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ローマ皇帝の運命

引退したビアッジについてジャーナリストのDean Adams氏が書いています。超長文ですが、ビアッジファンの私としては訳さずにはいられませんよ。Superbike Planetより。

長いので「続きを読む」方式で。
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イタリア人マックス・ビアッジ。6つのワールドタイトルを保持している彼が引退を表明したのは昨日、自分の故郷であるイタリアでのことだった。彼ほど純粋なレーサーはまれだったと言えよう。自分の仕事は勝つこと、そしてチャンピオンを獲ることだと信じ、それを止めるものは何もなかったのだ。マックスはバイクレーサーに必要な三種の神器、すなわち速さとスムーズさと自信を兼ね備えていた。

マックス・ビアッジが「ローマの皇帝」と呼ばれるのは、彼がローマ生まれだからというだけではない。帝国を支配できるだけの個性を備えていたからなのだ。ライダーなら誰でも自分が、自分だけがチームの中で大事な存在であると考えている。しかしPRの場ではそういった考えは裏に隠されるものだ。でもマックスは違った。ネロやアウグスティヌスやカリギュラがもしレースをしたらどうだったろう。それこそまさにマックスが体現していたものである。冷淡かつ無情、自らを信じ、もし物事がうまくいかなければ責任ある者はすべて死ななければならない。キャリアの終わりには少しは優しくはなったが、しかしその前までは、つまりキャリアを通じてほとんどの期間、ビアッジは自分のチームの誰かがミスを犯すことを許すような人間ではなかった。ミスをなかなか受け入れないのではない。ミスを全く許さなかったのだ。

この小さいながらも傲慢とも言えるライダーのルーツはどこにあるのだろう。ロッシやロレンソ、ヘイデンは第2世代のレーサーである。小さい頃から父親にレースを教えてもらっていた。しかしビアッジは10代後半になるまでレースとは関係のない日々を過ごしていたのだ。マルコ・ルッキネリやヴァージニオ・フェラーリのポスターを貼っていたわけでもない。バイクに出会うまでマックスはローマの才能あるサッカー選手だった。誰かが彼が17歳になったときバイクを彼に渡し、そして彼はレーサーになることを決意したのだ。すぐにアプリリアワークスに加入し、アプリリアにいたすべての年寄りライダーを駆逐していった。ロリス・レジアーニ、ピエール・フランチェスコ・キリ、そして他にも多くのライダーがマックスの才能に恐れをなした。マックスのおかげでアプリリアはレース界に道を拓いたと言っても過言ではなかろう。

レーサーとしてのマックスは、尊大なだけでたまに勝つ実力を持つだけの大したことのない人物だったのではない。マックスは最高のライダーだった。ビアッジは1990年台に250ccで4連覇を遂げたあと500ccに上がってきたが、エディー・ローソンは「マックスのようなちびはどうせ500に乗ってすぐ転んで、ケツから藁くずを引っ張り出さなきゃならなくなるんだよ(訳注:今の人は知らないでしょうけど、昔はクラッシュパッドは藁束だったんです)」と予言したものだ。ビアッジはしかしそんなことを言うライダーがいるとは考えていなかったようだ。かれは最初の500ccでのレースで最速ラップを叩き出しポールを獲って見せただけでなく圧倒的な強さでレースを勝ったのだ。最初のレースで勝ったことはビアッジの最高の瞬間の一つである。

マックスが獲得した4つの250ccタイトルと2つのワールドスーパーバイクのタイトルがあれば誰でも喜んで引退するだろう。しかしビアッジのキャリアを最も印象づけるのはチャンピオンを獲った年ではない。それはヤマハのワークスライダーだった時代である。ビアッジは1999年から2001年にかけてヤマハの500ccに乗り、そして勝利を挙げさらに2002年にはヤマハのMotoGPマシンでも闘っている。これはスーパーバイクに毛の生えた程度の、とてもルールブックをまともに読んで作ったとは言えないような代物だった。インジェクション時代にキャブでしかも990ccの上限をはるかに下回る排気量しかなかったのだ。それでもビアッジはこのマシンでレースに勝った。そしてビアッジにとってはM1こそが最も思い出深いマシンなのだという。本当かって?なんでヤマハなんだって?最も言わないだろうということを言ってみせるのもマックスの特徴なのだ。

