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忘れられない7月:ケヴィン・シュワンツのコラム

今年の8耐を強力なおっさんホイホイにしたケヴィン・シュワンツがコラムを寄稿してます。SuperbikePlanetより。
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前回のコラムからずいぶんあちこちまわったんだけど、やっと家に帰ってきたよ。おかしな話だけど時差ボケを治すのに1週間かかった。夜の2時に目が醒めて、そこから眠れないんだ。だから1日中ぐったりしていたよ。やっと回復したのはここ2〜3日だね。昔は24時間で回復できたのに。

7月はすごい月だった。日本でテストして東京からロンドンに12時間かけて飛んでグッドウッドに行ったんだ。火曜に東京を発って水曜にロンドンに到着。グッドウッドで忙しい3日間を過ごしたよ。木曜日になってやっと荷物の確認ができたくらいでね。グッドウッドは2〜3万人来てたんじゃないかな。すごかったよ。駐車場もいっぱいだったし、日曜に何人来たのかは聞いてないけど、4日間で15万人くらいじゃないだろうか。2輪、4輪に限らずみんな熱狂的だったし。

グッドウッドでは93年と94年のRGVに乗ったんだ。

日曜までグッドウッドにいて、月曜に空港に戻り今度はロンドンからサンフランシスコへ行った。火曜にモントレーでカルメロ・エスペレータに会ったんだ。その後車に飛び乗ってサンフランシスコに戻って水曜にはビザをとるために日本大使館が開くと同時に飛び込んでね。

日本に行くのにビザをとるのがぎりぎりになったんで、サンフランシスコの日本大使館は新設とは言えなかったね。「三日もかかるのかい?水曜、木曜、金曜ってあるのに?」って叫んじゃったよ。

「すみませんがご自宅にいちばん近い大使館でお手続きをしていただくことを想定しているんです」って言われたんで「これから20日は帰らないし、もう20日も帰ってないんだ」って言ったら、「それはこちらの関知するところではありません」ってさ。

それでもなんとか書類を書いたらうまいことにモータースポーツファンの大使館員がいて、僕の名前を見るなり「ああ、大事なレースですよね。あなたはすごく有名だし。でも私に決定権はないんです。すみませんがキンコーズに言ってレース関連の記事をコピーしてきていただけませんか。それであなたがどれくらい有名で日本で何をしてきたかわかるようにしていただければ」って言ってくれたんで、その通りにしたんだ。

その後ダグ・チャンドラーの新しい自転車屋「DC10」に行って、水、木、金と乗れるようにスコットの新型27.5インチのマウンテンバイクを買って、土曜日の夕方にはそれを戻してテキサスに送ってもらった。鈴鹿に向けて少しでもトレーニングをしておきたかったんだ。それで日曜もまた飛行機さ。

土曜日はラグナに行ってe−bayで落札したカル・クラッチローのツナギをゲットしてきた。旧友で今はヤマハのボブ・スターが神経質そうにステージ上の僕にマイクを渡してくれた。みんな僕に「そのツナギをどうするつもり」って聞いてきたんで、僕は答えたんだ。「スズキは15年にカムバックするでしょ。だからカルのツナギのサイズを測っておかなきゃと思ってね」

みんなの反応はすごかったよ。他にも鈴鹿8耐やGPについて話して、あんまりレースを見る時間はなかったね。

その後はコークスクリューのてっぺんにあるヘニー・レイ・アダムスの記念煉瓦を見に行った。彼がいなくなって悲しく思う。

それから日曜には日本に戻って月曜に到着。普通ならサンノゼからでもサンフランシスコからでも東京なり名古屋なりに直接行けるのに、今回はチケットが無くって、羽田に飛んで一泊して火曜に鈴鹿に向かったんだ。

それまで自分が着るツナギは見てなかったんだよ。ダイネーゼがD-Airシステム付きのツナギを作ってくれていたい。でもヘルメットもその時点では手にしていなかったんだ。だから街着しかもっていなくて、ちゃんと装備が来ていればいいなと思っていた。ありがたいことにちゃんとみんなそろっていて、アライヘルメットもショウエイヘルメットもちゃんとあったよ。どちらの会社にも大感謝だ。

