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インドネシアのファンサイトによるロッシインタビュー

インドネシアのロッシファンサイト(たぶん個人でやってる)によるロッシ独占インタビューです。インドネシアヤマハの太っ腹振り、ぱねえっす。
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2013年の1月25日。ヤマハインドネシアの新しい“Semakin di depan”(もっと前へ)ロゴの発表会の後で9度のタイトルを獲得したヴァレンティーノ・ロッシにインタビューすることができました。2013年に彼のベイビー、YZR-M1の元に戻るこことが決まってから初めて会うので、ちょっと特別な感じです。

ヤマハからいただいた時間は9分間。いつもの通り素敵な笑顔で真摯に答えてくれました。彼の周りにはいつも暖かい雰囲気がただよっています。以下がヴァレンティーノが世界中のファンに向けて語ってくれた内容です。
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インドネシアにようこそ。また来て頂いてとてもうれしいです。まずは一般的な質問ですが、MotoGPはヴァレンティーノ・ロッシそのものだと言われていますが、そのことについてどうお考えですか?
ロッシ:確かに何度も勝ってるし、それもレースが面白い時代だったからなおさら僕が象徴的になっているんでしょうね。新たにMotoGPを見るようになった僕のファンが世界中にいるのは、いろんなライバルといいバトルをしてきたからだと思います。この2年間は辛かったけど、おかげでまだ楽しめていますね。でももう僕も年取って・・・、少なくとも若くはないし、若いライダーが育ってきてどんどん速く、そして強くなってきてます。でもMotoGPにいられて幸せですよ。

いまおっしゃった若いライダーでは誰が一番の脅威ですか?ホルヘ・ロレンソとダニ・ペドロサは別としてですが。
ロッシ:ルーキーだけどマルク・マルケスですね。若い分だけ速いしそれに強い。たくさん勝ってるし彼が乗るホンダも速いし、技術的なサポートもたくさん受けられるだろうしね。アンドレア・イアンノーネもMotoGPにやってきますけど、ドゥカティは難しいからどうでしょうね。でもMotoGPで闘える才能はあると思います。

ヴァレンシアテストでM1に乗った時はどう感じましたか?2004年にヤマハに来て、2010年にドゥカティに行って、また2013年に戻ってきたわけですが。
ロッシ:すごくいいフィーリングでしたね。ウェットでM1に乗ったんだけど僕はウェットは得意ですし。特にドゥカティの時はね。でもウェットでもヤマハの方が良かったですよ。マシン自体は2010年の時とあまり変わらないけどトップスピードも加速も1000ccになって良くなってます。ヤマハもコーナー立ち上がり加速をがんばったんでしょう。レースでも同様でしょうけど、開発はがんばらないとね。いずれにせよM1はトップレベルにあるんですけど。

まだ可愛いベイビーでした?
ロッシ:もちろん(嬉しそうに笑いながら)。

この2年間は厳しいシーズンで3回しか表彰台に登っていませんが、今年表彰台をゲットしたら、昔みたいなおもしろいことをやってくれますか?ずいぶん寂しい思いをしてるんです。
ロッシ:(笑)。表彰台じゃだめですね。勝ったらウィニングラップで何かやろうかな。考えときます。

2013年シーズンからアグレッシブ過ぎるライダーに対するルールが変わりますけど、これについてはどう思われますか?レースというスポーツを良くするんでしょうか?それともだめにするんでしょうか?
ロッシ:レースは危険なスポーツなんで一定のルールは必要ですね。でもずっとハードなスポーツだったんです。最終ラップでは全力を尽くしてライバルと戦わなければならない。だから接触してしまうこともある。攻めなければならないけどやりすぎはまずいですね。とは言え最終ラップの戦いはすごいものになるんですよ。

CRTについてですが、ライダーからもファンからも反対の声があがりました。あなたはCRTに賛成で、この厳しい経済状況ではMotoGPの将来にとってCRTが必要だとお考えですよね。2012年の終わりにはずいぶん差が詰まってきましたけど今シーズンもさらに差は詰まると思いますか?
ロッシ:次のシーズンには何かが変わるでしょう。僕は将来のMotoGPマシンはプロトタイプとCRTの間ぐらいに落ち着くと思ってます。ホンダとヤマハもそう考えてるみたいだし。残念なことに世界的に契機が悪いんで5年前みたいなわけにはいかないですよね。お金が掛かりすぎる。グリッドに最低20台は並べたいとみんな思ってますし。もしCRTがなかったら12台だったんですよ。これは悲惨ですよね。だから将来的にはプロトタイプとCRTの間ぐらいになるんだと思いますね。

次はインドネシアの話題ですが、今はMotoGPはインドネシアでやってないですけど、セントゥルサーキットはご存じですよね。
ロッシ:(熱のこもった口調で)もちろんですよ。1996年と97年にレースをして97年には勝ってますから。

セントゥルがまたMotoGPをやるにはどうしたらいいんでしょう?
ロッシ:僕にとってはインドネシアはすごく大事で、マレーシアを見ればわかるけどセパンのおかげでMotoGPが盛り上がってますよね。あそこはすごくいいサーキットなんです。僕の大好きなコースでもある。インドネシアにもいいサーキットはありますし、情熱をもった人もたくさんいるし、MotoGPのファンもたくさんいます。だからいいサーキットになると思うし、大事なのは若いライダーをサポートすることですね。

世界中でファンからいろんなプレゼントをもらうと思いますがそういうのはどうしていますか?タヴーリアに何か特別な部屋があるんですか。
ロッシ:ええ、僕のキャリアを通じて手に入れたものをとっておく大きな部屋があるんです。ツナギは全部、あとグローブとマシンが何台かともちろんファンからもらったものもそこにありますよ。