マックス・ビアッジのGPキャリアの最後にあたる第三章はヴァレンティーノ・ロッシとの激しいライバル関係により、すべての人の脳裏に刻み込まれることになった。2人のライバル関係は雑誌や新聞記事を賑わすこととなった。カタルニアGPの表彰台裏でのパンチ事件(訳注:ビアッジだかビアッジのおじさんだかがロッシに殴りかかった事件)はその象徴である。しかしマックスはロッシがやってくる前から敵役だった。そのおかげで彼はキャリアのほとんどの期間、同情されることもなかったし、それを要求することもなかった。それは孤高の野獣、あるいは皇帝として仕方のないことなのだろう。マックスがまじめでしかつめらしいのはレースの日に限ったことではない。毎日そうなのだ。

マックスの観点からロッシ現象を分析すると全く違った側面が見えてくる。ライダーの仕事とは何か?レースに勝ちタイトルを獲ることなのか。マックス・ビアッジは250ccのタイトルを異なるメーカーで4回獲っている。そして500に上がりレースにも勝ち、4ストローク時代になっても勝利を上げている。それも2つのメーカーでだ。ロッシが500ccに上がって来る前でもビアッジは十分な仕事をしているのだ。イタリア国内では英雄に、ジャコモ・アゴスチーニのような伝説になってもいいはずだった。その全盛期、アゴスチーニが自分のサインを光らせた車で走っていると人々は彼のために道を空けたものだ。そしてどこのレストランでも予約無しで席を確保することができた。

しかしマックスにはこうした待遇は与えられなかった。ビアッジがレースに勝ちタイトルを獲っているとき、イタリアの山間部の町生まれのグーフィーのような子どもがしゃしゃり出てきてビアッジの栄光と、そしてもっと大事な何かを奪っていったのだ。イタリアに住んでいない者にとってはその社会的ダイナミクスやイタリア特有のカースト制度を理解するのは非常に難しいことなのだが、イタリアの山間部や南部から出てきた人間は、ミラノやローマやフィレンツェの国際的都市の人間からは、せいぜい粗野なヒッピーくらいにしか思われていないのである。都会の人間は彼らを「土臭い(terrones)」とまで呼ぶのだ。ヒッピーの両親に自由に育てられたことはロッシの魅力を形作っている、ファンは彼のおどけた様子や誰もが惹かれる魅力にまいってしまい、最初はイタリアで、そしてついには世界中でレース界のアイドルとして認識されるようになった。

ビアッジにしてみれば最初の内はロッシの行動はつまらないものだった。カメラの前で愛想をふりまいたりすべきではないし、勝ったときだけ笑顔になるべきだし、それも十分な差をつけて勝つべきだ。サーキットに友達を連れてきてセッションの間に騒ぐなどもってのほか。初めてビールを飲んだときみたいにずっと笑い続けているとは何事。もしマックスが友達を連れてきてもずっと隠しておいたろう。クールダウンラップで仮装して安い芸人のような真似をすべきなのか。そんなはずはない。クールダウンラップはマックスが他のライダーすべてを蹴落として勝利したことを観客にわからせるためにあるのだ。マックスが写真に収まるのはヘリコプターでやってきたスーパーモデルと一緒でなくてはいけない。彼こそがライダーなのだ。

ロッシ現象が盛り上がってきたときにイタリアに住んでいたベン・ボストロムは、ロッシがイタリアマスコミを席巻しつつあった当時を思い出してこう言っている。「まるでロックスターだね」と。しかし後になってその発言は間違いだったことがわかる。ロッシは一晩にしてロックスター以上のものになったのだ。

