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ヤマハレースヒストリー その5

ヤマハレースヒストリー その5がMotoGP公式サイトにアップされてます。今回はいよいよ500ccクラスへの挑戦です。

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1973-1975:サーリネンとアゴスチーニがもたらした最高峰クラスでの栄光の巻

今日、ヴァレンティーノ・ロッシが引き継いでいるヤマハの最高峰クラスでの栄光の記録は、70年代にヤルノ・サーリネンとジャコモ・アゴスチーニによって幕を開けたものである。1975年、最高峰クラスへの挑戦が始まってからわずか2年後、ヤマハは日本メーカーとして初めて500ccのチャンピオンを獲得したのだ。

ヤマハは125と250の両クラスで2ストロークマシンの開発を続けながらも、常に最高峰クラスでの成功を虎視眈々とねらっていた。そしていよいよ1973年、フィンランドの天才、ヤルノ・サーリネンを擁して500ccクラスに参戦。YZR500(OW19)とサーリネンは、60年代中盤からGPを支配してきたジャコモ・アゴスチーニと4ストロークMVアグスタのコンビを打ち破り、初戦のフランスGPで勝利を収めたのである。15回もチャンピオンを獲得したアゴスチーニは1973年の初めの段階でこう言っている。「ヤマハは美しいマシンを作り上げた。サーリネンと彼のマシンはどちらも素晴らしい。彼らと互角に戦うのは無理だね」

OW19のようなマシンはこれまで誰も見たことがなかった。水冷2ストローク直4で80馬力を発揮するエンジンはヤマハのレースマシン初のリードバルブのおかげでコントローラブルだった。サーリネンはシーズン途中、5月のイタリアGP350ccクラスでの多重クラッシュで悲劇的な死にみまわれるまで1973年の500ccクラスのポイントリーダーの座を守っていた。

サーリネンの死にショックを受けたヤマハは一旦ワークスチームを解散し、1974年シーズンに向けての準備のために日本に戻ることにした。ジャコモ・アゴスチーニに声を掛けたのである。ヤマハが恋いこがれるこのイタリア人は、ヤマハの2ストローク技術が誰にも負けないことを理解していたため、1974年シーズンはヤマハと契約することにした。アゴスチーニはこの年90馬力のOW20とOW23を駆りながらも2勝しかできなかったが、それでもヤマハはコンストラクターズタイトルを獲得できた。ちなみに、この年のマシンは、ヤマハが世界タイトルを獲ったモトクロスマシンのリアサスペンションをそのまま使用していた。

翌年、迅速なギアレシオ変更を可能にするカセットタイプギアボックスを装備したOW26とアゴスチーニは、勝利を重ねついに世界タイトルを獲得する。アゴスチーニにとっては最後のチャンピオン獲得であり、ヤマハにとっては、以降の数々の勝利につながる、初めてのチャンピオン獲得となった。

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モトクロス用サスですか・・・。

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