最後に世界中のファン、特にインドネシアのファンに向けて一言お願いします。
ロッシ:インドネシアのファンのみんな、チャオ!いつも応援してくれてありがとう。インドネシアにヤマハのライダーとして戻ってこられてとてもうれしいよ。今シーズンもMotoGPを楽しんでね。チャオ。
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この素晴らしい機会を得ることができて本当にうれしく思います。人生で最高の出来ごとでした。翻訳して下さったwww.moto.itにも感謝します。このインタビューをする機会を作る手助けをしてくれたヤマハイタリアにもお礼が言いたいです。あと、ヴァレンティーノ・ロッシとの素晴らしい2日間を与えてくれたヤマハインドネシアには特に感謝します。

ヴァレンティーノ・ロッシとホルヘ・ロレンソ、そしてヤマハMotoGPチームが"Semakin Di depan"することを期待しています。
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すごくいいインタビューだなあ。ロッシもファンにはやさしいんだなあ。

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ロッシはドゥカティDNAの犠牲者

ドゥカティの新チームマネジャーが言ってます。MCNより。
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ロッシがドゥカティデスモセディチを手なずけられなかったのは20年間培ってきた彼にとっても異質なマシンだったからだ。

これはドゥカティの新しいトップ、ベルンハード・ゴブマイヤーの見立てである。彼は2011年、12年とロッシと共に過ごした悲惨な2年間を取り戻すためにチームの先頭に立つことを求められている。

ドゥカティで35戦走ってわずか3回の表彰台というロッシの成績はドゥカティを表彰台の常連とするには程遠く、結局2013年はヤマハに戻ることになった。

昨シーズン限りで引退したケイシー・ストーナーだけが2007年に10勝してタイトルを獲るという成功を収めているのだ。

4年間で23勝をドゥカティで上げているストーナーは常にロッシを批判していた。彼の他のトップライダーは誰もデスモセディチの性能を引き出せず、2010年に彼がレプソルホンダに移籍してからのデスモセディチは勝利に近づきすらしなかった。

しかしゴブマイヤーはロッシや2008年にストーナーのチームメイトとしてきつい1年を過ごしたマルコ・メランドリにとってドゥカティがそれまで乗っていた日本製マシンとあまりに異なるために苦労したのだと信じている。

ゴブマイヤーはMCNにこう語った。「私もドゥカティもヴァレンティーノが史上最高のライダーの一人だということは疑っていません。でも同時にドゥカティの遺伝子の犠牲者でもあるんです。ドゥカティは2007年から12年まで大きな変更なくきています。マシンは改良されていますけど、メランドリやヴァレンティーノといった感覚の鋭いライダーはマシンがどう反応すべきかについて一定の予測をしてしまうんです。それで思った通りの反応が得られないと混乱してしまう。
 マシンとの相性が悪かったとしか言えませんね。ヴァレンティーノはヤマハの感覚が抜けなかったんだと思います。彼が慣れていたマシンとは根本的に違う反応をするんでそれになじめなかったんでしょう」

2011年にロッシがドゥカティに乗り始めたのは32歳の時だった。彼が幼少時から培ってきた繊細なライディングを変えるのは難しすぎたのだとゴブマイヤーは考えている。

「ロッシのようなライダーは小さい頃から乗り方を学ぶんです。つまり頭で考えているのではなく天性のフィーリングで乗っているんです。運動神経に頼っているんで、なじみのないインプットがあると感性がずれてしまって、どうしたらいいかと考え込むことになる。でも考えるということは既に遅くなっているということなんです。もう自然の感性では走れないということですからね」
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ストーナーが馬鹿みたいな言い方がちょっと気になる・・・。
というかそんな感性に合わないマシンを作っていいのか>ドゥカティ。

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ただいま許可待ち

ロッシファンサイトのこのインタビュー記事、翻訳済みですが個人のサイトのものなので、ただいま許可待ちです。

許可をいただき次第アップ予定。

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ストーナーV8シリーズに参戦決定

話は前後しますが、V8参戦についてのストーナーのコメントです。
CRASH.netより。
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ケイシー・ストーナーがMotoGP引退後すぐにV8スーパーカーシリーズに参戦することを公式に認めた。

27歳の彼は契約したという記事について先週否定したばかりであるが、トリプル・エイトチームでレッドブルをスポンサーにホールデン・コモドアを走らせることをついに認めたのだ。

契約によればV8ディベロップメントシリーズを走るということだ。既に彼は来年走るマシンに慣れるため秘密テストでV8に乗っている。

ストーナーはサンデー・テレグラフ紙のインタビューに答えてこう語っている。「今年はまずは試しに乗ってみるという感じで、どこまでいくかを見てみたいと思ってます。
 走ることまでは決まっていますが、まだそんなに深入りしているわけじゃないですよ。僕には向いていないかもしれないですからね。
 全レースの3/4に参戦する予定ですが、気持ちとしては全戦出たいと思ってます。できるだけ長い時間乗ってV8の運転というものを覚えたいんです。

ストーナーのV8デビューはクリプサル500の予定となっているが、彼はMotoGPの引退表明をした去年の5月の時点では4輪への転向は考えていなかったとのことだ。

「V8はずっと気になっていたんです。14〜5歳で2輪レースで身を立てたいと思ってからはそちらに集中してがんばってきたんで、V8のことは忘れていたんですけどね。
 引退を決めた時にも、もうレースはすることはないと思っていました。1年は何にもしないでちょっと世界でも見て回るって感じでね。
 ゆっくりしたかったんです。でも日々を過ごすうちにV8ディベロップメントシリーズのことが気になり始めて、話をはじめたら最終的に契約することになったんですよ」