ロッシは間違いなく速かったしカリスマ的な魅力もあった。しかし彼自身がそう思ったのか誰かがアドバイスしたのか、それとも運命なのか、ストーリーをより魅力的にするには敵が必要だった。ビアッジがロッシをサーキットで殺そうとしているように見え始めてからは、ビアッジはロッシ・サーガの敵役として形作られていったとも言える。マックスはあまりこの件について語りたがらないが、もし本当にロッシを憎んでいるかもう一押し聞いてみれば彼は答えただろう。その通りだと。

マックス・ビアッジになったつもりで考えてみるといい。よし、自分の仕事はした。タイトルを4回獲って、トップカテゴリーでも勝った。なのに気付くと街中にはロッシの等身大のポスターが溢れ、テレビをつければロッシがトークショーで愛想を振りまき、テレビニュースではイタリアの大統領が何を言ったか報道する前に毎日ロッシの映像を流している。ロッシはどこにでもいる。ラジオをつけても雑誌をめくってもショーウィンドーをのぞいても。ドルナはロッシが金を生むことに気付いてロッシを宣伝するためにならなんでもした。こうして山間の町からでてきた奇妙な見た目のガキはマックスの人生のどこにでも現れることになったのである。マックスは真のレーサーとカリスマレーサーの違いをまざまざと見せつけられた。世間が速いライダーが同時にゲームショーの楽しいホストであることも要求するようになったことを受け入れなければならなかった。それこそマックスから最も遠く離れたものだったのに。こうした日々の中でマックスはモンテカルロに長く居住し、冬のためにカリフォルニアにも家を買った。その理由はたくさんあるが、この二つの場所にはロッシマニアがいないことがその第一の理由であるのは間違いない。

ジェネレーションギャップという意味ではビアッジ自身も年上のライダーとはうまくいっていなかった。子どもの頃に誰かのポスターを貼っていたわけでもなく、GPの歴史についても全く知らなかったのだ。しかしそれがマックスなのである。彼の仕事は、自分でもそう思っていたろうが、年寄りライダーたちを博物館送りにするような走りをすることだった。それゆえロッシとのメディアバトルが始まったとき、ビアッジを助けに来る騎兵隊はどこにもいなかったのである。レース界の貴族であり、誰もが信頼するライダーであるアゴスチーニですらテレビで、マックスはもう年寄りなんだから引退した方がいいと言い放っている。これは2002年のことだ。

ロッシとのバトルが激しくなってもビアッジの味方は現れなかった。ロッシがマスコミ内に友人とそしてペットを確保している一方でマックスは雑誌を手にメディアセンターに殴り込み、自分の意に沿わない記事を書いたライターのラップトップをぴしゃりと閉じながら、別の仕事を探せと言い放ったりしていたのである。

ビアッジはこの見解に賛同はしないだろうが、GPキャリアの終わり頃にはある意味きちがいじみてきたのも事実である。ロッシのポスターとロッシのファンで埋め尽くされた世界でマックスは自分の中に引きこもり、サングラスをはずすときはいつでもしかめ面だった。彼はあらゆる人と戦争状態に陥っていたのだ。ロッシとその他のライダーとはもちろん、チームスタッフやメーカーの代表者とも闘ってしまったのだ。いつもは控えめなヤマハのトップ、リン・ジャーヴィスですらこう言っている。「ホルヘ・ロレンソとロッシを同じ屋根の下に住まわせた数シーズンのストレスですら、マックス一人と過ごした1シーズンに比べればなんでもないものだ」と。怒りにまかせてビアッジは夜中にチーフスタッフであるアーブ・カネモトの家に電話をかけて怒鳴り散らしたこともある。アーブが寝ていて、80歳を越えたアーブの父ハリーが電話に出ても、相手が誰だろうが気にせずマックスは怒鳴り散らしたことも一度ではない。

