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ケイシー・ストーナー、マシンを語る「どれが一番ってよく覚えてない。でも・・・」

イタたわGPで紹介されていたストーナーによる歴代GPマシン評の全訳です。
Cycle Newsより。

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ケイシー・ストーナーはその絶頂期に自らのキャリアに幕を下ろすこととした。彼がその決意を翻すことはないだろう。ストーナーはわずか4歳の時からレースを始め、14歳の時にはオーストラリアのレースライセンスを取るには若すぎたために家族からも離れることとなったのだ。
 国際ルールはそこまで厳しくはなく、イギリスとスペインでレースに参戦し、2001年にはまだオーストラリアの国内レースへの参戦資格はなかったものの国際ルールに則ってオーストラリアGPにワイルドカードで出場している。
 そこから話を始めよう。ストーナーはそれ以降、キャリアの最後にのったRC213Vに至るまでの1台1台について語ってくれたのだ。

2001:ホンダ125
 ストーナーがイギリス、そして主としてスペインで駆っていたがこのマシンだ。そのおかげでテレフォニカ・モビスター・ジュニアチームのダニ・ペドロサ、トニ・エリアス、ホアン・オリヴェと並んでモビスターの手によってワイルドカード参戦がかなった。自身初のオーストラリアでのレースである。このRS125は当時、国内外を問わず誰もが乗っていたマシンだった。オーストラリアGPでストーナーは予選19位。そしてレースでは当時既に名声を確立していた上田昇にわずか0.1秒差の12位でフィニッシュしている。
「このときのホンダは本当にスタンダードのままでした。98年のAキットはついていましたけど、ホイールもノーマルだし、その他もほとんどノーマルだったんです。Aキットはエキゾーストとエアボックスだけでしたね。だから遅かったですよ。でもいいバイクでしたね。のりやすかったし、というかそれがすべてだったんですが。スペイン選手権はこれで戦ったんです」

2002:アプリリア250(訳注:原文では125となっていますが250が正解)
 既に恐るべきティーンエイジャーとして名をはせていたストーナーはライダー兼マネジャーであるルーチョ・チェッキネロと契約し、チェッキネロとデ・アンジェリスが125cc、ストーナーとダヴィデ・チェカが250cc(訳注:原文ではここも125と250が逆になってます)という4台体制のサフォーロ・オキサイドチームに加入することとなった。この年のストーナーは年間ランキングは12位、最高位はブルノの5位だった。
「かなりハイスペックなマシンでしたね。だから周りの人がもっと僕を信じてくれたらもっといい成績を収められたはずです。チーフメカが僕といっしょにシーズンを戦いたかったかというと、本当のところはどうなのかなあ・・・。はっきり言われそうになったこともありますしね。浮き沈みが激しかったし、いろいろ問題もありました。
 アプリリアはいつでも乗りにくかったですね。でもうまく乗れたときはすごいんですよ。そこはドゥカティに似てるんですが、また違った意味ではあるんです。セッティングがすごく難しくて、でもセッティングが出ればすごく速かったんですよ」

2003:アプリリア125
 チェッキネロはライダーとしての最後の年にストーナーのチームメイトとして125ccを走っている。二人は激しい争いを繰り広げ、ストーナーはランキング8位、チェッキネロはランキング9位となった。この時のチャンピオンはダニ・ペドロサである。そしてこの年、ストーナーはヴァレンシアで初勝利を挙げている。
「シーズン後半になってやっといいフレームが手に入ったんです。それまではワークスよりちょっと劣るフレームだったんですよ。チェコでは転倒して鎖骨を折ってしまって、復帰線ではワークススペックになっていたんです。それで表彰台に立てるようになって最終戦では優勝できた。
 シーズン終わりには僕にとってはすごくいいマシンになりましたね。なんでいいフレームが手に入らなかったかというと、ルーチョがいい顔をしなかったからなんです。でもそのフレームが手に入ってからはいい成績が上げられたんです」

2004:KTM125
 オーストリア製のオレンジ色のマシンの復帰2シーズン目はフィンランド人のミカ・カリォとストーナーというラインナップであった。ストーナーは速さに定評はあったものの、クラッシュも多かった。結局1勝を挙げ、ランキングはチームメイトを遥かに上回る5位で浮き沈みの激しいシーズンを終えている。このときのチャンピオンはドヴィツィオーゾだった。
「シーズン通してずいぶんと変更が多かったですね。序盤戦はエンジンがすばらしかったですね。コントローラブルだし速かった。でもフレームには苦労させられたんです。なかなか開発も進まなかったし。シーズン中かなり一生懸命フレームに取り組んで、少しずつ良くなっていったんですが、今度はエンジンがだんだんダメになっていったんです。序盤戦ではいちばん速いエンジンだったのに、シーズン終わり頃にはいちばん遅いエンジンになってしまった。
 しかも1シーズンで40回ぐらいだと思いますけど焼き付きをくらってるんですよね。信じられないでしょ。これにはかなり苦労しましたね。でもこれがKTMの翌年につながったんだと思います。僕は焼き付きでは一回しか転倒してませんけど、それは手首を骨折して手術した後でテーピングしてたんでクラッチを切るのが遅れたんですよね」