ストーナーはV8シリーズの最大のイベントであるバサースト1000に参戦したいとも言っているが、今年は声がかからないだろうとも思っている。

「まあバサーストに向けて声を掛けてくれる人はいないでしょうね。V8で走っているオージーなら誰もが夢見る場所ですから」
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やっぱりレーサーとしての気持ちは消えないってことなんですかね。でもオーバルレースって現場に行かないとおもしろさがちっともわからないものだと思う(←現場に行ったことのない人)。

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MotoGPに戻る可能性もなくはないけど今はない、とストーナー

元記事の原題は「Stoner leaves door ajar to MotoGP return(MotoGPへのドアは半開きのままキープ」)」ですが、記事の内容は拙訳の通り。CRASH.netより。
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ケイシー・ストーナーがいつかMotoGPに復帰する可能性はゼロではないと言っている。もっとも彼は2013年は4輪に乗ることが決まっているのだが。

ストー−ナーは2012年シーズンでMotoGPを引退したのだが、来年はV8スーパーカーシリーズに参戦することを公式に認めている。レッドブルがスポンサーとなっているホールデン・コモドア(訳注:車の名前です。ホールデンはGMの傘下のオーストラリアメーカー)でV8ディベロップメントシリーズに参戦する契約を交わしたのだ。

昨年5月、ルマンで行われたフランスGP前の記者会見でストーナーはMotoGPには情熱を失ったから引退すると表明していた。

サンデー・テレグラフ紙のインタビューでV8への転向を表明したストーナーは何故2輪レース界から身を引くことを決意したのかを語ると共に、現時点ではありえないとしながらも将来的にカムバックする可能性も捨ててはいないと語っている。

「怪我でリタイヤしたわけでもないし何か新しいことがしたいから引退したわけではないんです。家族のためでもない。2輪レースへの愛がなくなったんです。周りの人から尊敬もされなくなったし、レース界が進む方向にもうんざりしたんですよ。
 レースファンからはすごく批判を受けましたし、モーターホームからピットに向かうスクーターをキリ飛ばそうとしたりされました。悲しいことに僕が正直なのが悪かったみたいですね。それが引退の一つの理由です。でももっと大きいのはレース界が向かっている方向ですね。
 2年前に一人のライダーが亡くなりました(マルコ・シモンチェリのこと)。でも一月もすると何事もなかったかのようになってしまう。やつらは僕らの当たり合いを見たいだけで、僕らの命なんかどうでもいいと思ってるんです。まるで操り人形ですよ。僕らがレース界を動かすことなんてできやしないんです。
 だから今は戻る気は全然ありませんよ。まあ僕が興味を持てそうな方向に大きく変わっていけば別ですけどね。可能性はなんにでもありますから。でも今の状態を見る限り、可能性はゼロですね」
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でもShow Must Go On なんです。まあ戻ってくることはないでしょうねえ。

ゲホゲホ(←まだ風邪が治らない)

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ここんとこ更新がないのは

大した英語記事がないのと、風邪で倒れているのが重なっているからで、一応生きています。

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タフなシーズンになるだろう、とクラッチロー

期待にそれなりに応えた2012シーズンのクラッチローでしたが、今年はどうでしょうか。BBC Sportが本人の声を伝えています。
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この12年の間で初めて表彰台に昇ったイギリス人ライダーである27歳のクラッチローは今年もテック3ヤマハで走ることになる。

彼がBBC Sportにシーズンの展望を語ってくれた。「今年チームがどんな装備を手に入れるかは全然知らないんだけど去年よりタフなシーズンになるでしょうね。
 でも確実に表彰台を獲得していきたいと思ってます」

クラッチローは去年8月のブルノのチェコGP、そして11月のフィリップアイランドで開催されたオーストラリアGPで3位に入り、シーズンをランキング7位で終わっている。

2013年シーズンのチームメイトにブラッドリー・スミスを迎えたクラッチローは厳しい戦いに挑もうとしているのだ。

ホルヘ・ロレンソはタイトル防衛に燃えているし、ワークスヤマハには7度のタイトルを誇るヴァレンティーノ・ロッシも加わった。引退したケイシー・ストーナーに替わってレプソルホンダに加入したルーキー、マルク・マルケスにも期待が掛かる。

「今年はすごい面子がそろいましたね。
 もちろんトップ2はホルヘとダニ・ペドロサでしょう。毎週トップ争いをすると思いますよ。
 あとマルケスとステファン・ブラドルもそれにからんでくるでしょうね。ロッシも表彰台に何度も昇るでしょうし。
 表彰台に昇る可能性のあるライダーはたくさんいるんです。だから今年はタフなシーズンになると予想していますよ。
 チャンスがあればトップの連中にからみたいと思ってます。イギリス人二人で表彰台に昇れるといいですね。
 でもまずは自分が速いこととまだ成長できることを証明しないといけません。去年みたいに期待に応えながらトップを狙えるってね。挑戦になるけど楽しみですよ」

2013年シーズンは2月のマレーシア、セパンでのテストを経て、4月7日にカタールで開幕戦を迎える。
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ランキング7位というのは浮き沈みが激しかったから。もっとできる子であることを証明してほしいですね。

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ブリヂストン 山田宏氏が語る2013年のMotoGP

ブリヂストンのプレスリリースをMotomatters.comより。
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2013年の初テストを1か月後に控え、ブリヂストンのモータースポーツ部門のトップである山田宏が最高峰クラスでの公式サプライヤー5年目となるシーズンに向けての開発状況について語った。

