マルケスが転倒したとき、彼の師匠であるエミリオ・アルサモラとチーフメカのサンティ・エルナンデスがピットで口論していたのを見たが、しかし誰が何について怒っていたというのか?レース後、アルサモラは何も話していなかったと言った。良いチームの例に漏れず、マルケスのスタッフも困難な時に当たっては結束を強めるのだろう。

いずれにせよ、どれくらいのグリップがあるかはライダーにしかわからない話だ。決めるのはライダーでなければならない。命と身体を危険にさらしているのはライダー自身だからだ。これはピットと無線でつながりカーボンファイバーの安全装備で囲まれたフォーミュラ1とは違うのだ。

ミサノとアラゴンでのマルケスのミスは大きなポイント差があってこそだろうと思う。ミサノでは彼は勝つためにすべてを犠牲にした。地元アラゴンの大観衆の前でタイトルを獲得する権利を得たかったのだ。彼はファンの前で勝ちたいからリスクを冒すことも厭わないと公言していたのだ。別の言い方をすれば、ランキングで大きな差をつけているからこそ、考えなくてもいいことを考えてしまっているのかもしれない。しかしだからこそマルケスは尊敬されるべきなのだ。彼は何を犠牲にしてでも勝ちたいという気持ちを持っている真のレーサーなのだ。

ミスを2回続けてしたにもかかわらず、かれは残り4戦で75ポイントのリードを保っている。つまり残り4戦で25ポイント稼げればタイトルが獲得できるということなのだ。天才少年は次の1〜2戦はもっと慎重になるだろう。まあタイトルが決まるまでのことだろうが。
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【文末訳注1】もちろんThe Rain in Spain Stays Mainly in the Plain. です。
【文末訳注2】マルコによる福音書6:48。つまりイエスになぞらえるってくらい。
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ヴァルドマンが勝ったレース、まだ覚えています。大笑いしながら彼が追い上げてくるのを観ていました。

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コメント

愚か者と勇者は紙一重
素晴らしい題名だけど、僕は肯定はできないな。
彼は、湧き上がるアドレナリンを抑える事ができなかったのではないでしょうか。
これがレース序盤や中盤で雨が降っていたら、マルケスだって迷わずマシンを替えていたでしょう。
ここはやはり、残り数ラップという極めて微妙な状況の中で、アドレナリンを殺し客観的に判断し行動に移せたホルヘを賞賛すべきだと思います。

投稿: motobeatle | 2014/10/04 11:39

>motobeatleさん
 そこが紙一重なんですよ、きっと。マルケスがあのまま勝っていたら伝説になったでしょう。でもロレンソの判断の素晴らしさも際立ってましたね。

投稿: とみなが | 2014/10/04 19:04

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