« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »

ミシュランタイヤの30年(でした) その4

意外に大した記事ではなかった「ミシュランタイヤの30年」ですが、ここまできたんで最終回をば。
=====
21世紀に入って最初の2年は、いずれもかつてのグランプリウィナーの息子がタイトルを獲得した。新世界からきたケニー・ロバーツ(テレフォニカ・モビスター・スズキRGV500)と旧大陸のヴァレンティーノ・ロッシ(ナストロアズーロ・ホンダNSR500)がミシュランタイヤに新世紀の勝利をもたらしたのである。ロッシは2001年に最後の500ccクラスのタイトルを獲得し、その後2002年から2004年にかけてMotoGPクラスのチャンピオンになっている。

2002年にビッグマシン(big thumper)時代が訪れてからは様々なメーカーによる大きな技術的改革が続いている。ミシュランはC3Mという革新的製造プロセスを初めて2輪レースに持ち込んだ。500cc、2ストローク時代には190馬力だったものが、最初の990ccMotoGPマシンでは230馬力、そして最新のマシンでは250馬力とも言われている。ミシュランのおかげで、ライダーはタイヤを破壊することもなく、またグリップや保ちに妥協することなくパワーを使いきることができるようになった。

ロッシは語る。「2001年に初めて4ストマシンをテストしたときのことだけど、500cc用のタイヤは5終始か持たなかった。ミシュランは良いタイヤを開発するのに相当がんばってくれた」

29年間ずっと開発を続けることで、ミシュランは323勝、そして24のタイトルを記録することができた。この10年間はタイトルを落とすことがなく、昨年の段階で13連覇を達成している。最初の4レースで勝利したことで2005年もこの記録は伸びるだろう。

=====
えー、提灯記事というか、まあミシュランのプレスリリースってな具合でしたね。とほほ。最後にミシュラン以外がチャンピオンをとったのは1992年のウェイン・レイニーとダンロップです。
うーん、ここまで自信満々の記事がでると、ついBSあたりにがんばってほしくなるなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミシュランタイヤの40年

motoGPオフィシャルサイトでは「ミシュランタイヤの30年」ってなってますが・・・。
確かに70年代からの話だから30年か。

ミシュランにとって80年代はセンセーショナルな10年となった。そして続く10年間は9回のチャンピオンを獲得することで日々進歩しつづけるミシュランの地位を確固たるものとしたのである。

ウェイン・レイニー(マールボロ・チーム・ロバーツ・ヤマハYZR500)とケヴィン・シュワンツ(ラッキーストライクスズキRGV500)、ミック・ドゥーハン(レプソルホンダNSR500)そしてアレックス・クリヴィエ(レプソルホンダNSR500)が連続してチャンピオンを獲得した伝説的時代であった。

20世紀の最後の10年の進化はわずかなものであったが、スピードという面では大きな改革があった。レイニー、シュワンツのタイトル獲得、そいてミック・ドゥーハンの5連覇で最高峰クラスの新記録を樹立し、ドゥーハンは1996年10月にミシュランにとっての200勝目を達成した。

ドゥーハンは語る。「ミシュランと僕らはお互い本当に理解しあっていた。未知の領域に踏み込むときには信頼関係が必要なんだ。普通でないことを試してみるとき、エンジニアはいつも慎重になれと言っていた。特にタイヤがよくわからないときにはね。ミシュランは他のメーカーに比べてそういうときでも信頼できた」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チャリティオークション・・・

削除されちゃいましたね・・・。うーん、1万ドル超えたあたりまでは確認していたのですが。
阿呆な大高騰でもあったのかしらん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Aliceって何?

フランスGPやイタリアGPやら、ドゥカティのチームやら、ちょっと前はアプリリアもサポートしていたAliceという会社ですが、要するにイタリアテレコムかなんかがやってるプロバイダのようです。
いや、ヨーロッパの萌え系企業だったらおもしろいなあ、と思っていたんですけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チャリティオークションのお知らせ

ebayにてロッシとエドワーズのヘルメットやらレプリカツナギやらがチャリティオークションとして出品されるています。
ヘルメット、ツナギとブーツなんぞに加えて、7月8日から10日にラグナセカで行われるUSGPのペアチケット(たぶんパドックパス付き)、木曜から日曜までのホテル宿泊、さらに土曜日のセレモニーで本人からサイン入りの出品物を手渡しされる特典つき。
締切は6月4日現地時間朝9時らしいです。

オークションサイトはこちら。
ロッシ:http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&category=2875&item=5201749736&rd=1&ssPageName=WDVW
新品メット、サイズ46のレプリカツナギ、装着済みブーツ、ペアチケット&ホテル宿泊

エドワーズ:http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&category=2875&item=5201751737&rd=1
すべて使用済みのメット、ツナギ、グラブ、ブーツ、ペアチケット&ホテル宿泊

