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ヤマハレースヒストリー その10

MotoGP公式サイトにヤマハレースヒストリー その10がアップされてます。今回は250cc編。
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250ccに君臨する の巻

フランス人オリヴィエ・ジャックが最終戦オーストラリアGPでチームメイトの中野真矢を破って2000年の250ccタイトルを獲ったのを最後に、ヤマハは30年にわたる250ccクラスでのワークス活動に幕を引いた。ジャックのタイトルはヤマハにとっては14回目の250ccタイトルであり、同時にコンストラクターズでも14回目のタイトルを確実なものとしたのである。

ジャックの乗ったYZR250は、そもそも80年代のYZR500を起源とするVツインエンジンを積んだ、優れたハンドリングのマシンであった。YZR500と同様に高剛性のデルタボックスフレームとなっていた。ライバルが強くなったことで市販TZ250ではチャンピオンを目指せなくなったたことから、ヤマハはすぐさまYZRをワークスマシンとして導入したのである。最初のYZR250は陽気なヴェネズエラ人のカルロス・ラヴァードだった。かれは優勝か転倒かという激しいライディングスタイルから「Careless Bravado(ミスをするけど勇敢なやつ)」と呼ばれていた。ラヴァードはTZに乗って1983年のタイトルを獲得し、さらにYZRでは数回の転倒にもかかわらず86年のタイトルを獲得している。

4年度、もう一人の天才がヤマハを250ccクラスチャンピオンにした。アメリカ人のジョン・コシンスキーがキング・ケニーの指導のもと80年代終わりにGPにデビューしたのだ。激しいライディングと大言壮語で知られるコシンスキーはデビューイヤーの1990年にチャンピオンを獲り、ヤマハに250と500のダブルタイトルをもたらした。その後コシンスキーは500に参戦している。

1993年には日本人の原田哲也がコシンスキーと同様にデビューイヤーでチャンピオンとなった。中盤戦での転倒を乗り越えて最終戦でチャンピオンをもぎとったのである。この時のマシンはTZM250と名付けられたVツインマシンであった。その後しばらくヤマハはワークス活動を行っていなかったが、1999年にフランス人のオリヴィエ・ジャックとそのチームメイトの中野真矢を擁して復帰することになる。そして2000年シーズンは、この2人がクラスを支配し、ジャックがわずか2ポイントのリードで最終戦を迎えたのである。ジャックは終始中野の直後につけ、最終ラップもあとわずか数百メートルというところで中野を抜き去ってみせた。ジャックが中野のスリップを出てゴールラインに到達したとき、差はわずか0.014秒しかなかった。

ストレートでは必ずしも最速とは言えなかったが、ライダーにやさしいパッケージングを誇り、ライダーは様々な雑念から解放されたことで、YZRは勝てるマシンとなったのである。
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はーい、93年の最終戦について語りたい人、よっといで〜。

いや、実に劇的でした。へレスでの親友若井選手の死を乗り越え、数度の転倒を乗り越え、迎えた最終戦ハラマサーキット。国は奇しくもヘレスと同じスペイン。原田が追うのは10ポイント差で前を行くカピロッシ。原田がチャンピオンを獲るためには原田優勝、カピロッシが4位以下という厳しい条件でした。しかもカピロッシが125でチャンピオンを獲ったときには、同胞のイタリア人ライダーのあからさまなバックアップを受けたという過去もあります。
しかし、実はあとになってわかることですが、この時原田が目指していたのは唯一優勝のみ。最多勝がほしかったと後に語っています。
その言葉通り、原田は一度も振り返ることなく、優勝。ドラマが見たい日本人は、ずるずる遅れていくカピロッシを抜くレジアーニやビアッジをひたすら応援していました。今思い出しても目頭が熱くなります。一方原田選手はそんな周りの思惑は関係なく、「初年度はチャンピオンを獲るつもりはなかったんで、別に特に感激も・・・」みたいなことを言ってのけて、これまたかっこよかったです。
うってかわって2000年は超悔しい年でしたが、実は見てる方は「ああ〜、そこで前にいちゃあだめだぁ〜」とテレビの前で叫んでいました。明らかにジャックは最終コーナーでスリップにつくのを狙ってましたから。それに対して中野選手は「ただ前を向いて走るだけでした」と、中野選手らしいコメント。さわやかな幕切れにみんなが納得でした。

ちなみに90年代、レイニー以降の500というか最高峰クラスのヤマハはどうかというと、コンストラクターズでは辛うじて93年にタイトルを獲得していますが、個人タイトルはドゥーハンとロッシにやられっぱなし。ま、そんなこともあって、250の記事になってるのかもですが。

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コメント

カルロス・ラパード選手、キャラが濃くて好きでした。
自分が知っていた彼の異名は、
「ボンバ・ラ・ラパード」( ラパード爆弾 )で、
コレもとても気に入っていました。
2台をまとめてのパッシングが鮮やかだった
サンマリノGPの平選手の優勝( 250の時 )も、
トップ走行中のラパード選手の爆発?=転倒に
よるものだったと記憶してます。

投稿: Vib | 2005/09/16 20:08

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