ビアッジはヤマハを離れることとなった。彼のメカニックの一人によればチーフメカにも他のスタッフにも何も言わずにやめたとのことである。1999年(訳注:2003年の間違いか)には250ccタイトルを獲ったときのパートナーであるホンダに戻り、サテライトのポンス/キャメルチームで、その後はヤマハに移籍したロッシの後釜としてレプソル・ホンダチームに加入することになる。キャメル・ポンスチームで勝利を挙げていたマックスに期待されていたのは、9回勝を挙げた(その内1回は10秒のペナルティを受けたフィリップアイランドだ)ロッシと同様にRC211Vを駆って他を寄せ付けない強さを見せ、ホンダのテクノロジーの凄さを証明することであった。ワークスチームではロッシと同様の待遇を受け、アーブ・カネモトをチーフメカとしたビアッジには大きな期待がかかっていたのだ。

しかしビアッジはロッシの業績を繰り返すことはできなかった。関係者によれば、他のライダーが自分のセッティングを盗んでいるとビアッジが疑い始めたことで状況はさらに悪くなったという。そのせいでマックスはレース直前まで自分のセッティングを誰にも、チームスタッフにさえ言わなかったのだ。

キャリアを通してマックスは自分しかサーキットにいないように走り、そして生きた。もちろん彼は他のライダーが彼の走り方に文句を言えば、それがレースだろうと答えていた。ダンスをしているわけじゃないと。サーキットではビアッジは正しくローマ皇帝だった。彼の悪名高いコーナーリングチョップ(後ろのライダーのフロントホイールに自分のマシンのリアホイールを当てるテクニック)のせいでますます他のライダーとは険悪になっていた。ヘレスのプレシーズンテストでのこと、アール・ヘイデン(訳注:ニッキーの父)がモーターホームを叩く音がしたので、スペインのファンかと思って外に出てみるとそこにはマックス・ビアッジの胸ぐらをつかんでモーターホームに押しつけ、今度自分のフロントホイールにマシンを当てたら忘れられないくらいに殴ってやると言っている息子の姿を見つけたのである。その時彼らはチームメイトでしかもシーズンは始まってもいなかったのに。

マックス・ビアッジの2005年は最悪の年になった。250ccで15戦中9勝したときのような最高の環境ですら彼は文句を言い、冷酷で好戦的だった。このため2005年の半ばにはチームとビアッジの仲は険悪なものとなっていた。そしてシーズン終わりにはまるで無人島に流れ着いたロビンソン・クルーソーのようにひとりぼっちだった。シーズンが終了したときホンダは、ビアッジは好きなMotoGPでマシンで走っていい、ただしホンダ以外に限る、と言ったという噂も流れたほどである。さらに悪いことにロッシがヤマハM1で2度目のタイトルを獲得し、世界はロッシファンで埋まってしまったのだ。ビアッジはすごすごと家に帰るしかなかった。

1シーズンをサーキットから離れてガールフレンドで元ミスイタリアのエレオノラ・ペドロンと過ごしたことでビアッジは精神的に癒されたようだ。冬の間はカリフォルニアに行き、ホンダのモタードバイクで毎日走り、近所の人と会話を交わし、スターバックスで見知らぬ人とおしゃべりをしていた。マックス・ビアッジもMotoGPも知らない人に出会ったのだ。ビアッジは自分がヨーロッパのレースシーンでの有名人であるとは明かさなかった。2006年がビアッジが人間であることを取り戻した年というのは言い過ぎだろうが、彼を知る人は誰もが2006年にビアッジはリラックスすることを覚えたのだと思っている。作家のエリック・ジョンソンはビアッジがカリフォルニアにいるときに一緒に遊んで友達になったと言っているが、私はその話にすごく驚いたものだ。マックスとの関係を「友達」だと言う人は初めてだったからである。