えー、26日0時現在、ロッシは5400ドル、エドワーズは5100ドルです。
ちょっと早い夏休みを超贅沢に過ごしたい方、トライしてみてはいかがでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ライダーの愛称

古くはFast Freddieとか、King KennyとかSteady Eddieとか120 (One-Twenty) Rainyなんてのがありましたが、久々に目にしましたSuper Shinya。Jacque Attackだけじゃあ、可哀相だと思ったんでしょか?>カワサキレーシングチーム・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミシュランタイヤの40年 その2

ミシュランの40年その2です。

=====
80年代の最高峰クラスはミシュランに支配されていたと言っても過言ではない。1981年から89年まで5人の異なるライダーが8回チャンピオンを獲っている。

最初は2人のイタリア人、マルコ・ルッキネリ(ナヴァ・オリオフィアット スズキ)とフランコ・ウンチーニ(ガリーナ スズキ)が最速ライダーだったが、次にやってきたのはアメリカ人だった。フレディ・スペンサー(ホンダ)、エディー・ローソン(マールボロ・ヤマハ)、そしてワイン・ガードナー(ロスマンズ・ホンダ)はミシュラン最高峰クラス100勝目を記録した。(えー、冨永です。これ、原文ママなんですが、ガードナーはオーストラリア人です。思いっきり)

80年代は、また、新たな改革の10年でもあった。ミシュランがラジアルタイヤを導入したのだ。これは500ccバイクのハンドリングを変革し、ロードタイヤに新たな時代をもたらしたのである。1984年、スペンサーがラジアルタイヤで初めて勝利して以来、ラジアルでなければ勝てない状況が続いている。

スペンサーは語る。「ラジアルのお陰でグリップは高まるし、特に高速コーナーでバイクが安定するようになった。最初に感動したのはそこだね。スイングアームを強化してからはリアタイヤのセッティングに困ることは無かった。1985年の前半はラジアルタイヤの開発に専念したけど、それ以降は2秒くらいタイムを縮められるようになったよ。ハードブレーキングでも信じられないくらい安定していたんだ」

第3回は次の土曜に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミシュランタイヤの40年 その1

結局日本語サイトには掲載されないようですので、ミシュランの40年その1です。

=====
ミシュランがGPにデビューしたのは70年代初頭であった。ラウンドしたプロファイルにより、他社より広い接地面積のおかげて高いグリップを確保したPZタイヤを装着したライダーはすぐにアドバンテージを得ることができた。

ミシュランが最初に勝ったのは、当時はイギリスGPだった1973年のマン島TTで、ライダーはオーストラリア人のジャック・フィンドレイ(スズキTR500)だった。

1976年には故バリー・シーン(テキサコヒーローチームスズキ)がミシュランで最初の500ccチャンピオンとなった。翌年には50、125、250、350、500で勝利を収め、シーンは連覇を果たしている。1975年にミシュランはついにスリックタイヤをデビューさせたが、これは大きなブレイクスルーとなった。

故バリー・シーンは2003年に亡くなる数年前にこう語っている。
「スリックタイヤがこんなにすごいなんて最初はちっともわからなかった。だってどうやって性能を引き出すかわからなかったからね。うまく溝を掘ったらもっとよくなるんじゃないのかって思ったのをよく覚えているよ。タイヤ温度やらなにやらってパラメーターも全然理解していなかったし。でも新しい時代がやってきたことだけは確かだった」

以下、次回につづく・・・って、すぐにアップしますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ミシュランタイヤの40年

ミシュランの40年という興味深い記事がMotoGPオフィシャルサイトに掲載されています。
初回は1975年のスリックタイヤの導入と故バリー・シーンのコメント。
日本語サイトに掲載されないようなら翻訳します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドーピングテスト無事終了

FIMのプレスリリース(PDF)より、アンチドーピングテストの報告です。いや、誰かがひっかかったわけではなく、こういうことをやってるって、一応紹介しておこうかと思っただけです。

=====
4月17日にエストリルサーキットにおいて行われたポルトガルGPにおいて、アンチードーピングテストが行われた。
禁止薬物およびその痕跡はいずれも発見されなかった。

テスト対象となったのは、マルコ・メランドリ、ヴァレンティーノ・ロッシ、トロイ・ベイリス、マルコ・シモンチェリ、ミカ・カリョ、ジュリアン・シモンである。
=====
もちろん彼らがなんらかの疑いをかけられたのではなく、ランダムテストですから、ファンの方はご安心を。
FIMはIOCに入っているのとも、確か関係があったはず。

ドーピングに関しては、昔っから「どんなに有害だからって本人の問題だからいいじゃん」みたいなことを言ってみるへそまがりな方もいるようですが、スポーツである限りはルールがあって、ドーピングをやっちゃいけない、というのはルールの一つで、違反燃料やら最低重量違反やらと同じ、と私は解釈しています。ずるしちゃいかん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Gadeaにはおとがめ無し

なんだかこっちが年をとったせいか、125のライダーの名前が覚えられません。Gadeaって誰?

