« 鈴鹿8耐にGPライダー参戦か? | トップページ | ストーナーの思い出 その4 »

ベン・スピース:僕がヤマハを離れた理由、ドゥカティに入ったそのわけ

かなりはっきり話してくれています。元記事のタイトルも「Straight Talk」ですしね。Cycle Worldより。
状況説明なし、本人のコメントのみの記事です。

============
「ムジェロでは食中毒だったんです。ひどい食中毒でしたね。レースにでられないくらいでした。ヘルメットの中で吐きそうになったし。レース後には吐きたいけど吐くものがない状態で、震えも止まらなかったんです。

 ヤマハチームは翌日テストがあるんでイタリアに残っていたんですが、僕は走らなかった。というか走れなかった。動くことも出来なかった。もう何もできなかったんです。そこにヤマハの偉いさんがやってきて、はっきり言ったんです。『君にはかなりのお金を費やしてる。もし100%じゃなかったらラグナ・セカに来ないでくれ』で、こう付け加えたんです。『もう君のことは信頼していないよ』

 まだシーズン半ばで、しかもラグナセカとインディアナポリスという地元アメリカでの2連戦の前の前だったんですよ。それで2013年にはヤマハで走らないと決意したんです。ヤマハにもいい友達がたくさんいますけど、あんなふうに言われたらその相手を大事にしようとは思わないでしょう。

 振り返ってみても常に全レースで100パーセントで走っていたんです。でもみなさんご存じの通り、あり得ないようなメカニカルトラブルが発生した。タイヤにブリスターができてトレッドが剥離したり、リアサスが壊れたり、エンジンが壊れたり、クラッチが焼き付いたり、ブレーキがオーバーヒートしたり。僕以外が100パーセントじゃなかったんです。

 誰かがわざとやったなんてことはあり得ないとはわかっていますよ。でも普通そういうことは1年に1回起こるかどうかでしょう。それが1年にいっぺんに、しかも続けざまに起こった。チームにとってはいいことじゃなかったですけど、どうにかできたとも思いません。単に運が悪かったとしか言いようがないですね。
 隣のピットを見たら何もかも完璧に動いていたんだから欲求不満になったのは確かですけど。チームメイトのホルヘ・ロレンソは勝利を重ねて最後はチャンピオンになった。彼のエンジンもブレーキもクラッチもサスもタイヤも僕のと同じなのに。誰かがひどい目にあうように思うことはないけれど、でもライダーにとってもチームにとっても一方はうまくいっていて自分たちだけうまくいかないってのは辛いものですよ。

 シーズン前のテストではワークスホンダのケイシー・ストーナーとダニ・ペドロサのことを気にしていた。彼らに追いつくためにヤマハの弱点をなんとかしなければならなかった。800ccのYZR-M1はいいマシンでしたけど、パワーが足りなかったし、グリップも少し悪くて、よくウィリーもした。

 そうした問題のほとんどはシーズン開幕の時には解決できていたので、MotoGPクラスではベストのマシンになっていました。1000ccのM1には突出した強みはなかったですけど、加速したいところで上手く加速してくれたし、ブレーキングもトップスピードも十分だった。V4ホンダの方が強いサーキットもありましたけど、ヤマハがベストバランスでしたね。

 開幕戦カタールの11位という結果はちょっと辛かったですよ。マシンは良かったしチームもがんばりましたからね。予選は4位でしたが、セッションの終わりには軽い転倒があった。それでシートの構造物が壊れたんです。その部分はサブフレームも兼ねてたんですよね。その時点では壊れているのに気がつかなかったんですが、そのせいでレース中に恐ろしいチャターが出てしまったんです。

 日曜の午前中は古いタイヤの時だけチャターが出ていて、その原因がタイヤなのか他の部分にあるのかはわかりませんでした。でもウォームアップラップでも同じ問題が発生した。というかもっとひどくなっていたんです。新しいタイヤでグリップが良かったせいですね。始まる前からレースが終わってしまいました。そういう状況は本当に辛い。自分だけがこんな目に合うなんてね。それにそこから得るものなんてないんです。これがシーズンの不運の始まりでした。

 ヤマハはいいマシンだったけど、コーナリングスピードを乗せた方がうまく走るんです。でラインを外すととたんにとっちらかってしまう。例えばブレーキングでリアホイールが浮いてしまうと接地しないまま左右に振られてとんでもない動きをするんです。だから同じ強さでフロントブレーキをかけ続けられないんです。ホンダもドゥカティももう少し荒い乗り方をしても大丈夫なように見えますね。
 最新型のGPマシンで速く走るにはタイヤに荷重を掛けながらラインをはずさないことが重要なんです。ちょっと速すぎるくらいのスピードでコーナーに進入してフロントタイヤに荷重をかけながら曲がっていくんです。ブリヂストンタイヤはものすごいグリップがあるんですけど、すごく硬いんでダンロップやピレリに比べると接地感とかの感触が足りない感じですね。ライダーがすぐに暖まるような安全なタイヤを要求したんで、今のブリヂストンはかなり良くなっていますけどね。でも耐久性とハンドリングが少し悪くなったと思います。

 ホルヘは速そうには見えないんですよね。彼のデータと自分のを比べると、彼の方がブレーキングが早いけど、その分コーナー立ち上がりが速い。つまり次のストレートではコンマ何秒か彼の方が前にいるってことです。ケイシー・ストーナーは本当に速く見えますね。どこでもスライドするし、リアタイヤをホイールスピンさせている。

