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ヤマハの”いちばん偉い人”、古沢政生氏インタビュー(前編)

CRASH.netより。ロッシと並んでヤマハの黄金期の立役者である古沢政生氏へのインタビューです。
長いので3パートに分けて掲載。しかも今回は全文だよ。
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「コーヒーはいかがですか」
セパンのワークスヤマハのピットで、テーブルに向かって歩きながら古沢政生は言った。ホスピタリティの誰かがコーヒーを入れてくれるのを待つのではなく、古沢自身がコーヒーマシンに向かい、エスプレッソを持ってきてくれたのだ。

これはささいな一例にすぎないが、古沢の人となりを良く表している。もうすぐ60歳、ヤマハワークスでは最も力のある人物であり、MotoGPにおいても大きな力を持っているにもかかわらず、地に足の着いた、基本をおろそかにしない人なのである。

去年の11月、ヤマハでの古沢の最後のレースとなったヴァレンシアで、ヴァレンティーノ・ロッシはこう言った。「まずは古澤政生さんに感謝しないとね。彼とはたいへんな思いを一緒にして、最高のマシンを作り上げたんだ」

あと1か月ほどで古沢はヤマハを退職することになる。彼の残した業績ははかりしれないものだ。2003年には1回しか表彰台に上がれなかった(「最悪の時でした」)マシンを、3年連続3冠(ライダー・メーカー・チーム)をかざる最高のマシンに仕立て上げたのだから。

古沢の正式な役職は「MC事業本部技術統括部長」というものである。しかしロッシに言わせれば「ヤマハの一番偉い人」になる。それだけではない。彼はYZR-M1のクロスプレーンクランクの生みの親なのである。

今回のインタビューで古沢は幅広い分野について率直に語ってくれた。MotoGPへの参加の頃、ロッシ(「彼は王様ですね」)や新チャンピオンであるホルヘ・ロレンソとの議論、ヤマハの失敗と最良の時、さらには最先端の技術についてまで。

また、永遠のライバルであるホンダ(「ホンダの中には私を殺したいと思っている人がたくさんいますよ」)や、2011年にロッシと契約した後にドゥカティがアドバイスを求めてきたことなども話してくれている。

Q:古沢さん、ここでお会いできて光栄です。将来についてはもう決まりましたか?

古沢:あと1か月半ほどで定年ですが、この2〜3年、そのことについて話し合ってきました。引退することも含めてね。最後の2〜3か月はヤマハ発動機の社長にも残ってくれと言われたんですが、お断りしたんです(微笑)。
 ちょっと長くMotoGPにいすぎましたね。2003年に始めたときにはここまで長くいることになるとは思ってもみませんでした。あの頃ヤマハは辛い状況にありました。10年もチャンピオンから遠ざかっていましたし。私がMotoGPの責任者に任命されたんですが、その目的はすべてを変えることでした。
 長くても5年くらいだと思っていたんですが、2006年と2007年に大きな失敗をして、ヴァレンティーノがすごく怒ったんですよね。

Q:それは古沢さんがレースから離れていた時のことですか?
古沢:そうです、そうです。ちょっと外にいたんですよ。それでヴァレンティーノがすごく怒って、私をサーキットに引き戻したいって。それで戻ることにしたんです。それ以来、ずっとMotoGPから離れていません。
 ご存じの通り、2003年まではレースについては素人だったんです。観戦したことすらなかったんですよ!その前までも、ヤマハ発動機の中であっちこっちに異動してばかりだったんです。何かトラブルがあると、そこに突っ込まれるんですよ。

Q:つまり「トラブルシューター」ってことですね?
古沢:そうなんですよ。「必殺仕事人(Sophisticated Troubleshooter)」とか「フィクサー」とか呼ばれていたんです。でも楽しかったですよ。
 人生は短いですからね。私の義父は75歳で亡くなっているんですが、私も今月には60歳ですよ。誕生日がロッシと1日違いの2月17日なんです。
 そう考えると死ぬまであと15年しかないんですよ。趣味もたくさんあって、でもレースをやってたら趣味の時間なんてないんですよ。それで引退することにしたんです。
 3月24日に仕事を終わることで話ができています。何人かは「やめるな」って言ってくれてますけど、「もう十分やったよ」と言い返してるんです。一応、一年間はヤマハのアドバイザーをやることにはなってますが、アドバイザーなら暇もあるでしょうから。
 7年もやったんで、レースが趣味のひとつになりました。次のセパンでのMotoGPテストとカタールには顔を出す予定です。カタールテストの直後に日本に帰って、カタールのレースはテレビかネット観させてもらいます。ビールを飲みながらね。
 MotoGPを責任なくファンとして楽しむのはそれが最初になりますね。今年も相当激しい闘いになるでしょう。ホンダのストーナーに、ドゥカティのロッシ、そしてヤマハのロレンソがいますから。
 去年はある意味つまらなかったですよね。ヤマハが強すぎましたから。もちろん私にとってはいいことなんですが。ヤマハMotoGPプロジェクトにどっぷり浸かってましたからね。でも今年はヤマハのアドバイザーに過ぎません。