木曜はプラクティスだったけど、1日中雨だったんで乗れなかった。テストの時にもレインのテストが十分できていなかったからね。夜間プラクティスでも雨で路面はどんどんウェットになっていった。日中のプラクティスではドライだったんで、リスクを避けたかったんだ。芳賀も僕も来たばっかりで金曜、土曜と乗る時間は充分あったしね。

鈴鹿でクラッシュするとどんなことになるか一生懸命思い出そうとしたよ。あれは200kmレースの時でTT-F1クラスでホンダの徳野と競っていてころんだんだった。あの時転んだのは今回、金曜のプラクティスで転んだのとほとんど同じ場所だったね。あと転んだのはガードナーと競っていた最終シケインだった。あの時は結局3位に終わってしまった。

カムバックするのは楽しかった。カムバックすること自体やライディングについては心配することはなかったけど、チームメイトをがっかりさせることだけは避けたかったね。だから彼らのタイムをしのぐことはできなくても、とにかく速く走りたかった。彼らは基本11秒台で、10秒台でレースすることもできたんだ。僕のラップは12秒台で、周回遅れに絡むと13秒台とか14秒台になってしまった。でもマシンにまたがってみると、このマシンで耐久を走るのはなかなかたいへんだなとは思ったんだ。でもこれって最初の国際レースに出たときのような緊張感だったんだよね。僕はよくスクールで言っていた。「自分が夢見ていたレースに出るとき、スタートラインに立って緊張しないわけがない。だって待ち望んできたことだし、自分が何事かなしとげようとしてるんだから」つまりはそういうことなんだ。

まあいずれにせよ何もかもがうまくいった。20周のスティントをうまくこなせたし、最初の1〜2周のことだったと思うけど、モリワキがバックアップするホンダの104番と競ることもできたしね。乗っていたのは22歳の子どもだった。彼には月曜の撤収の時にライダーズラウンジで会ったんだ。英語は苦手みたいだったけど、通訳さんによれば、僕とレースができて楽しかったってことだった。走行ラインが彼が思っているのとずいぶん違ったらしくて、いい勉強になったって。「生徒さんはあそこまでできないでしょうね」とも言っていた。素敵な体験だった。まるで僕がレースを始めた頃みたいに彼は緊張していたんだ。

彼は抜き合いについて僕がちょっと怒ってると思ったのかな。ピットイン直前にバックストレートで絡んできて、僕が130Rに入ろうとしたときにインに彼がねじこんできたんだ。確かにちょっと驚いたよ。でも僕が22歳の時なら絶対やったようなことだったしね。あるラップではダンロップコーナーでいっしょになって、サイドバイサイドで飛び込んでいった。彼は言ったよ。「あれは僕の中でも最高の出来事でした」ってね。

そういうのはすごく楽しいんだ。前に人参がぶらさがっているようなものだからね。彼がやってきたときには「あのマシンは知ってる。ライダーもわかってる。絶対逃がさないぞ」って思ったんだ。周回遅れが絡んできて彼と一緒に走っているとき、自分の実力以上に速く走れたんだよ。誰かが後ろにいたり、自分が誰かを追いかけているときは本当に楽しめるんだ。

8回のピットインで、芳賀と加賀山は4回ずつ走って、僕は1回しか走らなかったけど、それでも彼らの助けにはなったと思う。3時間か4時間後にはポジションも安定してきたけどヤマハやスズキ耐久チームと争っていたし、前にいたヨシムラのチームもピットレーン速度違反と転倒というミスを犯していて、それでもトップを狙っていた。だから僕らもできるだけ上を狙いたかったんだ。

最終的に去年のチャンピオンのスズキ耐久チームを破ったのは大きかった。芳賀が戻ってきて加賀山が最後に出て行くのを見送って、3位でフィニッシュするのを目の当たりにするのは素晴らしいできごとだった。残念ながら芳賀は点滴を受けるためにライダーズラウンジにいたんだけどね。もう息をするのもやっとだったんだ。表彰台に向かうときには「どうか彼が回復して売れますように」って祈ったくらいだった。

ライダーが3人いてもハードなレースだ。僕がもう1スティント走っていれば芳賀もあそこまで消耗しなかったろう。最終スティントは少しは楽だしね。でも肉体的というより精神的に今年はきつかったと思う。残り30分を残した7時に雨が降り出したからね。大雨にはならなかったけど、場所によっては相当ウェットだったみたいで、でも無条件にレインタイヤにするほどではないという難しいコンディションだった。僕らとスズキ耐久チームはレインにしたけど、ホンダはそのままだった。ヨシムラもレインにするつもりだったのかもしれないね。そうなればみんな同条件で争うことになったろう。でも結局スタートしたときと同じポジションでゴールしたんだ。ヨシムラが2位、スズキ耐久チームが4位だった。