マックス・ビアッジは2006年はレースをしなかったが、心はレースとともにあった。WSBKで走らないかという申し出もあったし、実際にアルスター・スズキでは何回か走るという話もあったが、それは実現しなかった。将来何をするか決められず、ビアッジは他者にアドバイスを求め始めた。マックスがそんなことをするとはと驚いた人も多かったようだ。かつてビアッジの広報マンを努めたイタリア人のミケーレ・モリセッティはその夏に知らない番号からの電話が携帯にかかってきたのを覚えている。それはビアッジからだった。「バッタのためにWSBKで走ろうと思ってるんだけどどうかなあ」と聞いてきたのだ。モリセッティはびっくりして言葉を失った。質問にびっくりしたのではない。マックスが自分に電話をかけてきたことに驚いたのだ。さらにはある筋によればビアッジとWSBKのドン、パオロ・フラミニは毎日のようにビアッジをWSBKで走らせるための契約について電話で話し合っていたという。そのすぐ後にアルスター・スズキが微味を2007年に走らせるという発表をしたのだ。

MotoGPでは誰も雇ってくれない状況ではあったがWSBKの主催者はビアッジをほしがっていた。ビアッジを大事に扱い、彼を走らせるために精一杯の努力をしていた。WSBKはとにかくビアッジのようなスターライダーを走らせたかったのだ。当時のWSBKはビアッジのようなライダーが走る場所ではなかったのだが、しかしWSBKの気の置けない雰囲気のパドックにこそ彼の居場所はあったのだ。

これはある意味でビアッジのキャリアで初めての「後退」である。少なくとも技術的な視点からは。250ccではアプリリアワークスからホンダに移り、そしてヤマハの500からヤマハのMotoGPマシン、そして最後はホンダのMotoGPチームと常によりよい環境に移っていた。しかし今回はカーボンブレーキやプロトタイプエンジンからスチールブレーキ、そして市販エンジンへの都落ちである。ハンドメイドのミシュランはふにゃふにゃのWSBKタイヤになってしまった。マックスがそんな選択をするなんて誰が思ったろう。そしていつものビアッジパターンである。彼はWSBKの最初のレースで勝ってみせたのだ。

それからの6シーズンでビアッジは2度のタイトルを獲得し、文字通り、そして比喩的にも裕福な人間になった。

マックスは社交的でもなければ人を思いやるタイプでもない。それは彼の持って生まれた性格ではないのだ。ビアッジはWSBKでもサングラスをかけてストイックな雰囲気を漂わせながらピットに座っている。しかし表彰台では彼を負かしたライダーに祝福の握手を与えているのだ。そして3位でフィニッシュした後でさえドライな微笑みをたたえている。雇い主とレベルの低い喧嘩をすることもあればキレることもあるが、それでも人間的な感じにはなっている。マックスが2008年もMotoGPライダーを走らせたいならMotoGPなみの契約金をよこせと言ったときにフランシス・バッタは心臓がとまりそうになっただろう。マックスはスーパーポールの後マルコメランドリの頬を叩いても(訳注:まあ「ぺちぺち」ってくらいですがね)、後から謝っている。2012年の初めにビアッジとは関係のない理由でチーフメカやめることになったときには電話をかけてまで引き留めようとしたほどだ。

マックスには2人の子どもがいて今ではレースより子どもの話をする方が楽しそうだ。相変わらず冷たいし、抱きしめたくなるような相手ではないのは確かではある。しかしポルティモアでの1日の終わりのことだ。暗い中で自分の車を探しているときにビアッジが自分のスクーターにまたがって、人々と話しているのが見えた。最初はスクーターがガス欠になったのかと思ったが、実はビアッジはファンとの会話を楽しんでいるだけだったのだ。これが2005年に苦悩し続けた同じ人間なのかと私は感銘を受けたものだ。

当時ビアッジはレース後の人生をどうするんだろうと心配してあげなければならない種類の人種だった。レースをやめた後もその緊張感が忘れられないまま無名の人生に落ちていく者もいる。そして普通の生活になじめず人との関係も保つことができずに人生が壊れていくのだ。しかし今のマックスは地に足がついている。相変わらず完璧主義者であり、馬鹿には厳しいのだが、しかしなんでもかんでもが核の冬を引き起こすわけではないのも事実なのだ。