Q:昨年のブリヂストンは1000ccクラスの初年度であることに加えてライダーの安全のために改善を加えたタイヤを供給するというチャレンジングなシーズンとなりました。去年の結果には満足していますか?
山田:概ね満足していますね。私たちの目的は安全でライダーにわかりやすくて1000cc時代にふさわしいタイヤを供給することだったんです。これまでに蓄積したデータとライダーのフィードバックに基づいてその目的を達成できたんで満足していますよ。
 前のシーズンと比べると最高速も加速も、その他全体的にMotoGPマシンは改善されてます。1000ccになってパワーが上がったのに加えて、最低重量が引き上げられたことでタイヤには厳しくなりましたね。それでも安全なタイヤを作りましたし、9レースでレコードラップを更新出来ました。それにトータルタイムを縮めたレースもたくさんありました。
 CRTが導入されたことで、タイヤがワンメイクにもかかわらず、パワーが全く異なるマシンにタイヤを供給しなければならなくなりました。つまり去年は性能が全然違うマシンに対して安全なタイヤを供給するという勉強のシーズンになったんです。

Q:2013年のMotoGPタイヤはどのように開発されていくんですか?
山田:基本的には同じ基本構造のタイヤを使う予定です。2012年のタイヤはライダーからも評価されていましたんで、今シーズンも同じ基本構造のタイヤをサテライトもワークスも使うことになるでしょう。
 ただコンパウンドに関しては今シーズンに向けて開発を続けていますし、最新のコンパウンドのゴムを使う予定です。たぶん今年の最も大きな変更はCRT専用のエクストラソフトタイヤですね。CRTに最適に作るんです。それとミディアムコンパウンドに近いハードコンパウンドを供給する予定です。こちらはワークスマシン向けに作るものですね。

Q:去年はブリヂストンは全チームに同じタイヤを供給していましたが今年はCRTとプロトタイプで違うタイヤを供給するということですか?
山田:その通りです。2013年のタイヤの基本構造は同じですが、コンパウンドがマシンによって違うということになります。今年は毎レースリアは3種類を供給します。またCRTは最も柔らかいコンパウンドとミディアムから選んで、ワークスはハードとミディアムのどちらかを選ぶことになるでしょう。
 CRT専用の基本構造を作る必要はないと考えています。フィーリングも挙動も素晴らしいとライダーは言ってくれてましたから。しかしながらもっと柔らかいタイヤを求める声もCRTライダーから挙がっていましたんで、パワーが少ないマシンにも合うようによりソフトなコンパウンドを導入することにしたんです。

Q:他に2013年のタイヤで違うところはありますかå?
山田:開発の観点からはそれだけですね。ただライダーの選択範囲を広くするためにフロント、リア共に今までよりたくさん供給することにしました。
 プラクティスと予選のセッションが増えたことからライダーからはもう1セットタイヤがほしい、つまりリアについては11セットほしいという声が上がっていたんです。それとフロントの組み合わせが少し変わっています。フロントのエクストラソフトは去年全然使われなかったんでやめました。それでライダーにはソフトとハードまでレースに合わせて好きに選べるようにしたんです。
 フロントタイヤの供給方法が変わったのは去年ライダーからいただいたフィードバックに基づくものです。基本的にはフロントスリックは好評だったんですが、レースセッティングに合わせてもっと多くの種類から選びたいという声があったんです。

Q:今シーズンの個人的な楽しみは何ですか?
山田:今シーズンはいろんな楽しみがありますね!MotoGPに才能あるライダーが何人か加わりましたし、チームを移籍したベテランもいます。ホルヘはタイトル防衛をがんばるでしょうし、去年のダニは本当に強かった。それにヴァレンティーノは2回タイトルを獲得したチームに戻ってきました。それにドゥカティも4人の素晴らしいライダーを抱えている。ですから今年は夢のようなシーズンになるんじゃないかと期待してます。
 もちろんCRTの2シーズン目も興味深いですよね。去年はマシンもチームもライダーも初めてのシーズンでしたが、1年間経験を積んだことで、今年は実力を発揮するシーズンとなるでしょうね。あと、プラクティスと予選の方式が変わったんで、全セッションを通してライダーは全力を尽くすでしょう。ですからファンにとっても楽しみなシーズンになると思いますよ。
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CRTの戦闘力が上がるといいんですが。

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ヤマハはポル・エスパルガロがほしいようです

もう来年の話ですか。CRASH.netより。
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2013年のMotoGPのシートがやっと決まったばかりというのに、ヤマハは既に来年のことを考え始めているようだ。ポル・エスパルガロと2014年の契約を結ぼうと狙っているらしいのだ。

Speedweek.deによると、ヤマハのマネージング・ディレクターであるリン・ジャーヴィスが昨年Moto2クラスでランキング2位となったエスパロガロを他チームが手を着ける前に囲い込んでしまいたいと考えているとのことである。

これまでのMoto2チャンピオンであるトニ・エリアス、ステファン・ブラドル、マルク・マルケスの3人ともMotoGPではホンダのチームと契約していまっている。

ヤマハはホルヘ・ロレンソの時も同様の長期計画を実現してみせた。まだ彼が250ccを走っている2006年のことである。もてぎラウンドの直後に彼を雇っているのだ。2008年にMotoGPクラスに参戦させるという正式な契約は2007年のラグナセカの後である。

ルーキールールが撤廃されたとは言え、ヤマハはロレンソ、ロッシの両名と2014年までの契約を結んでいることから、エスパルガロはテック3に行くだろうと目される。

現在テック3に籍を置いているカル・クラッチローは2013年いっぱいの1年契約であり、しかも最終的にエルヴェ・ポンシャラルが運営するテック3と契約するまでは、ワークス入りを公に熱望していたのだ。

クラッチローは2013年の終わりには再びワークスの席を求めて活動するであろう。一方チームメイトでありルーキーであるブラッドリー・スミスは2年契約となっている。

もしクラッチローがどこか別のチームに行くならばポンシャラルはエスパルガロに大いに興味を持つだろう。今年のエスパルガロはポンスのチームでMoto2を走ることになっている。このクラスで初タイトルを目指すのだ。

ポルの兄、アレイシは既にMotoGPに参戦中であり、2013年はアスパーチームでCRTを走ることになっている。
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クラッチローの行き場の方が私としては気になりますがね。