 ホルヘの動き、どんな風にマシンに座っているかとか、あんまり派手な動きはないところとか、コーナーアプローチとか、バンク角とかですね、そういうのを見るとマシンのバランスをすごくうまくとって、タイヤにうまく荷重を掛けているのがわかります。それが速く走る秘訣なんです。まあ言うは易く行うは難しですけどね。

 ホルヘみたいに乗ろうとずっと努力してきたんですが、そもそもライディングスタイルが全然違うんですよ。僕の元々の乗り方はスムーズでもないしコーナリングスピードを稼ぐタイプでもない。ブレーキングをハードにしてあとはマシンをコーナーに入れて立ち上がりを重視するというスーパーバイク的な走りが好きなんです。

 乗り方を180度転換するのは楽なことではありません。マシンのセッティングも変わってしまいますしね。ホルヘのスプリングとダンパーが僕と比べていかに柔らかいか知ったら驚きますよ。彼があんなに速く走れるとあっては特にね。でも乗り方はすごくスムーズなんです。そんな風に走れたらタイヤのグリップもより引き出せるということなんですよ。

 2010年、ヴァレンシアでヴァレンティーノ・ロッシのYZR-M1に乗ったんですが、5〜6周しても全く速く走れなかった。ソフトすぎたんですね。そこでまずはセッティングを僕に合わせることにしたらヴァレンティーノがその週末にレースで出したタイムより速く走れたんです。感覚の問題なんですよ。ライダーが気持ちよく乗れれば限界まで攻められる。ライン取りも同じことで、これが完璧だというのはないんですね。

 セッティングがばっちり決まって優勝争いや表彰台争いができることもあれば、いい組み合わせが見つからなくてそのまま日曜のウォームアップセッションまでずるずるいってしまうこともある。だから基本となるセッティングを見つけるのはすごく重要なことなんです。

 インディアナポリスで2位を入っているときにエンジンが壊れた時にはもうMotoGPから離れたくなりました。ワールド・スーパーバイクが気になるようになったんです。2009年に走っていた頃は僕にとっては最高の環境でした。それに前の監督のパオロ・チアバッティは今でも良い友達ですし。だから僕がSBKに戻ることを喜んでくれたでしょう。いつかまた戻るかもしれませんね。

 最初に興味を持ってくれたのがドゥカティでした。でもアウディに買われたばかりで、その時点ではどんなオファーを出せるかがわからなかったんです。その次はBMWですね。いいチームといいオファーを用意してかなり積極的にアプローチしてくれました。ワールド・スーパーバイクでは最強のチームの一つですしね。S1000RRでかなりうまくやっている。
 ドゥカティはその時点では新型1199パニガーレをスーパーバイクにデビューさせていなかったんで、戦闘力は疑問でした。でもスーパーストックでは実績があるし、ドゥカティがスーパーバイクでだめだったことなんて思い出せないくらい昔の話ですしね。正直に言うとドゥカティでパニガーレに乗りたかったですよ。でもまず彼らはMotoGPを何とかしないといけなかった。それは理解できます。

 その頃から、まだMotoGPで僕の実力を発揮し切れていないじゃないかと思い始めたんです。なんて言ったらいいんでしょうか、とにかくMotoGPでも何度も勝てるはずだし、このままじゃ5年間何もしないままで去っていくことになるのは耐えられなかったってことです。

 ドゥカティからも誘いがきたし、サンカルロ・グレシーニ・ホンダも僕をほしがってくれました。ブルノではファウスト・グレシーニ、中本修平、リヴィオ・スッポの3人と話をしました。その席で僕はグレシーニに僕の要求を伝えて、僕がホンダに乗ることでどんなことになるのか話をしたんです。でも結局そっちの話はなくなった。ドゥカティは僕を迎え入れる準備ができてたんだけど、ホンダはそうじゃなかったんですよ。

 最終的に選択肢はBMWでワールド・スーパーバイクに行くか、ドゥカティでMotoGPを戦うかの2つに絞り込まれました。

 ドゥカティが用意してくれたパッケージは僕にとって理想的でした。アンドレア・イアンノーネがチームメイトになるんです。どちらもドゥカティ・コルセのカラーリングで、ただスポンサーが違う。あとはワークスマシン、それも完全にワークス仕様が手に入るんです。

 トム・ハウスワースがチーフメカで、マックス・バルトリーニが僕の担当メカになります。マックスがこれまでやってきたこと、そして現在のドゥカティGPプログラムでやっていること、そしていろんな人の話から、マックスのことがどうしてもほしかった。それでマックスが必要だとドゥカティに言ったんです。彼らはいい意味で驚いてくれました。僕がこんな風にリサーチしてるなんて思ってもみなかったみたいです。

 ドゥカティはベストを尽くしてくれるでしょう。自分たちが何をすべきかわかっていますからね。この2年ばかりは良い方向に進んでいなかったですけど、アウディが関係したことでドゥカティにもいい影響があるでしょう。でも一晩でなんとかなるわけではないですけどね。

 ライダーは自分がエンジニアじゃないことを常に頭に置いているべきだと思います。与えられたマシンでとにかくハードに攻める。そして問題があればエンジニアに直してもらう。自分の決定に満足していますし、今年自分が成し遂げたことにも満足しているんです。

 それが大事なことなんですよ」
============
ヤマハの人の言い分も聞いてみたいですね。

|

« 鈴鹿8耐にGPライダー参戦か? | トップページ | ストーナーの思い出 その4 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69409/56459675

この記事へのトラックバック一覧です: ベン・スピース:僕がヤマハを離れた理由、ドゥカティに入ったそのわけ:

« 鈴鹿8耐にGPライダー参戦か? | トップページ | ストーナーの思い出 その4 »