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ヤマハレースヒストリー その9

MotoGP公式サイトにヤマハレースヒストリー その9がアップされてます。今回は予想通りウェイン・レイニーです。
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1990-1992: ウェイン・レイニーが再びヤマハに3連覇をもたらす の巻

ウェイン・レイニーとヤマハが最高峰クラスを支配していた時期は、それまでも何度かあったようみヤマハが最も強かった時代であった。ダートトラックの元チャンピオンはYZR500を駆って1990年、91年、92年と500ccクラスで3連覇を果たしたのだ。この時のライバルは、米国やオーストラリアで、やはりダートトラックをやっていたミック・ドゥーハン、ケヴィン・シュワンツ、エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ジョン・コシンスキーら、錚々たるメンバーだった。

同時にレイニーは責任感、プロフェッショナリズム、ライディングテクニックといった面で、新時代のGPレーシングの先頭に立っていたのである。彼をサポートしたのはキング・ケニー・ロバーツが仕切るヤマハワークスチームである。そしてそのYZR500は170馬力の2ストロークV4をわずか130kgの車体に積み込み、デルタボックスのアルミフレームと相まって時速321kmに到達する素晴らしいマシンであった。さらにチームロバーツとヤマハはデータ・ロガーやカーボンブレーキ、倒立フォークといった新技術を精力的に投入したのだ。

もちろん、こうした新技術にもかかわらず、この時代の500ccは猛り狂う獣であり、乗りこなすのに強い腕と心を必要としていた。このころロバーツは言っている。「この手のマシンを乗りこなすには生まれついての才能が必要なんだ」と。レイニーはまさしくそうした人間であった。思い切りアクセルをあけ、ロックするほどブレーキを掛けながらも、彼のライディングはスムーズで常に正確だった。レイニーは後にこう言っている。「あのころのレースは本当に激しかった。ライディングもね。もしホイールスピンがなかったら、なんか違和感を感じただろう*」

レイニーは最後までヤマハに所属し、1988年から1993年まで500ccで24勝をあげたが、クラッシュに見舞われ、胸部から下が麻痺してしまうことになった。その後、夕刊にもチーム・マネジメントの仕事のためにGPのパドックに戻り、ヤマハワークス500チームのために数年間仕事をしている。レイニーがタイトルを獲得した時代、ヤマハは日本メーカーとしては初めてYZRエンジンをプライベーターに供給するという快挙を成し遂げている。これは500ccクラスの参加チームを増やすためであった。常にヤマハはモータースポーツになんらかの貢献をしているのだ。

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*:原文では「if my rear tyre wasn't spinning, I didn't fell right」ですが、たぶん「〜feel right」の間違いかと。

ふと気づいたんですが、イギリス人が書いてますね。ということはアラン・カスカート氏かマイケル・スコット氏あたりかしらん。

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