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技術オタクとレース好き

バイクレースのファンにはどんな種類があるか、そしてそれぞれを満足させるには、というお話。CycleNews.comより。なかなか刺激的論考なので訳出。
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MotoGPをこれほど魅力的にしているのは何なのだろう?みたこともないようなハイテクマシンか、それともスターライダーか。ファンごとにそれぞれ意見はあるだろうが幸いなことにMotoGPはその両方を兼ね備えている。完璧な商品パッケージなのだ。まあオープンクラスマシンにはオープンクラスにはプロトタイプマシンにあるようなハイテク技術が盛り込まれているわけでないが、それでもそれなりの魅力はある。そしてヴァレンティーノ・ロッシが引退したら誰がその穴を埋めるのだろうかといらいらし始めている人のためにマルク・マルケスが登場した。

確かにファンにはいろんな種類がある。しかし大まかに二つに分けることができるだろう。技術オタクとレース好きだ。

技術オタクというのはその名の通りである。人類が到達した最高技術にこの上なく惹かれる人種だ。彼らが好きなのは最高のマシンであり、その技術が解き放たれる様子が見たいのである。技術制限はすべてゴミでありタイヤ戦争を待ち望んでいる。レース自体は宿題に全力をつくして取り組んだチームが結果を出してご褒美を得るためのものにすぎない。激しい競争のために条件をそろえるなど考えもしない。つまり技術オタクハードコアなモータースポーツファンは、5人のライダーがトップ争いをしようが気にしない、一人のライダーが10秒差で独走してもかまわないのだ。最高の技術の集まりのMotoGPという現場でもさらに抜きんでたものが勝つのを見たいだけなのだ。勝利がたとえ一人のライダーに集中しようとかまわない。何人ものライダーが勝利を目指して戦う状況・・・、まあそれはボーナスみたいなものだ。

技術オタクはとにかく複雑なものが好きだ。特にルールに関してはそう言える。ルールを見るだけで1シーズンを過ごすことができる。誰がレースをするかなぞ関係ない。もしハイテクマシンを殺すような権力がのさばると彼らの興味は急速に消えていく。そこでレース好きに転向できればいいのだが。

一方でレース好きをカジュアルなファンと呼ぶのは少々不公平だろう。彼らが狂信的になることもあるからだ。彼らの興味の対象はライダーであり、時にはメーカーのファンであったりもする。彼らはルールには興味を示さない。ただし「私のライダー」がそのルールのせいで不利にならない限りだ。誰もが競争の激しさだけを楽しみにレースを見ているわけではない。普通は誰かを応援するものだ。誰か自分の代理人がほしいのである。それがレースを見て、録画して、チケットを買って、雑誌を読んで、Tシャツまで買う動機なのだ。もちろんマシンのことも好きだが、技術的に後退しようがそれで興味が失われることはない。

さらに彼らは地滑り的に決まってしまい一人のライダーが支配するようなレースは嫌いである。まあそれが彼らのお気に入りのライダーでなければだが。だからレース好きは接戦が好きでもある。エンターテイメントを求めているのだ。そういうファンはお気に入りのライダーが引退したり勝てなくなったりすると興味を失ってしまうことがある。それに替わる新たなレース界のヒーローを見つけられなければ間違いなくそうなるだろう。

どちらかが間違っているのだろうか?もちろんそんなことはない。それぞれに意味はあるし、頭の働くプロモーターならどちらも大事にするだろう。ハードコアなファンを排斥したくはないだろうが、幅広いファンを獲得するチャンスを捨てるのも得策ではない。

ロードレース界では技術オタクとレース好きの興味を両立させるのは極めて難しい。この経済状況が厳しい時代にあってはなおさらだ。息を呑むほどの凄いマシンをグリッドに並べるほどには経済的には豊かではない、つまり景気後退局面では両者のバランスをとるために様々なルールが試験的に導入されることになるのだ。ハードコアファンが離れないようにしつつグリッドを埋めなければならない。そしてハードコアなファンというのは、それだからこそ/それにもかかわらず、少数派にとどまっているのが現実だ。同じことがメーカーに対しても言える。メーカーというのは要するに真の技術オタクの集まりなのである。彼らは勝つためにかなりの資金をつぎこんでいる。技術的後退には全く興味がないのだ。ただしお金に困れば別の話になるが。

