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最終戦決着の歴史

MotoGP公式サイトがおもしろい記事を載せています。歴史のお勉強をどうぞ。
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1949年に世界GPが始まってから最高峰クラスでの最終戦決着はこれまでに15回あった。その歴史を振り返ってみよう。

1950年:ホームレースとなるモンツァの最終戦で4気筒ジレラに乗るウンベルト・マゼッティは単気筒ノートンを駆るジェフ・デュークに対してわずかのポイントリードしか持っていなかった。勝ったのはデュークだったが、2位に入ったマゼッティが1ポイント差でチャンピオンとなった。

1952年:再びウンベルト・マゼッティがわずかのリードを保ったまま最終戦に突入した。今度の相手はMVアグスタのレス・グラハムとノートンに乗るアイルランド人レグ・アームストロングだった。グラハムがバルセロナ近郊のモンジュイックサーキットの48周を制したが、ここでもタイトルを獲得したのは2位に入ったマゼッティだった。

1957年:リベロ・リベラティ(ジレラ)がモンツァの最終戦を制しボブ・マッキンタイヤとのタイトル争いに決着をつけた。リベラティはベルギーGPでトップでチェッカーを受けたものの、オフィシャルに無断でマシンを交換したことで失格となっている。シーズン終了後にリベラティがやはりベルギーGPの勝者であると裁定が下ったことで、実際にはイタリアの最終戦前にタイトルが決定していたことにされた。

1966年:史上最大の二人のライバル、マイク・ヘイルウッド(ホンダ)とジャコモ・アゴスチーニ(MVアグスタ)による激しい争いが最終戦モンツァで繰り広げられた。2人は序盤激しい争いを展開したものの、結局ヘイルウッドのホンダが失速、アゴスチーニは悠々とゴールし8回の500ccクラスタイトルの1回目を獲得したのだった。

1967年:前年と同様にヘイルウッドとアゴスチーニが最終戦までチャンピオン争いを繰り広げた。こんどの舞台は史上唯一のカナダGPである。ヘイルウッドは優勝しポイントではアゴスチーニと並び、さらにどちらも5回の優勝を飾っていたが、2位が2回だったヘイルウッドに対して3回の2位を獲得しているアゴスチーニがチャンピオンとなった。

1975年:アゴスチーニは再びイギリス人ライダーと戦うことになる。こんどの相手はアゴスチーニの跡を継いでMVアグスタのナンバー1ライダーとなり前年、前々年とタイトルを獲得しているフィル・リードだ。リードは最終戦ブルノを制したものの、その年はヤマハに乗っていたアゴスチーニはリードから1分以上遅れの2位でゆっくりとフィニッシュしタイトルを獲得した。2ストロークと4ストロークの両方でチャンピオンとなったのはこのときの彼が最初である。

1978年:ケニー・ロバーツ(ヤマハ)がわずか8ポイント差でバリー・シーン(スズキ)をリードして22kmのニュルブルクリング旧コースの最終戦に臨むこととなった。ロバーツはシーンの直前の3位でフィニッシュし、最高峰クラスでタイトルを獲った最初のアメリカ人ライダーとなった。

1979年:再びケニーロバーツがスズキのライダーとタイトルを争うこととなった。この時の相手は若いイタリア人ヴァルジニオ・フェラーリである。最終戦の舞台はルマンサーキット。序盤ではリードしていたフェラーリだったが転倒し、結局ロバーツが連覇を飾った。

1980年:3年連続してスズキのライダーがケニーロバーツに挑んだこの年、乗っていたのはアメリカ人のランディ・マモラで、舞台はニュルブルクリングの旧コースだった。これを最後にこの有名なコースでのグランプリは幕を閉じることとなる。マモラが序盤でリードしたものの、ロバーツはタイトル獲得のためには8位以上でフィニッシュすれば良かった。マモラの挑戦はメカニカルトラブルにより水の泡と消えた。

1981年:2年連続してマモラが最終戦、スウェーデンのアンダーストープまでチャンピオンの権利を残すこととなった。ランキングトップのマルコ・ルッキネリは5位以上でゴールすればマモラが優勝してもタイトル獲得となる状況で行われたレースは軽い雨が降るという難しいコンディションで、結局序盤でリードしたマモラがじわじわと後続に巻き込まれ、ルッキネリが9位でタイトルを獲得した。

1983年:フレディー・スペンサー(ホンダ)がケニー・ロバーツ(ヤマハ)に5ポイントの差をつけて最終戦にもつれこんだ。このときは前戦スウェーデンでのスペンサーを優勝に導いた最終ラップの追い抜きが議論を巻き起こしていた。イモラの最終戦、ロバーツはスペンサーを抑えながらチームメイトのエディ・ローソンが追いついてスペンサーを抜くのを待ち続けたが結局スペンサーは2位を獲得し、ホンダに初めての500ccチャンピオンをもたらすこととなった。

1989年:再びアメリカ人ライダーがタイトルのかかった最終戦に臨んだこの年はエディ・ローソン(ホンダ)とウェイン・レイニー(ヤマハ)の争いだった。レイニーは第2戦から残り3戦となるスウェーデンまでランキングトップにいたがクラッシュしリタイヤしたことでローソンは十分な差をつけてブラジルはインテルラゴスの最終戦にやってくることとなった。ローソンはレイニー、そしてやはりアメリカ人のケヴィン・シュワンツ(この時の勝者)と激しい争いを繰り広げ、2位でゴールすることでチャンピオンを獲得した。

1992年:序盤で大きくリードを広げたミック・ドゥーハン(ホンダ)は第8戦アッセンのプラクティスで負った怪我に苦しんでいた。そしてこのときまでに65ポイントあったウェイン・レイニー(ヤマハ)とのポイント差は残り2戦でドゥーハンが回復とは程遠い状態で復帰したときには、かなり削り取られており、結局最終戦南アフリカのキャラミでは2ポイント差にまで縮まっていた。ドゥーハンは力を振り絞り6位に入ったものの、レイニーは3位でゴールし4ポイント差でチャンピオンとなった。最終戦時点で点差で劣るライダーがチャンピオンとなったのはこれが初めてである。

1993年:厳密にはケヴィン・シュワンツ(スズキ)とウェイン・レイニー(ヤマハ)のタイトル争いは18ポイント差で最終戦まで持ち込まれたわけだが、実際にはシュワンツは2戦前のイタリアGPでレイニーが引退に追い込まれたクラッシュを喫した時点でタイトルは決定したと言える。

2006年:ヴァレンティーノ・ロッシ(ヤマハ)はニッキー・ヘイデン(ホンダ)に8ポイント差をつけて最終戦に臨んだ。この時優勝したのはセテ・ジベルノーの代役のトロイ・ベイリスで、2位には同じドゥカティのロリス・カピロッシが入ることでドゥカティに初の1-2フィニッシュをもたらした。ヘイデンは3位に入り、990cc時代の最後のチャンピオンとなっている。ロッシは5周目で転倒し、最終的に13位でフィニッシュした。
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2006年はその前にペドロサがランキングトップのヘイデンに接触、ヘイデンが転倒ノーポイントというドラマもあったんですよねえ。いずれにしても楽しみ楽しみ。

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