ま、それはともかく、FIMのプレスリリース(PDF)です。

=====
「スペイン人ライダー、セルジオ・ガデア(Sergio Gadea)がハンガリー人ライダー、ガボール・タルマクシ(Gabor Talmacsi)をイエローフラッグ区間で追い抜いたことに関して、順位ダウンのペナルティは科さない」というレース委員会(Race Direction)の決定に対して、レッドブルKTMチームよりに抗議が提出された。この件に関するレース委員会の決定は以下の通り。
 「ガデアは数メートル先でタルマクシに自分を抜かせたことから、抗議には根拠がない」
=====

をを、ついに手を挙げて抜かせる場面が観られるのね(実はまだ録画を観てないのですよ)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

首都高二人乗り(一応GP以外のカテゴリーも設定していたのですよ)

二人乗り解禁以来、はじめてこの週末に首都高を走りました。

土曜はSRで「2号線」→「C1」→「5号線」→「外環」、帰りはその逆だったんですが、2号線入り口の「二人乗り禁止」標識も、帰りの5号線池袋出口付近にあるはずの標識も、ぜーんぜん、気づきませんでした。
日曜はワンボックスで、「常磐道」→「6号線」→「C1」だったんですが、これも向島出口付近の標識に気づかず。

意識していないと存在に気づけないのでは標識の意味がないのではないか?知らない人は見過ごすぞ。
(って、気づかない私があほたれなほど標識がはっきりしてたらごめん>MEX)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フランスGPは録画失敗

なので、種々のコメントは火曜の再放送を観たあとってことで。
ちなみに、失敗の原因は、MotoGPの生放送の予約を後からしたにも関わらず、東芝のRD-XS46が「毎日録画」を設定している「THE MAKING」(サイエンスチャンネル)を撮りやがったから。東芝のDVDレコーダーをお使いのみなさま、スカパー連動予約にはくれぐれもご注意を。ってせめてアラートぐらいあげてくれてもいいのに・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ジャック・アタ~ック!!!!(一定年齢以上限定ネタですが)

カワサキのプレスリリースのタイトルなんですが、「KAWASAKI PLAN JACQUE ATTACK IN FRANCE」(カワサキ、ジャックアタック準備中)。

いやぁ、どうしたって、ユルゲン・フークスによる追突事件を思い出さずにはいられないタイトルです。うははは。後ろ向きオンボードカメラを積んでいるライダーのみなさん、くれぐれもご注意を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

玉田欠場

例によってMotoGPオフィシャルサイトの記事によれば、玉田は結局欠場とのことです。

最初のフリー走行で7周したのですが、やはりけがが治りきっておらず、痛みがひどいということのようです。代役は再びフールベルフ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

今さらながらにもほどがあるなあ>自分

ヤマハから恒例事前分析がリリースされてます。
というか、EUROPARKのプレスリリース集から英語サイトを見るまで(要するに今日まで)、こんな素敵なものがあるなんて知りませんでした。
みなさま、要チェックです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

玉田の状況

フールベルフにいい走りをされて、ますますがんばれ!玉田選手ですが、その後の状況に関する本人のコメントがMotoGPオフィシャルサイトに出ています。

=====
「中国GPはみんなが走っているのをテレビで見ていたんですが、本当に早くサーキットに戻りたくなりました。
 レースは雨でしたけど、新しいコースだし、コーナーの入り方やどこで全開にするかもイメージしてたんですよ。
 すごく楽しそうなコースで、しかも誰も走ったことのないところなんでイコールコンディションだったから、いいレースができたはずだし、いい結果も残せたはずなんですが。それを考えるとすごくがっかりです」

チームとしてはまだルマンで玉田を復帰させるかどうか決めていないが、一方でフールベルフを代役として登録しているわけでもない。

「いまのところ、手に向かって"早くよくなってくれよ"とリハビリ中に言い聞かせている状況です。最初のころは痛くて指が動かせなかったんですが、日が経つにしたがってどんどん良くなってきました。もう指も動きますし。ご心配をかけて本当にごめんなさい。まだ100%回復したわかじゃないんで、これからどうなるかまだわかりませんが、フランスに向けてリハビリに励んでいます」
=====

一方、
同じ記事の日本語版では、「玉田フランスに向けて出発」とのタイトルがついていて、(英語版と同じ9日の日付がついている記事の中で)明後日出発となっていましたので、出場かもしれません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