Q:アドバイザーというのはMotoGP専任ですか?
古沢:いや、何でもありですね。メインはレースですが。
 アドバイザーの仕事が終わったら個人的な趣味に専念したいと思ってます。バイクに、車に、スノーモービルにATV、マリンジェットに海釣りに、彫刻、絵画と、とにかく忙しいんです。

Q:あなたがいなくなったらヤマハは2006年、2007年みたいにならないでしょうか?
古沢:2006年と2007年については、私が離れるのが早すぎましたね。自分の失敗からもたくさん学んでいますよ。自分の知識や技術はすべて幹部に譲り渡せたと思っていますし、ヤマハはこれからも勝ち続けるでしょう。
 2004年と2005年は確かにチャンピオンも獲れて、成功と言える年でしたが、その後の2年間は失敗でしたね。その後の3年間は3冠ですから、良い気持ちで引退できますよ。
 でも偉そうにしてる暇はないですね。誰かを見下したら、足下をすくわれますよ。ライバルは勝つのに必死ですから。これは私の遺言でもありますね。

Q:M1の最初のバージョンはキャブ仕様でしたが・・・
古沢:そうでしたね。2002年のことですね。2003年にはキャブからフューエルインジェクションへの移行と、カムをチェーンドライブにするよう進言しました。
 仕事人としてトラブル解決に当たるときにはコンサルタントのように外から見て、ああしろ、こうしろと言ってればよかったんですが、MotoGPではそういうわけにはいかなかったですね。2003年にMotoGPプロジェクトに参加してショックを受けたんです。「やべぇ、こりゃ全部自分の責任じゃん」ってね。
 それで2003年の結果は表彰台が1回という最悪のものでした。2003年は地獄でしたよ。
 何もかもがまずい方向に行ってました。とは言え、私はレースの素人なので、とにかく論理的に考えて分析し、自分の経験を加えて、アイディアを出すようにしました。でも現実は思った通りにはいかないって、疑ってかかるひともいましたよ。私のことを見て「言ってることはわかるけど、現実は違うよ」って思ってるんです。
 みんなを納得させて同じ方向に向かせるのは本当に難しかったです。それでちょっとしたトリックをしかけました。ビッグバンエンジンのもとになるクロスプレーンクランクを思いついたのは私がMotoGPに参加してすぐのことだったんですが、すぐに設計にかかって、半年後に最初の試作機をヤマハ本社の近くのテストコースで走らせたんです。
 みんなが見守る中、テストライダーに最初に「遅く感じる」って言わせたんです。それで、みんな「うーん」って感じで私を見たんですよ。「あんたがこれを考えたんだろう」って。でもその後でテストライダーに「でもラップタイムは出るんですよ。すごくスムーズで安定してるんで遅く感じるだけなんです」って言わせたんです。
 それが2003年のクリスマスの頃でした。そしてロッシがヤマハに移籍して2004年の1月に初めてセパンで乗ったんですが、クロスプレーン仕様に5〜6周乗って、帰ってきて「これは今までに乗った中で最高のマシンだ」って言ってくれたんです。まだ全然パワーが出てなくて遅かったにもかかわらずです。
 いろんな仕様をとりそろえていました。4バルブ、5バルブ、クロスプレーンにシングルプレーン。その中でロッシが気に入ったのは4バルブ+クロスプレーンだったんです。
 それまではみんな新型エンジンを見るのもいやがってました。ヤマハはずっと5バルブでうまいことやってましたからね。みんな「なんでいまさら5バルブを捨てなきゃなんないんだ」って言ってました。
 私はこう言ったんです。「確かに面白いシステムだし、公道バイクのおもしろさを増してはくれるけど、楽しむのが目的なんじゃない。楽しいのは良いけど、まずは勝たなきゃいけないんだ。問題は10年もチャンピオンをとっていないことなんだから、変化を恐れちゃいけない」ってね。
 それで4バルブ+クロスプレーンがベストってことになったんですが、なにせ新設計ですからパワーはないわ、遅いわで、それでもヴァレンティーノは「これだ」って言ってくれたんですよ。

Q:それがヤマハの人に残したい教訓ですか?机上の設計ではなく、一番大事なのは人間とマシンの関係だということですが。
古沢:そうですね。それに、ヴァレンティーノは王様みたいなものだってことも忘れちゃいけません。彼がピットに戻ってくるとみんなで取り囲んで話すことに耳を傾けるんです。OKなのかそうじゃないのかってね。
 ですから、ヴァレンティーノが4バルブとクロスプレーンにOKを出したら、みんなその方向に行くべきだって納得するんです。南アフリカの開幕戦まで2か月しかありませんでしたしね。ですからヴァレンティーノがはっきりとしかも正しい方向性を出してくれたことにすごく感謝しています。
 試作機を走らせて、ちゃんとデータを示してはいたんですが、それで納得した人は半分くらいしかいなくて、残りの半分は「サーキットに行かなきゃわかんない」と思っていたんです。
 でもヴァレンティーノがOKを出したら、みんなそれを信じたんで、やっとチーム一丸となって力を発揮できたんです。おかげで良い結果が出せたんですよ。
 たぶん、もしヴァレンティーノがヤマハに移籍してなかったらクビをくくられてたでしょうね(笑)。
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あとこの2倍あります。がんばるよ。

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