本当にいいイベントだった。ファンもすごいしね。いつも言ってるけど日本人は本当に礼儀正しいファンだよ。でも別の日には嫌な面も見てしまった。僕にとは限らず誰かにサインをもらおうとして人を押しのけたりしてたんだ。ちょっとびっくりしちゃったよ。ライダーズラウンジでコメントしたとおり、これまでそんなファンはいなかったし、なんか変な意味で西欧化しちゃったのかな。まあ加賀山が運転するトラックにも乗ったけど、彼の運転もある意味西欧化していたからね。笑いながら前の車の前に車線変更したりね。僕は言ったよ。「アメリカとの違いはドライバーがどっちの手を外に出すかだけだね」まあ、指か銃かってとこで。

とにかく楽しかった。加賀山のチームにとっては初の8耐で、しかもすべてがうまくいった。プラクティスや予選ではちょっとした問題もあったけど、日曜はピット作業も完璧だった。最速クルーというわけではなかったけど20秒も30秒もかかるようなミスは無かったし。就臣も彼のチームも本当のプロだったね。毎回ピットストップでは見事な作業を見せてくれた。最後のストップでは彼らをこう言って応援したんだ。「がんばれみんな。これで最後のピットストップだから最後に見せてくれよ」

でも加賀山がレインに履き替えることにしたんで、もう一回言わなきゃならなかった。「いやもう一回あったね。あれが最後だとおもったんだけど」

芳賀も加賀山もスーパーマンだ。4時間をすごいペースで走ったんだからね。あの炎天下の中をだよ。芳賀はまたレースがしたいだろう。まだ全然衰えてはいないんだから。

加賀山は煙突みたいにタバコをすう。「タバコで栄養補給してるんだ」ってさ。おいおい・・・。マシンを降りてクールダウンして、またツナギを着て走る。本当に凄い奴だ。

プレスには何度も「来年も走るか」と聞かれたけど、実際のところはわからないんだ。今年は本当に楽しめたし来年にも備えたいけどね。電子制御の入ったビッグバイクにもっと乗って、速く走るために何をすべきかを学ばないといけないね。まあそいう言うと「来年も走るんですね」って言われちゃうけど。

本当にまだ決まっていないんだ。21年振りのカムバックで3位に入れるなんて、本当にあのチームはすごかったよ。

スズキGSX-R1000のパフォーマンスもすごかった。加賀山のチームが本当によくやってくれたんだ。ダンロップタイヤも常に安定していたよ。ポール狙いのラップだけの話じゃなくて、スティント後半でも誰よりも安定していたと思う。イギリスからも日本からもアメリカからもダンロップの技術者が寄り集まってタイヤを良くしてくれた。そして8時間がんばってくれたんだ。

来年も走れるかはあつ2か月くらい様子をみル必要があると思う。

これからインディでMotoGP前のスクールに出なきゃならないんだ。スクールが終わったら山に行きたいね。1か月日本にイタだから行けなかったんだ。レースからちょっと離れるよ。

スクールにはまだ空きがあるよ。駆け込みたいなら僕のWEBサイトに行くか、電話をください。
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今年の8耐プログラムは売り切れたらしいですよ。恐るべしシュワンツ効果。

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コメント

8耐ツアーはいかがでしたか?
私も4耐、8耐予選、前夜祭、本戦と大変楽しかったです^^
初めてだったんですが、8耐は本当にクセになりますね!

質問なのですが、あのー、この文章を読むとですね。
e-bayでカルのツナギを落札したのは、つまりシュワンツって事なんでしょうか?
もしそうなら相当面白いのですがw

投稿: ZeRocKrazy | 2013/08/11 21:23

>ZeRocKrazy
 8耐、思いの外楽しかったです!1/3くらいは日陰で寝てましたが(笑)。

 文脈からするにe-bayで落札したのはシュワンツ本人のようですよ。いかにもシュワンツっぽいイニシャルですし。 http://offer.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewBids&_trksid=p2047675.l2565&rt=nc&item=290926518060

投稿: とみなが | 2013/08/12 20:46

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