4回の250ccタイトルと2回のWSBKタイトルを獲ったとしてもビアッジはヴァレンティーノ・ロッシに結びつけて語られることになるのだろう。コース上でのバトルと、メディアを通じた場外乱闘と、バルセロナでの殴り合いと。46のことをマックスの前で話題にするのはなかなか厳しいことではあったが、もし今ファンや友人が彼にロッシについて聞けば首を振りながらこう答えるだろう。「ああ、僕は巨人を倒そうとしたんだけどね・・・」
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ああ、ロッシが引退してもここまでの長文を訳す気にはなれないだろうなぁ。

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コメント

マックスはなあ…
原田の天敵であったがために自分の中ではどうしても敵役のイメージしかない。
でもそれだけ素晴らしいライダーであるということでもある。
92年にアプリリアの250で走った頃からでも20年以上第一線に居続けてそれがいつでもチャンピオンを争ってなんて、できることじゃないよね。

投稿: サトウ | 2012/11/16 18:07

日本人が最高峰クラスでチャンピオンを取ってないのが、不思議でしょうがない僕ですが、あのビアッジが、、、と思うと納得できそうにもなります。ビアッジの語る 原田 ノリック 芳賀 加藤 あたりをいつか聞き出してくれませんか??あと、チームメイトだった加賀山選手は、どう思っているんだろう?

投稿: crs | 2012/11/16 19:14

>サトウさん
 やっぱり原田の「ビアッジに負けたんじゃない、アプリリアに負けたんです」は名言ですよねえ。
 私はビアッジの勝負弱さも含めて大好きなんですが、それでも20年間がんばっちゃうんだから並大抵ではないですね。

>crsさん
 ああっ、この記事って海外の記事の翻訳なんで、私が聞き出せるわけではないんですよ。あ、ビアッジをフォローしてツィッターインタビューとかすればいいのかな?できるかどうかわからないけど。
 しかし原田をどう思っていたかは是非聞いてみたいですね。

投稿: とみなが | 2012/11/16 22:21

あれ、フォローしてたわ>自分。ビアッジが全然ツィートしないんだな。

投稿: とみなが | 2012/11/16 22:24

いや、ちゃんとツィートしてるわ。なんで表示されないんだ?

投稿: とみなが | 2012/11/16 22:33

とりあえず本人にメンション飛ばしてみた。

投稿: とみなが | 2012/11/16 23:16

長文翻訳ご苦労様です!ビアッジにストーナー…大好きなライダーが二人同時に引退してまった喪失感はハンパ無いです…。原田の引退記者会見にひょっこり現れ、「哲也は真のライバルだった。今の自分があるのは彼のお陰だ」と称えたっていう話を聞いたときは感動しました。ちなみに原田もモナコに住んでるので街中でバッタリ会うこともあるそうですよ。気さくに会話してるようです。

投稿: キヨシ・ムステイン | 2012/11/17 09:10

>キヨシ・ムステインさん
 何を話しているか聞いてみたいですね。カピロッシの話題とかかなあ(笑)。

投稿: とみなが | 2012/11/17 16:02

そのカピロッシもモナコに住んでて原田の子供とカピロッシの子供が手を繋いで一緒に学校に通ってるってRACERSに書いてありましたw

投稿: キヨシ・ムステイン | 2012/11/18 11:46

>キヨシ・ムステインさん
 いい話だ〜!

投稿: とみなが | 2012/11/18 22:19

再読しました。
競技面はもちろんのこと人間性においても、
オールラウンダーより気難しげなスペシャリテが好きなんですよね。昔から笑

若い頃のビアッジは一人彷徨するコヨーテのようでしたな。
小さい体だけど敏捷で、獰猛で、美しい。

ホルヘがこの人にシンパシーを感じるのも然りでしょうね。
というより『こう在りたい自分』のロールモデルなのかも。

ああなんだか淋しいなぁ。
でも皇帝、綺麗な妃とどうぞお幸せにね。

投稿: りゅ | 2017/06/29 15:29

>りゅさん
 なんかねぇ、辛いですねぇ。でも実はロッシがいてこそのビアッジだったというのも悔しいけど本当なんですよね、きっと…。

投稿: とみなが | 2017/06/29 21:29

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