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「FASTER」監督インタビュー その1

FASTER監督 マーク・ニールにインタビューってのが公式サイトに載ってました。が、訳し始めたら長いのなんのって。なので、今日は途中まで。明日元気があったら続きをやります。

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Q.どうしてこの映画を撮ろうと思ったのですか?

A.簡単に言ってしまえば、今まで誰もMotoGPの映画を撮ってなくって、そりゃあおかしいだろう、と思ったということかな。ひどくばからしい映画はあったけども。最近のハリウッドの映画は「Biker Boyz」とか「トルク(こっちは日本の映画評サイトにリンク)」みたいにパロディ映画としか思えないようなものばかりだしね。

2001年2月のIRTAテストでパドックに入ったときに、これまでの映画が作ってきた悪いイメージってものを痛感したんだ。エグゼクティブプロデューサーのイアン・マクラーレンが僕をスズキチームのボスであるギャリー・テイラーに紹介したときのことだけど。「マークは映画監督でして、これからレース映画を撮ろうとしているんです」ってイアンが言ったら、ギャリーは一歩後ずさって手でバッテンをつくったんだ。まるで僕らが吸血鬼か何かみたいに。そしてつぶやいよ。「Silver Dream Racer...」ってね。あれは僕も観たけど身の毛もよだつような70年代映画だった。こりゃあ相当たいへんだって、そのとき身にしみたね。

それでもこの映画を撮りたかったのは、まともな映画がこれまでなくって、でも世界中に僕みたいに本当にきちんとした映画が観たいと思っている何百万人ものバイクファンがいるからなんだ。それ以上に、僕らが大好きなバイクレースというスポーツを、時速100マイルで膝スリしたことなんかないみんなに観てもらって、悔しがらせたいってこともある。それってすごくクールなことだと思うよ。

Q.どうやってそれを実現したんですか?
A.まず「FASTER」はインディーズ映画だってことだ。これは是非理解しておいてほしい。そもそもバイクの世界は一匹狼でなりたっているんだ。これは「乱暴者」のマーロン・ブランドからヴァレンティーノ・ロッシまで変わっていないことだ。だから「FASTER」はそういった独立心を持った人々に向けた、独立心を持った人々の映画だし、これを撮った僕らも独立心を持っているってことさ。

始まりは1988年、LAでのことだ。そこで僕はこのプロジェクトを実現するのに必要な人と出会った。その中の一人がイアン・マクラーレンで、彼は実は90年代にピーター・クリフォードといっしょにWCMを立ち上げた元レーサーのボブ・マクラーレンの息子なんだ。イアンにとっては初めての制作ってことになる。彼はインディーズ映画での資金集めが得意で、おかげで大スタジオやら制作会社やらに頭を下げに行かずに済んだんだ。それにイアンはケニー・ロバーツやミック・ドゥーハンに僕らを紹介してくれるという「危険も冒して」くれた。幸いこうして映画も完成したし、まだパドックを大手を振って歩けるんだから、彼の信頼に応えることができたってことだろうね。でも彼に最も感謝すべきことは、自分が作りたいような映画が完成したってことなんだ。

資金が潤沢にあったわけじゃないけど、創造の自由は確保できたよ。ぼくらに指図するような制作委員会やら会社があるわけじゃなかったからね。GPチームのように、僕らは小さいけど何年もいっしょにやってきた専門家の集まりだったんだ。僕は編集のロシェル・フォードと6年間いっしょにやっていたし、撮影監督のグラント・ギーや音楽のtomandandyとは12年もいっしょなんだよ。つまりはそういうことさ。100%クリエイティブなライディングで、スーツ男がコースに立ってるなんてことはなかったんだ。

Q.この映画の始まりがアメリカってのは奇妙に思えるのですが?
A.僕もまさかそんなことになるとは思ってもみなかった。1997年に生まれ故郷のイングランドを離れてロサンジェルスにやってきたんだ。イングランドではバリー・シーンとかニール・ホジソンってのは誰もが知ってる名前なのに、アメリカに来たらバリー・シーンはおろか、ケニー・ロバーツもウェイン・レイニーもその他のバイクの神様も「誰それ?」って感じなんだよ。アメリカ人の神様もたくさんいるのにね。もちろんアメリカにもバイク好きは何百万人もいるんだけど、まだアンダーグラウンドな感じなんだよ。GPファンが世界中に何億人いようと、アメリカではほとんど取り上げられることはない。おかげでカリフォルニアに家族を連れてやってきた時点では、ヨーロッパに置き去りにしてきてしまった僕の愛するレースというスポーツを映画にしようと、なんとなく思っていただけなんだ。

でもそこで妻のフィオナがイアン・マクラーレンの奥さんのトレイシーと仲良くなって、子供たちも友達同士になったんだ。で、ある日気づいたらマクラーレンのうちの前に自分がいたってわけ。イアンのうちの壁の写真を観てわかったんだ。この南カリフォルニアのビーチ沿いの家こそが、僕が望んでいたものへの扉だってね。それはハリウッドじゃない。MotoGPなんだ。イアンと最初に交わした会話はGPについて、そして、これまでだれもまともなGPの映画をつくってこなかったってことについてだった。