2005:アプリリア250
 再びルーチョ・チェッキネロのもとに戻ったストーナーの今度のチームメイトは元チャンピオンのロベルト・ロカテッリだった。そしてストーナーのライバルはワークスホンダを駆る終生のライバル、ダニ・ペドロサだった。そしてライバルは他にもいた。ドヴィツィオーゾとホルヘ・ロレンソである。ケイシーとダニのタイトル争いは激しく、シーズン終盤までどちらがチャンピオンになるかわからなかったが、結局ストーナー5勝、ペドロサ8勝でタイトルはペドロサのものとなった。そして二人は翌年MotoGPクラスで相まみえることとなる。
「またスペックの劣るマシンだったんですよね。それにしてはみんなよくがんばったと思いますよ。何回か勝てたし、戦闘力もあったし。でもいろんなとこでミスもしましたね。シーズン終盤に向けて良いレースもできました、それにバランスは取れていたし、シーズが終わるまで大きな変更がなかったのも良かったですね。
 フィリップアイランドでタイトルの望みがなくなって初めて速いパーツがもらえたんです。少し馬力が上がってしかも下からパワーが出る。これが大事なんですよね・・・。すごく乗りやすくなるんですよ。でもちょっと遅すぎたんですよねえ。まあ全体としてはバランスも取れていて、2002年みたいな感じでうまく乗るのは難しいけど当たれば速いっていう感じでしたね」

2006:V5ホンダRC211V
 野心溢れるチェッキネロの今度のターゲットは最高峰クラスだった。ホンダからリースの約束を取り付けるとストーナーと契約した。990cc時代の終わりはストーナーの伝説の始まりともなったのだ。第2戦のカタールでポールポジションを獲得し、第3戦ではマルコ・メランドリに0.2秒差で敗れるまでは勝利の可能性を感じさせた。しかしそれが彼のシーズン最後の表彰台となった。予選は速いがレースではトップ争いについていこうとしてクラッシュしてしまうといういつものパターンに陥ってしまったのだ。これについてはタイヤのせいだとストーナーは言う。
「いままででこれが一番好きなマシンかもしれませんね。MotoGPマシンではいちばんワイルドだったかもしれませんけど、あの5気筒は最高でしたね、不満を覚えたことはないですよ。
 サテライトバイクではタイトルは絶対とれないって言う人がすごく多いけど、そうは思わないですね。チーム力があればタイトルも獲れると思いますよ。マシンの問題だけではないんです。ホンダのサテライトバイクに乗っていたときにはタイトルが獲れると本気で思ってましたしね。
 確かに苦労はしたシーズンですよ。特にタイヤが問題でした。でもマシンは僕のキャリアを振り返っても最高のマシンでしたよ」

2007-2010:ドゥカティ・デスモセディチ800cc GP7/8/9
「見れば誰にでもわかると思いますけど、正直言ってかなりマニアックなマシンでした。すごく乗りにくかったしセッティングも難しかった。でもうまくいったときにはめちゃめちゃいいマシンだったんですよ。最高速だけを見て、あれだけ速いならレースも楽にできたろうって言う人が多すぎますよ。あれに乗ったライダーはみんな、もっとコントローラブルなエンジンとマシンがほしいって言ってるんです。
 マシンの特徴に合わせてのるべきなんですけどね。そこが他のドゥカティライダーと僕たちの違うところじゃないでしょうか。マシンの強みを最大限に生かして弱みは最小限に抑える。それで闘えるマシンになるんです。タイトルを目指して闘えなかったのは2010年だけだと思いますよ。他の年は手首を粉砕骨折しちゃったり、2009年みたいに病気(訳注:乳糖不耐症)になったりと不運が重なっただけでマシンは良かったんです」
 ドゥカティは昨年マシンを大きく変更した。スチールのトラスフレームがカーボンのエアボックス一体型のシャーシになったのだ。ロッシはずいぶん嫌ってたが、ストーナーはそれはかなりの改善だったはずだと言う。
「もちろんその方がいいに決まってますよ。だっていつまでもトラスフレームのままじゃまずいでしょう。あれはすごくたくさん問題があって、結局最後まで解決できなかったんです。あと鉄フレームって剛性のコントロールが難しいんですよ。カーボンなら自由に剛性を設定できるし、マシンも改善できるんです」

2011-2012:ホンダRC212V800、RC213V1000
「800は僕的には言いバイクでしたよ。でも1000と比べちゃうと1000の方が圧倒的にスムーズだしトルクもあって乗りやすかったです。800の方が少しだけ向き変えが楽なんで軽快には思えるんですけどね。
 でも基本的には同バイクですね。あんまり大きな違いはないんです。でも1000の方があらゆるところが進化しています。
 今年の1000のパフォーマンスには心から満足しています。ドゥカティに比べるとすごく洗練されてますね。ドゥカティはいろんな意味でワイルドでしたから。っていうかワイルドすぎでしたね。ホンダはすごく洗練されている。だからバランスのいいポイントを見つけるのも楽だったし、セッティングやら何やらを変えても大きくは変わらないんです。だから楽はできましたね」
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相変わらず歯に衣着せぬストーナーですな。

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