MotoGPはワールドスーパーバイクや米国スーパーバイクシリーズと比べてうまくやってきた・・・かもしれない。ワールドスーパーバイクでは素晴らしいレースが展開されているし技術的にも観るべきものはあるが、特に米国ではMotoGPほどには注目されていない。ジェフ・メイやアーロン・イェーツやEBRチームには申し訳ないが、要するにアメリカ関連チームがトップ争いをしていないせいもある。

ワールドスーパーバイクには素晴らしいキャラクターの持ち主がいるのも確かだが、スター性には欠ける。もしヴァレンティーノ・ロッシか(まあ2016年までMotoGPの契約を結んでしまったのでもし実現するとしても先の話だが)ニッキーヘイデンが走ればまた状況は変わるかもしれない。

スーパークロスでは注目が集まるのはライダーだ。確かにひいきのメーカーを持っているファンもいるが、古典的な意味でのワークスバイクが参戦しているわけではないので技術オタクの入る余地はあまりないのだ。技術オタクがファンとしてついているなら、きっと彼らはワークスマシン未満のモトクロスバイクに不満たらたらだろう。

スーパーバイクでもルールについては議論があるが、まああまり語られることはない。実際議論になるのはライダーについてだ。それがスーパークロスの中心だからだ。

スーパークロス関連のネットのスレッドを見れば、厳しいこきおろしはライダー関連のものばかりである。技術的な発展を阻害している主催者に対するコメントはほとんどない。そしてスーパークロスが成功していることを考えればワークスマシンがなくても大丈夫だということがわかるだろう。スターがいて、そのプロモーションも充分機能しているのだ。

さらにスーパークロスではロードレースに比べて見応え重視となっている。そのおかげでカジュアルなファンを引きつけ、そしてそのまま引き留めておけるのだ。レースはスタジアムで開催され、オープニングセレモニーは花火とレーザーショーで彩られる。そこまでやって失敗するわけがない。マノロ・ブラニクの靴を履き、ルイ・ヴィトンを抱えた、どう考えても技術オタクとは程遠い妹を初めてレースに連れて行ったのはサンディエゴのスーパークロスである。オープニングセレモニーでは花火とレーザーの中、フリースタイルモトクロスライダーのトラヴィス・パストラーナがバックフリップでフィニッシュラインを越えていった。こんな素晴らしいレース初観戦があるだろうか。彼女にロードレースに行かないかと誘ったとき、彼女はこう言った。「で、花火はあるの?」

オーケイ。誰でもついてきてくれるわけではない。しかしロードレースにもレース好きのファンが必要なのだ。花火を除けば、こうしたファンを惹きつけるのはライダーのキャラクターである。レースファンは技術オタクではないのだ。

ではもしMotoGPのトップスターえあるロッシやマルケスやロレンソやペドロサをスクーターに乗せてレースをさせたらどうだろう。ハードコアなファンはそっぽを向くだろうか?たぶんそうではないだろう。しかし彼らは徐々に立ち去って行くに違いない。
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確かにねえ、スクーターレースがGPになってもなあとは思いますよ。昔のテレビ東京の番組みたいな感じで、余興としては見てみたいですが。

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コメント

興味深い論考です。
ここでは両極端な嗜好の人物を想定しているようですが、実際にはこの2つの要素を兼ね備えている人が多いという印象です。
日本では比較的マイナージャンルなので、そのせいかもしれませんね。
最高にクールでホットで若干うざい、それこそが2輪モーターレースファンだと思います。

投稿: りょうじ | 2014/08/28 07:46

>りょうじさん
 確かにみなさんこの間に位置するんでしょうね。私も技術も大好きバトルも大好きですから。でもバトル優先かな。

投稿: とみなが | 2014/08/30 13:27

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