イアンが「このわけわかんない髪型でうさんくさいロッカーとつきあいのある(そもそもLAに来たのはミュージックビデオの監督として成功しようと思っていたからだ)イギリス野郎が自分を放すつもりはない」ってあきらめるのに、それでも2年くらいはかかったと思うよ。

Q.昔からバイクが好きだったんですか?
A.3歳のときからね。祖父が僕を友人のサイドカーに乗せてくれたんだ。13歳の時には「音楽とバイクの他に興味はないのか」って先生に問いつめられるくらいだったよ。まるで、それでは人は生きていけないって感じでね。そのときは確かに興味の範囲が狭いことをちょっと恥ずかしく思ったけど、20年もたってみれば、あの10代の自分が正しい選択をしていたって気がする。女の子も世の中にはいるってことがわかったら、もう他には何もいらなくなったよ。

音楽とバイクにはずっと取り憑かれっぱなしだ。それなしの人生なんて考えられない。だから、ミュージックビデオの監督を始めたことも(もっともU2ほどには成功しなかったけど)、バイク映画をとろうと思ったのも自然な流れだったんだ。同じことを考えた映画監督は何百人もいるだろうね。でも僕には幸運なことに、トレイシー・マクラーレンと友達になってイアンと、彼の父親と、そしてMotoGPに僕を引き合わせてくれる妻がいたんだ。

Q.この映画はいつからいつまでをカバーしているですか?
A.2001年6月に撮り始めて、2002年の7月に撮り終わっている。

Q.より速いバイクが作られるようになって時速200マイルの壁を破るようになったことは、GPにとって相当重要なことだと思います。映画を撮り始める前から、2ストロークから4ストロークへの変更がこれほど大きな影響をもたらすとわかっていましたか?
A.2002年の1月に、どうもその年は資金がないから映画が撮れなさそうってころにイアンと話したことがあるんだ。2003年まで待とうかってね。でもそんなことは考えられなかった。つまり僕らが生きてきた中で一番重要な変革に立ち会えたのは、運がよかったんじゃなくて、あえてそこを狙ったってことなんだ。どうしてもそれを撮っておきたかったんだよ。2002年というちょうどいい変革の年に出会えたおかげで、2ストローク時代のヒーローを振り返るとともに、4ストローク時代を見通すことができた。2ストロークというのは史上最も野蛮なレーサーだ。乗りこなすのは信じられないほど難しくて、ライダーの技術と勇気を試す究極のテストという伝説の領域に踏み込んでいるんだと思う。新しい4ストロークはもっと許容範囲が広いようだ。でも2ストロークより遙かに速くなっている(去年ドゥカティはムジェロで時速206マイルを記録した)。実際F1カーより加速がいいんだ。それに恐ろしい音をたてる。元F1チャンピオンのニキ・ラウダは「これはバイクじゃない、地獄のマシンだ」って言ってるよ。

Q.MotoGPの撮影許可はどうやって得たんですか?
A.イアンと僕はまずイアンの父親のボブ・マクラーレンとパートナーのピーター・クリフォードに相談した。彼らの協力がなかったら一歩も進めなかったよ。彼らが僕らをMotoGPの権利をもっているドルナに紹介してくれたんだ。

ドルナにとっては、僕らはただの夢見がちな2人に思えたろう。映画撮影の依頼なんて月に半ダースは来てるだろうからね。でもまずはパイロットフィルムを撮る許可を出してくれた。そこで、まずはスペインで2001年のカタロニアGpwo撮影したんだ。2週間後、僕らは10分間のテストフィルムを上映した。みんなそれなりに感銘を受けていたみたいだよ。その後は映画のコンセプトをもっと明確にする作業にかかった。WCMレッドブルヤマハチームは知り合いだったから、まず彼らのストーリーを撮るための許可はくれたけど、1チームの1シーズンに映画を限定したくなかったんだ。

ここでまた僕らの運の良さが発揮されるんだけど、MotoGPを再びアメリカで開催しようという話があって、僕らがそうしてほしいと思っているときに、ドルナも同じことを考えていたんだ。(こないだアメリカでやったのは1993年だ)

そこでドルナは「FASTER」をアメリカにGPを再び紹介するために使おうとしたんだ。だから映画はトップライダーのこれまでの歴史と将来をカバーしなければならなくなった。おかげで僕らの考えとばっちり一致したってわけさ。バリー・シーンやケニー・ロバーツの時代からヴァレンティーノ・ロッシまでのストーリーを語れるような映画を撮りたかったんだけど、ドルナはそれを許可してくれたんだよ。