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ロッシがヤマハに移って浮かれるエスペレータ

ドルナのCEO、カルメロ・エスペレータはロッシがヤマハに移ってなんだか浮かれているようです。興行主としてはそうなんでしょうね。BBC Sportより。
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33歳のロッシはドゥカティで2年間を過ごした後ヤマハワークスに戻ることとなった。

7度のMotoGPタイトルに輝くロッシは最高峰クラスで79勝を上げているが2010年のマレーシアを最後に勝利から遠ざかっている。

しかし興行主であるドルナのCEO、カルメロ・エスペレータはBBCにこう語った。「ロッシは自分がまだ勝てる力があると思っているし、私もそう確信している」

ロッシのヤマハでのチームメイトはディフェンディングチャンピオンのホルヘ・ロレンソであるが、ロッシの望みはドゥカティでのぱっとしない2年間の後でもチャンピオン争いができるのを証明することである。

2004年から2009年にかけてヤマハでタイトルを獲得したロッシだが、ドゥカティでは35レースの内、3度表彰台に立っただけだ。しかしエスペレータはロッシにトップ争いをする力があると考えている。

エスペレータは言う。「彼の才能と経験をもってすれば彼がトップ争いをすることは間違いないでしょうね。
 ヤマハに戻る決心をしたのはまたトップ争いをしたいからですよ。以前ヤマハで勝っているんですし、また勝つでしょう。
 それがこのスポーツにとっても重要なんです。ヴァレンティーノの名前は大きな意味があるんですよ。彼はみんなにとっての英雄で、MotoGPの歴史の中でも最も偉大なライダーの一人ですからね。もし彼がまた表彰台に戻ってきて勝つことができれば、それはMotoGPにとって非常にいいことなんです。

エスペレータは同時にイギリス人ライダーのカル・クラッチローがさらに成長するだろうとも言っている。

テック3ヤマハのクラッチローは12年ぶりに表彰台に上がったイギリス人ライダーである。エスペレータは2013年にも彼がトップ争いをするのを期待している。

「カルは私がこの2〜3年で見た中で最も優れたライダーの一人ですね。
 彼のレース中のパフォーマンスには何度も驚かされましたよ。あまり運がいいとは言えないシーズンでしたが、彼もMotoGPにとって重要なライダーの一人です。
 イギリスはバイク文化にとって最も重要な国の一つです。偉大な歴史もありますし、モータースポーツ文化全般もそうですね。ですからヒーローになれるようなライダーがいるのは大事なことなんですよ」

MotoGPシーズンは2月のセパンテストを経て、4月7日にカタールで開幕を迎える予定である。
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こんなはっきり言っていいんですかねえ。まあ彼は興行主としての立場でしか考えていないんでしょうが。

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ストーナーの思い出 その7

「ストーナーの思い出」シリーズ。最終回の第7弾はコーリン・エドワーズが振り返ります。MCNより。
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MCNがお送りする「ストーナーの思い出」第7回はコーリン・エドワーズが去年のセパンでのマルコ・シモンチェリの死亡事故の際に見せたストーナーの別の一面を語ってくれる。

「ケイシーが俺の具合を見にメディカルセンターに来てくれたんだ。ありがたかったよ。奴とニッキー(ヘイデン)が来てくれたね。その時は体が痛くて辛かったし肩は脱臼していたんだよ。
 お医者さんたちがマルコにかかりっきりになっているのはわかっていたから、我慢して座っていたんだ。医者が俺のところにやってきて言うには、俺を外に連れて行くんだと。肩を入れ直すのはすごく痛いんで、俺が奴らと喧嘩すると思ったんだな。
 メディカルセンターに戻ったときもまだふらついていたんだけど、そこにケイシーとニッキーがいたんだ。マルコがもう戻ってこないって言われる前からわかっていたよ。辛かったね。でも奴らがいてくれて本当に助かった。レースがキャンセルされた経緯も詳しく語ってくれたよ。すごく辛かったけど、本当に奴らがそばにいてくれて心からよかったと思う。

2006年のLCRでのMotoGPデビューからストーナーは信じられないほど速かったとエドワーズは言う。
「ケイシーの才能は本当に信じられないほどすごいんだよ。乗れてるときにはとんでもなく速いんだ。それがいつものことだから凄いよ。
 奴はまだ勝てるうちにやめると決めてしまった。奴をつなぎとめようと何をしてもだめだったってことだね」
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うう、コーリンは英語が超ブロークンなので、訳してもニュアンスが伝わらないんですよねえ。

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ストーナーの思い出 その6

第6弾はストーナーのGPデビュー時のチームオーナー、ルーチョ・チェッキネロです。2人の確執と和解については以前の記事をご参照あれ。MCNより。
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MCNがお送りする「ストーナーの思い出」シリーズ第6弾はルーチョ・チェッキネロである。ストーナーにGP参戦のチャンスを与え、2006年にはMotoGPでのブレイクのきっかけを与えたチェッキネロが、ストーナーと2人で戦った時代を語る。