グールベルグ語る

意外と言っては失礼ですが、やっぱりすごく意外な好成績を収めたジャック・・・ではなく、ユルゲン・ファン・デン・グーグベルグ、というか、ヴァン・デン・フールベルフ(だと思う)のインタビューをmotoGPのオフィシャルサイトから。いや、オランダ人の知り合いが多いんでなんとなく応援していたのですよ。鈴鹿でサインももらったしね。ちなみに引退したわけではなくてWSSでがんばってます。

======
Q.思った通りの結果になりましたか?
A.そうですね、というか、6位だなんて、それ以上です。中国には直前に入ったんで、どんなことになるか想像もつきませんでしたが、せいいっぱいやろうとだけは考えていました。MotoGPマシンに乗ったことがなかったんで、大変だろうとは思っていましたが、それでもGPを離れてからもフィーリングだけは残しておこうとレースは続けていましたし。最終的にこんなにポイントをとって帰ることになるなんて私自身予想していませんでしたから、私も、もちろんチームも喜んでいます。チームのプロフェッショナルな仕事の進め方も非常によい経験になりました。

Q.良かった点と悪かった点は?
A.とにかくパワーがあって、すごいスリルでした。それとタイヤのグリップに感動しました。これに慣れるにはもう少し時間がかかりそうですね。おかげでドライではトップ3からかなり離されてしまいました。他に良かったこととしては、ドルナやIRTAといったプロフェッショナルな組織と仕事ができたことです。私がGPにいたころの人が残っていましたし。ピットの仕事ぶりにも感銘を受けました。あとはパドックで歓迎を受けたことでしょうか。テストもしないでRC211Vに乗るなんてクレイジーだと思ってる人もいたみたいですけど。悪かったことはなかったですね。もしあるとしたら結局ドライで乗ることができなかったせいで100%いい気持ちでライディングできなかったことくらいですけど、レースでは何の問題もありませんでしたし。

Q.コニカ・ミノルタ・ホンダにはどのようにして呼ばれたんですか?
A.ルカとは昔からの知り合いでチームマネジャーにまで成長するのをずっとみていたんです。ルカやその仲間が作り上げたものはほんとうにすごいものです。プロの仕事をこなしていたし、私を歓迎してくれました。ジュリオと私は最初からうまく仕事ができました。英語で話していたのですが、2人にとっては問題は無かったです。

Q.スーパースポーツとの最大の違いは?
A.まずはタイヤのグリップレベルですね。もちろん、使えるパワーのものすごさもですが。スーパースポーツとの差は大きいですが、それだけじゃなくて、昔乗っていた500との差も大きいですね。この2~3年の進歩には本当に驚きました。

Q.最大の敵は?
A.ライダー全員でしょうか。だれもがどこかしらでチャンピオンになっているなんて、他のクラスではありませんから。MotoGPは究極のクラスで、誰もがものすごく強いんです。ここにかえってこられて、そしてみんなと時には肘と肘をぶつけ合わんばかりにレースができて本当にうれしかったです。雨に助けられた面もありますけど、それでも「僕のことを忘れないでくれ」と伝えられたと信じています。

Q.6位という成績には満足しているかと思いますが、最後に表彰台に向けてもう少し攻めればよかったという気持ちはありませんか?レース序盤ではかなり速かったんですが。
A.序盤は確かに自信に満ちあふれていたんだけど、最後になって少しそれが揺らいできたんです。あまり乗っていないバイクだったしクラッシュしていいポジションを失う危険を冒すわけにはいかないってね。チームのがんばりに見合うだけの成績を残すのが私にとっては大事な事だったんです。

Q.最後に一言。
A.夢がかなったということです。もしチームがまた私を必要とすることがあったら(近いうちか、それとも先のことかはわかりませんが)いつでも戻ってきます。コニカ・ミノルタ・ホンダの一員としてレースをするのは本当によい経験でしたしチームのためにポイントを稼げてすごくうれしく思っています。チームと、そして玉田にとっていいシーズンであることを心から祈っています。
=======

鑑賞のポイント。
<その1>ジャックも言っていましたがパワーと同じくらいタイヤのグリップがすごいみたいですね。ことによったらジャックの好成績も、雨のおかげでグリップの大きさにまどわされなかったからかもしれません(もちろんブリヂストンのレインタイヤのおかげもあるでしょうか)。

<その2>ええ、最後に玉田のこともコメントするあたり、いい人です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

中国GP小ネタ

ジャックやらグールベルクやら宇川やらで、まるで同窓会のようになった中国GPの結果は、ベルギーのホテルのテレビのニュースで見たんですが、チャンネルはTVエスパーニャというスペインの放送局。
女性アナウンサーが世にも悲しそうな顔でロッシの勝利を伝えていたのがおかしかったのですが、他のニュースも悲しそうな顔だったんで、スペインのニュースは辛そうに伝えるものみたいです。
ちなみに同じチャンネルでやってる闘牛中継も、みんな悲しそうな顔。というか、闘牛士って「苦み走ったいい男」ばっかり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »