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ヤマハレースヒストリー その4

間髪入れずにヤマハレースヒストリー その4がMotoGP公式サイトにアップされてます。
今週中はこっちもついていきますよ。

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1967-1968:60年代の技術伝統 125と250のV4マシンの巻

60年代終盤はバイクレースにおいて異常なまでの技術的発展を遂げた時代であった。これほどまでの時代はその後もなかったと言ってもよいだろう。馬力追求のためにメーカーは驚異的なエンジンを作り出した。シリンダーの数を増やし、めまいがするほどの回転数でパワーとスピードを稼いだのだ。この技術に対するルールが比較的自由だった黄金時代、ヤマハは125ccV4マシンのRA31とやはりV4の250ccマシンRD05をデビューさせた。

まず最初にデビューしたのはRD05である。ヤマハレーシングマシン初の水冷エンジンは、ツインクランク、ディスクバルブのV4に8速のギアボックスが装備され、73馬力を14000回転で絞り出すことで、最高速は241km/hに達した。当初このV4エンジンはRD56のフレームに積み込まれたが、全開にするには勇気がいるマシンであった。フィル・リードにとっても、このマシンでレースをするのはたいへんだったようで、彼は05のことを"とんでもなく暴れるマシン"と形容している。しかしリードは全力を振り絞り、ホンダの4ストローク6気筒を駆るマイク・ヘイルウッドとの熾烈なチャンピオン争いを続けた。獲得ポイントでトップになったことから、リードは自分がチャンピオンだと思っていたが、FIMルールブック上の混乱により、タイトルはヘイルウッドのものとなった。*

それでもヤマハはビル・アイビーの駆る250のスケールダウン版であるRA31によって125ccの初タイトルを獲得したことで一矢を報いることができた。RA31は実に17000回転で40馬力を発揮したが、狭いパワーバンドを生かすために9速のギアボックスを装備しなければならなかった。

翌年ヤマハは125ccと250ccのダブルタイトルを獲得した。リードとアイビーは両クラスで1位と2位を獲得している。しかし、ヤマハの最高のシーズンはその思惑とは異なる結果だったのである。実はヤマハとしては、リードに125ccタイトルを、アイビーに250ccタイトルを獲らせようとしていたのだ。しかし、リードはこの取引を拒否し、両クラスでのタイトルを獲得してしまったのである。数年後、リードはこう語った。「僕は自分が正しいと思ったことをやっただけなんだ。その決心を変えるつもりはなかったよ」

世界レベルでそのエンジニアリングの優秀さを証明したことでヤマハは1968年を最後にGPから手を引くことにした。激しい技術競争がメーカーを倒産させかねないと憂慮したFIMは技術的制限をGPマシンに課すことにした。その結果、RA31とRD05は過去のものとなってしまったのである。ヤマハは日本に戻り次の挑戦を始めることにした。ついに最高峰である500ccクラスへのチャレンジが始まったのである。
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*:マルボロブックによると、1967年の総獲得ポイントはリードが56、ヘイルウッドが54でしたが、この年は全13戦のうち、ポイントの高い7戦の総計で争われていました。で、こちらの計算方法では両者50ポイントで同点。この場合は勝利数の上回る方がチャンピオンという規定だったので、7勝のヘイルウッドが5勝のリードを下してチャンピオンになったというわけです。ちなみにこの年の最終戦は富士で行われた日本GPでした。

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