「125で1シーズン、250で2シーズン、MotoGPで1シーズンをケイシーと過ごしたわけで、ケイシーのキャリアでも重要な時期だったんですよね。
 その頃スポンサーが将来に向けて若い才能をほしがっていて、ケイシーなら悪いことにはならないだろうと思ってドルナそしてアルベルト・プーチと話をしたんです。プーチはテレフォニカ・モビスタージュニアチームでストーナーをかなり手助けしていましたから。
 誰もが彼の将来性に興味を持っていましたね。うちでも彼の前に何人か候補はいたんですけど、彼に決めたんです。
 彼はいい思い出をたくさん作ってくれました。中でも2002年のヘレスでスタンダードのアプリリア250に最初にテストしたときのことが忘れられません。
 マルコ・メランドリがワークスアプリリアをテストしていたんですが、2〜3周でケイシーはそのコンマ2〜3秒まで詰めたんです。
 ケイシーが乗っていたのはスタンダードで、でもすぐにチームメイトのダヴィデ・チェカより1秒速いタイムで走り始めた。つまり最初から才能を発揮していたってことです。
 いちばん凄かったのは2006年のカタールでまだ2戦目だってのにポールを獲ったときのことですね。そして次のトルコでは表彰台に昇ってしまった。そこからやっとみんなが彼の才能に注目し始めたんです。
 MotoGPでこんなに早く結果が出るとは思いませんでしたけど、彼が2回のタイトルと多くの勝利を上げたことは驚くに値しませんね。どんなカテゴリーのどんなマシンに乗っても早いなんて、とんでもない才能がなければできないことですよ。
 持って生まれた才能が信じられないほどすごいんです。それに加えて若い内から家族の手厚いサポートを受けられたのもいい効果を発揮してますね。
 彼の技術の凄いところはどんなコースでもどんなコンディションでも最初から速く走れるってことなんです。
 プラクティスの1ラップ目でもレースのスタート直後でも彼は速い。これは小さい頃にオーストラリアで3周しかないスプリントレースで揉まれたおかげだと思います。そういうレースでは最初から飛ばさなければなりませんからね。
 若い頃からそういうマインドが育てられたことが彼のMotoGPでも武器になっていたんです。スピードに乗るのにそれほど時間がいらないというのはすごく印象的でした。
 引退するという彼の決断は尊重したいと思います。自分と家族の人生を何よりも大事にしたいという気持ちの表れですから。あれだけのことを成し遂げたんだから、彼が静かな人生を過ごしたいと思っても誰も責められないでしょう。
 でももしMotoGPに戻ってきたいとなったら彼を乗せたいというチームはひとつじゃないでしょうね。まあ個人的には彼がMotoGPに戻ってくることはないと思いますけどね」
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2人がチームメイトで同じクラスを走っていたときの話も聞きたいですね。

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ストーナーの思い出 その5

第5弾はロッシのチーフメカをホンダ時代から務めるジェリー・バージェスが語ります。MCNより。
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MCNがお送りする「ストーナーの思い出」第5弾はヴァレンティーノ・ロッシの伝説的なチーフメカジェリー・バージェスが歯に衣着せぬ同国人について語ってくれる。

「ケイシーが特別でバイクを操るすごい才能に恵まれていることは誰もが知ってますよね。ケイシーについて思い出すのは2002年の南アフリカの250クラスで大クラッシュした若くて恐れを知らない若者だったときのことですね。
 まだ250の2戦目でトップを走っていた。それを見れば才能があってうまく乗れてるってわかったものです。彼のことはそれまで誰も知らなかったし、これからどうなるのかもわからなかった。
 彼は全クラスで勝利を上げているし、記録が全てを物語ってますね。彼がいなくなるのは残念なことですよ。
 彼がこの業界について言っていることのほとんどは的を射ていますね。マシンの性能を落とすなんて馬鹿げてますよ。マシンの性能を落として何か別物にしてしまうんじゃなく、いかにうまく乗りこなすかの競争なんです。
 ケイシーやあとアメリカ人も別にいい人じゃなくても良い環境でやってきたんです。人気者になるためにMotoGPに参戦してるんじゃなくて勝って、そして勝ったことで尊敬されたいんです。彼は十分勝ったし一生懸命がんばりました。だからケイシーが成し遂げた業績を無視するなんてもってのほかですよ」
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マシンは乗りこなしてなんぼ、ってことでしょうね。そういう意味では今年のロッシについてどう思っているのかも興味があります。いつかは自叙伝を。

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ヤマハの新しい宣材

早速ヤマハがロッシお帰りビデオを作ったことについて、Motomatters.comが皮肉っています。こういう見方もあるってことで、ちょっと紹介。
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ヤマハがロッシと契約した理由は明らかだ。7回のMotoGPタイトルは才能を十分に証明しているし、ドゥカティでの2年間での彷徨にも関わらず2013年になっても十分競争力があるとみなされているのだ。しかしヤマハにはMotoGPチャンピオンのホルヘ・ロレンソがいることを考えると、単に競争力だけがロッシとの契約の理由とは思えない。マーケティングも大きな理由だろう。ヤマハチームの内部からは反対があったにもかかわらずマーケティング部門の要請によって契約が行われたという報道もあるくらいだ。

真実がどうあれ、ヤマハはロッシへの投資をしっかり回収するつもりらしい。インドネシアやタイ、インドといった市場が拡大している地域のマーケティングにはロッシの人気を活用することが不可欠なのだ。もちろん縮小しつつあるとは言えヨーロッパやアメリカのスポーツバイク市場も確固たるものにすることにも効果は期待できるのであるが。

ヤマハは今回ヴァレンティーノ・ロッシの販売力活用の第1弾として「ロッシおかえりなさいビデオ」をYoutubeにアップしている。ビデオではロッシのキャリアを彼の劇的なヤマハデビューであり、最もスリリングなレースの一つでマックスビアッジを破ったウェルコムでの南アメリカGPから始めて、4回のタイトル、そして2010年の別れまでを概観し、そして2012年11月のヴァレンシアテストでのヤマハ復活ライドで締めくくっている。ヤマハにとってもロッシにとっても素晴らしい年になることだろう。
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その「お帰りなさいビデオ」はこちら。

私もちょっとヤマハはやりすぎだと思う。私がロレンソならいい気持ちはしない。

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ストーナーの思い出 その4

第4弾はドゥカティ時代にはプロジェクトマネジャーを務め、ストーナー移籍に合わせて(というかストーナーに請われて)ホンダに移ってマーケティングディレクターをやっていたリヴィオ・スッポです。MCNより。
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MCNがお送りする「ストーナーの思い出」シリーズ第4弾はリヴィオ・スッポである。彼はドゥカティ時代の2006年にストーナーと契約したまさしくその人物であり、HRCでもストーナーと働くことになった。

