« 一発屋伝説(リクエストがあれば訳します) | トップページ | ヤマハレースヒストリー その9 »

ヤマハレースヒストリー その8

MotoGP公式サイトにヤマハレースヒストリー その8がアップされてますよ。今回はエディー・ローソンです。
=============
1984-1988:さらに勝利を重ねるYZRの巻

ケニー・ロバーツの衣鉢を継いでヤマハ500cc軍団の先頭に立ったのがエディ・ローソンである。500ccデビュー後、わずか2年目の1984年にタイトルを獲ると、さらに1986年、1988年にもヤマハでチャンピオンになっている。

ローソンの500ccでのキャリアは、ホンダのフレディ・スペンサーとの戦いの歴史でもある。それはカリフォルニアから来たクールな男とルイジアナ生まれの信心深い少年との戦いだった。ローソンは非常に知的なライダーであり、一見スムーズな、しかしその実、電光石火のライディングスタイルから「ステディ・エディ」と賞されていた。アメリカのダートトラックレースとスーパーバイクで鍛えられたローソンはミスを犯すことなくコンスタントに走るということをやってみせたのだ。

ローソンはGPでの最初の5シーズンで26勝をあげただけでなく、ヤマハYZR500の技術的進歩についても主導的な役割を果たしている。ヤマハV4で初めて用いられたリードバルブインダクション*や、増加するパワーに対応するためのデルタボックスフレーム開発などがこの時期行われている。1988年にはYZR500は150馬力以上を発揮し、その後もパワーを上げていった。しかし、さらなる細部の詰めによりYZRは80年代後半を通じて戦闘力を維持したのである。とてつもなくクイックな操縦性を持つ500ccマシンの中にあって、そのライダーフレンドリーな操縦性は特筆すべきものであった。スムーズなキャブレーションを実現するためにV型エンジンのバンク角はワイド化され、さらに「ガルウイング」と呼ばれるスイングアームによりエキパイのとりまわしをより効率的なものとしている。

ローソン時代のヤマハは、何台ものYZR500を、いわゆるセミ・ワークスと呼ばれるチームに貸与している。こうしたマシンのための資金は新世代の国際的スポンサー**によってまかなわれていた。彼らは増加するTV視聴者を狙っていたのだ。こうした資金のおかげで、ワークスチームと同程度の戦闘力をもつマシンを維持できたのである。ヤマハのこのやり方は非常にうまくいった。1986年から1988年までメーカータイトルを連続して獲得したのである。88年には年間ランキング上位6人のうち5人がヤマハのライダーだったのだ***。
=============
*:すいません、わかりません。2stに詳しい方、どなたかご教示を!
**:はい、ご想像の通りタバコやさんですね。マールボロ、ゴロワーズ、ラッキーストライク、ロスマンズ等々・・・。
***;1位ローソン、2位ガードナー、3位レイニー、4位サロン、5位マギー、6位マッケンジーのうち、あれ?2位のガードナーと6位のマッケンジーがホンダなんで、6人のうち5人、というか上位5人のうち4人、っつーのが正確では?

えー、たぶんこのあと90-92年のレイニーの3連覇の話があって、低迷期を経てロッシにいくんで、あと2回くらいですかね。

|

« 一発屋伝説(リクエストがあれば訳します) | トップページ | ヤマハレースヒストリー その9 »

コメント

ども。
「リードバルブインダクション」の件ですが、要は、
それまでのヤマハ500のエンジンには、吸気側に、
リードバルブを搭載してなかったんですよ。
吸入効率を優先させてたのかな?>リードバルブは
抵抗でもありますから。で、確か始動性改善の
ために、リードバルブを採用したんだった記憶が。。。
あ、リードバルブは、分かりますよね? 
吸入負圧で作動する、板状の弁です。楽器でイメージ
するなら、クラリネットの吹き口についてるアレ。

投稿: KEI | 2005/08/22 21:28

をを、ありがとうございます。
いやはや、2stは何度きいてもわからんですのよ。さすがにリードバルブはわかりますって(笑)

投稿: とみなが | 2005/08/23 00:07

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69409/5536566

この記事へのトラックバック一覧です: ヤマハレースヒストリー その8:

« 一発屋伝説(リクエストがあれば訳します) | トップページ | ヤマハレースヒストリー その9 »