ドルナがスペインの会社だってことも幸いしたね。会社はバルセロナにあって、僕も80年代にそこに住んでいたから(実は1年中お日様の下でバイクに乗れる国に住みたかったからなんだけどね)。ボブとピーターの二人が最初に「イアンがハリウッドの監督を連れてくる」って彼らに話をしたときには、まさかカタルニア語を話すイギリス人がやってくるとは思いもしなかったろう。おかげでいろんなことがうまくいったよ。

Q.どのライダーを映画に出すかはどうやって決めたんですか?
A.70年代から80年代にかけて、僕はテレビでバリー・シーンとケニー・ロバーツを見て育ったんだ。その後、シュワンツ/レイニー/ドゥーハンの時代になって、レースにのめり込んでいった。シーンとロバーツは、膝をすって、リアを滑らせるという現代のGPのパイオニアだってことはみんなも知っている通りだ。年寄りが今の若いライダーについて語るのが好きなように、今の若いライダーもシーンやその時代のライダーについて語るのが好きだってことはわかってるんで、そのあたりの時代から始めようと考えていた。

それが決まれば、後は時代を下っていくだけだ。個人的にインタビューできなかったのはバリー・シーンだけだった。ちょうどケヴィン・シュワンツをカリフォルニアで撮影するのと同じ週になってしまった上に、編集の真っ最中だったんだ。バリーとは電話で何回か話して、メールで質問をして、それから2人組のクルーを彼のロンドンの家に派遣したんだ。2002年のイギリスグランプリの翌日のことだった。前の晩はドニントンでのクラシックレースの祝勝会だったんだけど、それでもインタビューはプロらしく完璧にこなしてくれた。彼ががんの宣告を受けたのはそれから何週間かしてからだと思う。「FASTER」は彼がいなかったら別の映画になっていただろう。彼がいない世界が考えられないようにね。彼はほんとのスターだったよ。

Q.ロッシやビアッジのような大スターにインタビューするのはたいへんでしたか?
A.誰にも断られなかったよ。みんながとてもオープンでしかも親切なのにはびっくりした。もちろん、階段を上っていくにつれて、きつくはなっていくんだけどね。ビアッジにインタビューしたときには何度か失敗しそうになったし、ロッシにちゃんとしたインタビューができたのは、2002年カタルニアでGPの最後の撮影をするときだった。だから制作中ずっと、「結局からっぽの映画になってしまうんじゃないか」という心配に悩まされていたよ。昔のチャンピオンやらメカニックやらトランポの運転手やらライダーのガールフレンドやらはいるのに、肝心の「今をときめくスター」がいないってことになったらどうしようってね。そこでドルナが助けてくれたんだ。もし彼らがいなかったら、きっとまだヴァレンティーノのモーターホームの前で待っていることになったろう。


Q.これまでに誰かチャンピオンに会ったことはありますか?
A.いや、ないけれども、それが良かったんだと思う。彼らも僕に何を期待していいかわからなかったし、おかげで会話の内容が身のあるものになった。彼らはインタビュー慣れしてるんで、僕は目新しさを付け加えて、彼らが生き生きして見えるようなシチュエーションを作ったんだ。そのいい例が、小型カメラをつけた車でサーキットの周りを運転してもらいながら撮った映像かな。


Q.ライダーとの間で最も思い出深いことはなんですか?
A.いちばんびびったのは、ロッシと個人的にお近づきになったことかな。彼がラリーカーをテストしているときのことだけど、僕はコーナーの外側に立っていた。そしたら、ラップごとにペースをあげていって、毎ラップドリフトがアウト側の僕の方によってくるんだよ。「もういいかげん後ろに行こう」と思っていたら、ロッシがまた滑ってきて、すぐそこで木にぶつかったんだ。気の置けない仲ってのも時には考えもんだよ。トップライダーと仲良くなるのもいいけど、なりすぎちゃいかんね。

マックス・ビアッジは、相当普通じゃないインタビュー相手だった。彼はすぐインタビュアーを無視してカメラを見ちゃうんだ。まるでカメラ越しに観客を催眠術にかけようとするかのごとくね。撮影していたグラント・ギーは後から僕にこう言ったよ。「すごくへんな気分だった。僕に色目をつかってるんじゃないかと思ったよ」

いい思い出はカタルニアでわずか6戦目にしてポールを獲得したばかりのジョン・ホプキンスにインタビューしたときのことだ。19歳のルーキーが戦闘力の低いマシンでポールを獲るなんてすごいことだからね。ピット中、みんなうれしそうだった。あれこそ決定的瞬間というものだろう。彼が本当に戦えることを示したラップは歴史の一こまになったんだ。

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この後も、FASTER2(!)のこととか、ドクター・コスタのこととか、監督はどんなバイクに乗ってるのかとか、いろいろ続くよ。

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コメント

はじめまして。
ジョン・ホプキンス選手ファンのVibと申します。
膨大な翻訳作業、お疲れ様です。
GPさんのブログを拝見してFasterを観に行くことにしました。
感謝しております。

投稿: Vib | 2005/09/16 17:19

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