「2011年のフィリップアイランドの勝利は忘れられないですね。あれは誰もが夢見るようなシチュエーションだったですから。
 あの日の彼のような体験は世界中見渡してもなかなかできるもんじゃないですよ。地元レースで誕生日でタイトルがかかっていた。そしてタイトルを獲得したんです。
 彼が当初余り評価されなかったのは速すぎたからですよ。誰もがドゥカティとブリヂストンタイヤのおかげで速いんだと思っていた。でもはっきり言いますけど、彼の才能なんです。
 ロリス(カピロッシ)も同じマシンと同じタイヤでしたけどケイシーに並ぶことはなかった。でもその前年を見ればわかるとおりロリスもタイトル争いをできるくらいの実力はあったわけです。キャリアを経るに従ってみんなやっとケイシーの実力を認めるようになってきた。でも気付くのが遅すぎたんです。もう彼はいなくなってしまう。
 将来どうなるかなんて誰にもわかりませんけど、少なくとも今はケイシーにとってはレースをやめなければならない時なんですよ。ずっと長い間レースをやってきたんで休息が必要なんです。
 今はもう終わったと思ってるでしょうけど、1年もしたらまた考えが変わるんじゃないでしょうか。まあケイシーにしかわからないことですが。やめてみて、うちにいるのが心地よかったらそれで完璧です。でもそういう気持ちになれなければ素直にそう言って復帰してほしいですね」
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長くつきあってきて、ケイシーにも信頼されているリヴィオ・スッポが言うんだから復帰の可能性もなくはないんでしょうね。

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ベン・スピース:僕がヤマハを離れた理由、ドゥカティに入ったそのわけ

かなりはっきり話してくれています。元記事のタイトルも「Straight Talk」ですしね。Cycle Worldより。
状況説明なし、本人のコメントのみの記事です。

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鈴鹿8耐にGPライダー参戦か?

まあ現時点では東スポなみの確度だと思って頂きたいのですが、フリーのGP関係者である(現在はMarc VDSチームの広報なんかをやっている)イアン・ホイーラー氏(www.livefrompitlane.com)のツイートによると、GPライダーが何人か鈴鹿8耐に参戦する模様(ツイートの翻訳「GPパドックから鈴鹿8耐に行く予定になっているのは僕だけじゃないって噂。僕以外は革ツナギを持っていくってよ」)。

その前のツイートで「今週中に7月の鈴鹿8耐に行くかどうか決まる見込み。考えるだけで汗が出てくる」って言ってるんで、ことによったらMarc VDS のレディングあたりが来る可能性もあります。

ってなわけで、参戦ライダーによっては現地観戦も考えないでもない。

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ストーナーの思い出 その3

MCNの連載その3はLCR時代(2002:250cc, 2003:125cc, 2005:250cc, 2006:MotoGP)のメカニック、クリス・リチャードソンです。
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MCNがお送りする「ストーナーの思い出」シリーズ、第3弾はLCR時代のメカニック、クリス・リチャードソンである。才能溢れるオージーに初めて会ったときの思い出を語ってくれている。

「ルーチョ(チェッキネロ)と初めて仕事をしたのが2002年で、その年に彼がGPに参戦したんですよね。
 でもそれまで彼のことはほとんど知らなかったんです。速いけどまだ学ぶ必要があるってみんな言ってましたね。でも初めて行くサーキットですぐに彼は爆発的な速さを見せてくれました。
 彼と働き始めたのは2002年の1月で、ヘレスでアプリリア250をテストしたんです。ピットにやってきた彼はまだ細っこくて、耳が出っ張ってて、まだ16歳だった。でマシンを見て言ったんです。『これがぼくの?』って。まるでクリスマスのプレゼントをもらったみたいにね。
 すごく小さく見えたし、テスト初日にピットから出て行くときにはエンストもしてましたよ。彼の後について走りながら『まじかよ、こりゃあひどいことになりそうだ』って思いましたね。でも4周もしたらラップレコードの1秒落ちまで詰めてきたんです。かなり凄いことですよ。
 彼のお守りをする必要なんてなかったんですよ。でもいつでもすごく幼くて壊れやすく見えた。彼のお父さん(コーリン)が戻ってきて言ったんです。『彼は子ども扱いされたいとは思ってないし、そういうのは嫌だろう、彼が言っている言葉を聞けば非凡な才能がわかるだろう』ってね。
 もうその時から彼は信じられないライダーになるだろうとみんな言ってたし、結果だれも見たことのないようなライダーになりましたよね」
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トップライダーでも最初はエンストするんですね。ちょっとかわいい。

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ストーナーの思い出 その2

ひきつづきMCNより。第2弾はオーリンズの技術者アンディ・ドーソンがケイシーの特異な能力について語っています。
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「ストーナーの思い出」第2弾はオーリンズのサスペンション技術者のアンディ・ドーソンである。かれはドゥカティ時代からホンダ時代まで一貫してストーナーのサスを担当してきた。彼が語るのは2007年のバルセロナで行われたカタルニアGP。ストーナーがヴァレンティーノ・ロッシ、ダニ・ペドロサの2人を歴史的僅差で破ったレースだ。

「2007年のバルセロナではブリヂストンタイヤとのマッチングに少し苦しんでいてマシンに大きく変更を加えたんです。それが当たったんですね。リアのグリップが全然なかったんで重量配分を思い切って変えたんです。
 普通はここまでリアグリップを高めてしまうとまともには乗れなくなるものなんですよ。でもケイシーは普通じゃなかった。最初のタイムアタックで赤ヘルメットを全区間でつけてみせた。リアグリップを高めてやるだけで彼はすごく速く走れたんです。
 同じことをロリス(カピロッシ)にしたらまず乗れなかったでしょうね。あれが初めてヴァレンティーノと真っ向勝負して勝ったレースですね。その後も彼を何回か打ち負かしましたけど、それでもみんなケイシーのマシンが速いからだって言うんですよ。でも真相は違う。自分の実力でヴァレンティーノに勝ったんです。
 あれがシーズンのターニングポイントでした。僕らにも勝てるって自信を持てたんです。フィリップアイランドテストでのレースシミュレーションでロリスより速いタイムを出せたのもひとつのブレイクスルーですが、バルセロナで勝ったことでチャンピオン獲得が現実のものとして見えてきたんですよ。
 誰も彼の実力を信用していなかったし、みんな彼が速い理由を他に探そうとしていた。でも違うんです。速かったのは彼の才能なんです。彼は常に強い気持ちで自分を信じていた。あんなに速いライダーを僕は知りませんよ。純粋な速さだけでいったら彼みたいなライダーはいなかったんじゃないでしょうか。
 2006年のヴァレンシアテストで初めて彼がドゥカティに乗った時のことをまだ覚えていますよ。最終1個前の緩い左コーナーで最初からスロットルを全開にしていた。
 セテ(ジベルナウ)も同じエンジンだったんですけど、まるで2ストのスクリーマーに乗っているみたいだって言ってました。パワーの出方がオール・オア・ナッシングで、まるで猛獣みたいだとね。でもケイシーはそれを乗りこなして半日もするとその左コーナーでスライドを見せるようになった。データ至上主義の連中には信じられなかったでしょうけどね。
 その時点で彼がとんでもなく速いことはわかったんですが、でもまだクラッシュしたマシンを何度も修復するはめになるだろうとも思っていました。乗りこなすのが難しいマシンだったのにケイシーはそれが大好きだった。
 彼と働くのは常に刺激的でしたよ。誰よりも速いか、そうでなければマシンをクソの山だってけなすかでね。でもレースがスタートする日曜午後2時になればなんとか乗りこなしていたでしょ。
 彼は次善の策というのを受け入れてくれないんで、なかなか辛いこともありましたよ。彼といたら絶対自分を甘やかすことなんてできないですよ。セッションでケイシーがトップタイムを叩き出して、そこで自分の仕事が終わったなんて思ったら、その時こそ彼に怒鳴りつけられるんです。
 他のライダーと比べてどんなに速くても関係がない。最悪のことを考えてタイムシートのことは忘れなければならない。彼はいつでもより高いところを目指していたんですよ。
 たとえ2位に10秒差をつけて勝っても、問題点を指摘することがある。でも彼のせいで1秒でも遅くなることはないんだし、信じられないような乗り方ができるんだからそれでいいんです。それを間近で見られるなんて喜び以外の何物でもないんですよ」
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あまり耳にすることのないサス担当者の言葉ですが、偉大なライダーの近くにいる苦悩と喜びがよくわかりますね。

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ストーナーの思い出 その1

MCNにてストーナーの思い出を関係者が語るという企画が始まってます。
その第1弾はドゥカティ時代のチーム監督、ヴィットリーノ・グアレスキです。
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2012年、最終戦ヴァレンシアで3位に入ったのを最後に2度の世界チャンピオンに輝くケイシー・ストーナーはレザースーツをタンスにしまい、そして一つの時代が終わることとなった。

彼は史上最も速いライダーの一人に数え上げられているが、度重なるルール改定にがっかりし、さらには自らのモーターサイクルに対する情熱が失われてしまうことを恐れて27歳という若さで引退してしまったのだ。

38勝を上げたことはもとより、暴れ馬であるドゥカティ・デスモセディチを飼い慣らした唯一のライダーでもあることは特筆すべきだろう。彼は2007年には10勝をマークし、ドゥカティに初の世界タイトルをもたらしたのだ。

MCNがお送りする「ストーナーの思い出」シリーズの第1弾はドゥカティのチーム監督、ヴィットリーノ・グアレスキである。彼は2007年のカタールでの800cc時代の開幕戦で勝利をあげたストーナーにいかに衝撃を受けたかということから語り始めてくれた。

「初めてドゥカティに乗ったときから彼が速いこと、そして信じられないほどの才能を持っていることはわかっていました。でも思い出深いのは2007年のカタールでの初勝利ですね。
 あの年は僕らがいいマシンを用意できたというのもあるんですが、それでもチャンピオンを狙って最初のレースを勝つのはロリス(カピロッシ)だと思っていたんです。ケイシーが勝ったときには確かにすごく嬉しかったですけど、ちょっとがっかりしたことは告白しておきましょう。あの時点ではロリスが勝つはずだったんです。だってロングランではロリスがチャンピオンを獲るチャンスが大きかったんです。
 2007年にケイシーがチャンピオンを狙えるなんて思っていた人は誰もいないでしょう。でも10勝もした。信じられない結果ですよ。カタールではヴァレンティノ(ロッシ)とのトップ争いをしていたんだけど、残り2周となってもヴァレンティーノにはまだ余力があって勝利のためにアタックしてくるだろうと思っていたんです。
 でも実際はケイシーの方に余力があった。レースを完璧にコントロールしていたんですよ。彼が引退するなんて本当に残念ですね。まだ若いし、速さもあるし。パドックに大きな穴が開いたようなものですよ。彼みたいな人材は常に必要なんです」
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ちなみに2007年のカピロッシの成績は日本での優勝があっただけで、あとは表彰台が3回のランキング7位でした。それを考えてもストーナーはすごいですねえ。

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あけましておめでとうございます。

今年はごまかさない1年にするのが目標です。

まあいいか、という言葉を自分に禁じることからはじめよう。

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